夜釣り【KAC20234:深夜の散歩で起きた出来事】

冬野ゆな

第1話

 その夜、どうして外出したかというと、気分を変えたかったからだ。

 それというのも締め切りが明後日に迫った雑誌のコラムの仕事がまったく終わらなかったせいである。いつもギリギリになるのは悪い癖だ。千字にも満たない小さなコラムなのだ。しかしこういうものは書けない時は書けない。


 かといって眠る気にもなれずに、夜の散歩と繰り出したのである。

 既に深夜の時間帯とはいえ、車の一台、二台は通り過ぎていく。大通りは避けて、坂の上の公園まで出向くことにした。

 坂をのぼった先には、夜空が広がっていた。

 坂の上の公園は、公園といってもかなり広い。

 丘から町を見下ろせる構造になっているので、絶景スポット的な整備がされている。遊具は少しある程度で、広場がある他は遊歩道がほとんどだ。丘の近くは屋根の備え付けられた四人がけのベンチテーブルが二つ設置されている。

 私はまだ灯りのついた町を見下ろすべく、丘の方へと歩いていった。

 すると丘のフェンスに座っている人影が見えた。男のようだった。崖になっている方に足を投げ出して、その背を丸めている。一瞬どきりとしたが、その人物は別に飛び降りとかそういうものではないらしい。その近くには四角い箱があり、手には長い棒のようなものを持っている。

 男は気配に気がついたのか、ちらりとこっちを見た。無精髭を生やした顔と、しっかりと目が合う。


「あんたも、夜釣りかい」

「……何が釣れるんです?」


 興味を引かれて聞いてみた。

 あいにくそこには川も湖も無い。


「そりゃあ、釣るものといったら魚だけさ」


 近くにあるクーラーボックスを見ると、微かに魚の音がした。

 夜色の魚が、きらきらとした黄色い目をして泳いでいる。夜の中を泳ぐ魚だ。黄色い目は夜景の光のようだ。


「釣りはいいぞ、嬢ちゃん。一生幸せになりたかったら釣りを覚えろってな。ちょっとやってくか」

「天の川とかでやった方が釣れないですか?」

「あんなとこ、綺麗すぎて! 俺はさあ、こういうちょっと下にいる魚のほうが、身がしっかり締まってて好きなんだ。……おっ!」


 丘の下に向かって垂れ下がった釣り竿が反応した。


「きたきたあ!」


 男は勢いよく釣り竿を引っ張った。

 リールを回そうとしたが、途中で止まってしまう。リールは再びぐるぐると回転しながら、魚に引っ張られてしまった。


「うおおおっ、こいつはでけぇ! 嬢ちゃん、ちょっと手伝ってくれ!」

「ええっ、どうやって」

「俺が落っこちないようにしてくれ!」


 男の肩を掴んで、落ちそうなところをなんとか引っ張る。

 ぐっと引っ張り上げては膠着し、引っ張り上げては膠着しの繰り返し。格闘は実に二十分にもおよび、そろそろ男にも相手にも疲労が見えてきた頃だった。ぜぇぜぇと肩を揺らした男が、勢いよくリールを再び回した。ぐっと引き上げてはリールを回し、また引き上げる。

 そしてついに――。


「うおおおっ!」


 一メートルはあろうかという夜魚が、丘の下から一気に釣り上がった。

 男はそのままひっくり返り、夜魚ごとフェンスのこちら側に落ちてきた。なんとか支えようと思ったが無理だった。だが一緒に地面にたたき付けられた夜魚は、びちびちと跳ね回った。


「だ、大丈夫ですか」

「おおおお。こりゃすごい!」


 男は尻餅をつきつつ、つり上がった夜魚を見ていた。

 それから男は魚を縛り上げて、ずるずると引きずりながら背中に背負った。


「こいつはやるよ」

「いいんですか?」


 クーラーボックスに入っていた二十センチほどの夜魚を貰った。ビニール袋の中で僅かに跳ねる。いったいどうしてくれようか。


「おうよ、俺にはこいつがあるからな。オススメは焼き魚だ」


 男はにこやかに釣果を引きずって、丘を下っていった。

 さて、こんなものを貰ってしまったからには、散歩は終わりだった。さっそく家に帰って、とにかくこいつを朝飯に間に合わせてしまおうと思う。

 コラムはその後でも間に合うだろう。


 この夜の海のような夜景を見ながら、私も丘を下ることにした。

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夜釣り【KAC20234:深夜の散歩で起きた出来事】 冬野ゆな @unknown_winter

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