第7話 ノートの1行

 ラウンドパークで遊んだ日から一週間と少し経った日、この日も僕は相も変わらず三浦達のグループの端っこの方で少し冷めた安心に浸っていた。授業のチャイムが鳴り、やっと解放されたと一安心しながら、タブレットに保存されてる前回の授業ノートを探している時だった。



 僕の視線はあるページに釘付けになる。



「えっ?」



 思わず声が漏れていた。



 そこには見慣れない丸っこい文字で『つまらなさそうだね』とだけポツンと書いてあった。



 全く書いた覚えのないメッセージに僕は軽く動揺する。こんなの書いたっけ……? 記憶にない。というか、どう考えても僕へのメッセージだ。こんな暗めなメッセージを自分に向けて書くほど僕の精神は病んでない。



 誰かのいたずらか……? そう思いながらメッセージを消そうとした時、僕はその手を止めた。 



……いや、待てよ……。これ……おかしい……。




 心臓が脈を打つ速度が少しだけ上がった。じんわりと小粒の汗が額に染み出た。



 どうして、このメッセージを残した人は僕の態度と表情を見て『つまらなさそうだね』と感じるように見えたのだろう……?



 CAREのシステム上、負の感情を露わにした表情など見えないはずだ……。



 本気で『つまらなそうだね』に何か違う意味があるのかと長考したほどだ。それほどまでに信じられない。



 もう一度じっくりと見直す。



 やはり、メッセージの通りだ……。



…………まさか、僕の現実の表情を知ったということか……?



 それしか考えられなくないか? だって……。こんなのあり得ないし。



 微かに手が震えていた。嘘だろ……。



 言葉にできない恐怖がこみ上げてくると同時に、僕の中には全く逆の感情も湧き上がっていた。



 考えうる可能性としては、メッセージを残した人物は、この完全にCAREの掌握されているこの世界で、僕の現実世界の表情を何らかの方法で知ったというのが……。



 そんな方法があるのか……。



 小さかった心臓の音はいつの間にかドクンドクンと強く脈を打っていて、頭に熱を帯びてきて……。



 おもむろに周りを見渡す。しかし、いるのは単色的な笑みを浮かべてノートに書きこむ生徒だけで……。いつも通りの景色だ。



「あるわけ無いか……」



 なんだか現実を目の当たりにして、一気に頭が冷えた。



 馬鹿らしい、ありえない。CAREに完全に掌握されているこの世界、現実の表情を知る方法などあるわけがない。あったとしてもすぐに警察に捕まるに決まってる。



 拡張現実を抜け出したいと常日頃から思いすぎて余計な妄想を膨らませてしまった……。



 このメッセージもただのいたずらで書かれたものか、もしくは昔僕が書いていたのかもしれない。まぁ、後者の可能性は限りなく低いがゼロじゃない。それに、もし万に一つの可能性だが、現実の僕の表情を見ていたとして、なぜそれを僕に知らせる必要があるんだ? 僕は記憶を辿ってみたが心当たりはなかった。



 一応のためほかのノートも見てみたが何も痕跡はない。教科書も同じだ。



 どのみち判断するには情報が少なすぎる。そう思い直した僕はいつも通りに過ごすことに徹した。奇妙なことに間違いないが、どうせいたずらなら無反応であれば飽きるだろう、そう思って。



 だが結果は予想とは真逆だった。



 次の日も僕のノートにメッセージが書いてあったのだ。



『せっかくかっこいい顔なのにそんなムスッとした顔してたら台無しだよ』



 一つ分かったことがある……誰かの仕業だ。僕がこんな文書くわけがない。それに朝確認した時はこんなものなかった。一体いつ書かれたんだ?



 ぞわぞわと胸をくすぐられているようだ。



 いったい誰だよ…。



 教室にいるときは意識をまばらに僕の席に向けていたが誰も書いている様子はなかった。しかも、二日連続でしかも僕が不機嫌だというニュアンスが書かれている。



 相当たちの悪いいたずらか……。



 それとも本当に拡張現実で覆われたこの世界で、現実世界を見ることが出来る方法があるのか……。



 そう考えると心臓の鼓動が二段飛ばしのように駆け上がってくる。胸の熱くなる感覚。同時に強くなるはやる気持ち。こんな感覚もう何年振りだ。



 だが、こんなメッセージをわざわざ僕に残す理由に心当たりがない。そのことに気づくと心臓の鼓動も収まりだした。どうして僕なんかにこんなメッセージを残すんだ。何のメリットがあるんだ。それに、よくよく考えればたちの悪いいたずらの方が辻褄は合う。



 考えにくいが、二日連続で僕の話し方から不機嫌じゃないかと推測され、軽い気持ちでそれを書かれたと考える方がまだ……。



 でも……でも。諦めきれない自分がいる。期待している自分がいる。



 あー。だめだ。全然分からない。



 ガシガシと頭をかく。あり得ないことは分かっているのに結論を出したくない。



 ぼくは今の自分にできるのはいつも通り過ごすことだけだと言い聞かせる。下手に反応していいかも分からないし。



 そして、僕はいつも通りに過ごすことにしたのだが、その結果は、動きはあった。日がたっていくに連れ、僕の教科書やノートにメッセージが書いてあることが増えた。しかし、僕に一切のコンタクトは無い。



 それだけでなく、一週間くらいになるとメッセージの横によくわからない動物のサインが書かれるようになった。



 しかも、メッセージの内容は日によってバラバラでこの人の意図が全く読めない。



 最近では書くことがないのか、『お腹すいた』と書いてある始末。



 本当に何がしたいんだ?



 一時はどうにか犯人を本気で見つけようとしたが、全く分からず諦める他なかった。まず、どうやって書いているのかが見当もつかないのだ。



 僕の机の周りは意識して見ているつもりだが、いつの間にか書かれてあるし、最近ではちょっと教室を出た隙にも書かれていた。三浦たちに聞いても怪しい人物は見ていないらしい。



 まぁ、メッセージを見るに悪意は感じられないので黙認を続けているという状況なのだが、それでも、何か心の中にもやもやとしたものはある。



 だが、それから更に一週間後、ついに黙認できないメッセージが僕のノートに書かれていた。



 ゴーン



 チャイムが鳴り授業が始まる。ようやく長い昼休憩が終わり、疲れ切った心のまま自分の机に戻る。タブレットを開き、ノートを開くとまたいつものようにメッセージが書かれてあった。



『そういえば君って素顔を拡張現実でも使ってるんだ。変わってるね~』



 その下にはいつものように訳の分からないサインが…………いや、はっ? えっ……?



 僕はタブレットを荒々しく掴んで、そのメッセージを食い入るように見つめた。



 ありえない……。興奮やら期待やら恐怖が一気に押しよせ、体の芯から震えた。



 何度も見直した。だが、やはりそういう意味しかないのだ。



 このメッセージを書いた人は拡張現実の僕と、現実の僕を見ている……。そうでないと僕が現実と拡張現実で同じ顔であるなんて知っているはずがない。



 今までは限りなく黒に近いグレーだったが、今完全に黒に変わった。



 あまりの感情の高ぶりによって僕の肌を粟立つ刺激が走っていく。毛の先まで震えが登っていく感覚。



 いつもだったら無視していたが、今回ばかりはそうはいかない。



 少なくともこのノートにメッセージを書いている人は間違いなく拡張現実から抜け出す術がある。もしかすると、その方法を知れば僕もこの拡張現実に支配された世界から抜け出せるかもしれないのだ。



 呼吸がどんどん浅く早くなっていく。肺に酸素が染みわたっている感覚がまるでしない。



 僕はもう一度、目を見開きメッセージを見直す。間違いないのに、いまだ信じられない僕がいる。だが、このメッセージを見れば本当に本当で本当であることに間違いない。



……駄目だ。それでもまだ信じられない、実感が全く湧かない。



 僕は震える手でノートに書き込んだ。



『君は現実世界に行けるの?』



 書き終わると同時に息をブハッと吐いた。気づかぬうちに息を止めていたようだ。



 もう、体中が高揚感やら、緊張やら、恐怖やらで満たされて、背中と足の椅子に触れている部分が汗で服が湿り、授業なんて全く耳に入ってこない。ジンジンとした痺れに近い心地よい痛みが全身を走る。



 返事はまだ来ないのかと頭はそればっかりだ。だが返事が来ない。当たり前だ。今は授業中だ。でも、じっと待つことなんてできない。



 僕はたまらずトイレに向かった。そして、トイレの中でぐるぐると歩きまわった。



 こうでもしないとこの高ぶった心を抑えきれない。時の流れがここまでもどかしいと感じたのは初めてだ。



そこから十分程度か。少し気分も落ち着いてきたので教室に戻ることにした。



自分の机に戻ると、さっき教室を出るときには消していたタブレットの電源が付いていることに気づく。



ただそれだけだった。だが、僕は過剰に反応して、ビクッと体を震わせた。心が高ぶりすぎて、ほんの少しの刺激だったが、!過剰に反応してしまった。



急いでノート見ると『気づいてなかったんだ笑』と一文書かれていて。


 

僕はそれだけの文を一分近くかけて嘗め回すように読んだ。



…………間違いない。この人は現実世界を知る方法を持っている。



あまりに驚き一周回って冷静になる。すぐに、周りを見渡した。みんな電子黒板を見るため前を見て、単色的な笑みを浮かべている。いつも通りの光景だ。



じゃあ、このメッセージはどうやって書きこんだんだ? 



周りの様子を見るに、いきなり誰か立ち上がるなど奇行な事態は起こっていないはずだ。



僕はキツネにつままれた気分に陥った。一応机の下も見たがいるはずもなく…。それ以降、新しいメッセージもなく、疑心暗鬼のまま授業を受け終わった。



次の授業は美術で、三浦たちはすぐに集まる。



「修一、行こうぜ」



三浦が誘ってくるも、僕はすることがあると嘘をついて先に三浦たちに美術室に向かってもらった。



徐々に周りのクラスメイトも友達と輪を作り教室を出ていく。



僕はわざと時間をずらし一人で教室に残った。



「誰かいないのか?」



誰もいなくなりがらんとした教室の中、僕はそう言って周りを見渡した。



このメッセージを残した主と話してみたい。聞きたいことだらけなんだ。



しかし姿を現す気配すらない。そこから僕はぎりぎりまで教室にいた。わざと教室の外にいて戻ってきたりした。戻ってきたらノートにメッセージを書いている人がいないかという期待を抱いていた。



だが、最後まで誰も現れず、ノートや教科書にもメッセージは書かれないまま。



それでも諦めきれず、僕は実は教室のどこかに隠れて僕を見ているかもしれないと思って探そうとしたが、そもそも隠れるところがない。



「メッセージは気づいてほしいのに、姿は見られたくないってどういうことだよ……」



そうぼやきながらも、高まった期待に急かされ、しきりに辺りを見渡してしまう。期待が強すぎるあまりに苛立ちすら覚えだす。じれったくて何度も足踏みをする。



そのまま焦燥感に駆られながらも時間の許す限り教室にいたが、結局現れないまま。



なんだかさっきまでの実感が急になくなってきた。夢のように感じて、僕は諦め、美術室に向かった。

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