第27話 傷は見えない


「失礼しま――って、誰もいない……ほらそこ座って」


 そう言って、彼女は私を保健室のベッドの前まで連れていく。

 今の私には、彼女の言葉に従う以外の余力がなく、言う通りにベッドに腰を下ろした。


 私がベッドに座ると、彼女は保健室の棚をあさり始めた。

 そんな彼女の様子も今の私には認識できずに、未だに正常に働かない頭を軽く手で押さえつつ、床をただ見つめる。


「あった!」


 そんな声と共に、足音が私へと近づいてくる。

 そして、私の視界には彼女の内履きが現れ、次の瞬間には彼女が覗き込んできた。


「大丈夫? あ、てか、勝手に連れ出してきちゃったけど大丈夫だった?」


 心配する表情から急に申し訳なさそうな表情を浮かべる彼女。

 私はそこで彼女が誰なのか、分かった。


「……うん、ありがと北条さん」


「いえいえ――って、私名乗ったっけ?」


「いや……北条さん、可愛くて人気あって有名だから」


 私がそう彼女に告げると、どこか照れくさそうな表情をする。

 人間味が感じられる、そんな彼女の表情に私の顔は綻んだ。


「あっ、これもしまた過呼吸になったら……」


「これって……ビニール袋?」


 北条さんは私の手にビニール袋を握らせてくる。

 確かに呼吸は荒くなってたけど、過呼吸ってほどでもなかったし、大げさだ。

 そんなことを思ってしまうが、今の私には彼女の優しさを享受することしかできなかった。


「ありがと」


「いえいえ」


 そのやり取りを最後に、私たちの間に沈黙が流れる。


 沈黙の中、私は北条さんに対して気まずさを感じていた。

 元々、私は彼女、北条ほうじょう風香ふうかを知っていた。

 学年の中でも今どき女子でクラスの人気者。

 隣のクラスであっても、彼女の話は聞こえてきてしまう。

 それに、高宮の隣の席で、彼と仲の良い女子。

 私が彼女を認知するには、十分すぎる要素がそろっている。 


(でも、それだけじゃなくて……)


 私だから、気づけたこと。

 彼女が高宮と話すときの表情を見てしまったから、なんとなく分かってしまったのだ。


 彼女もきっと……


「あのさ」


 そんなことを考えていると、沈黙を破って北条さんが声をかけてくる。

 それと同時に、私の座っているベッドが軽く軋む。

 

 そして、私と彼女の視線が同じ高さになって交わった。


「河野さんはさ、高宮とどういう関係なの?」


「っ!?」


 いつもなら、そんな質問もある程度は想像できていただろう。

 しかし、今の私には衝撃的なもので、すぐに答えることができず、私が答えるよりも先に彼女が再び口を開いた。


「実はね、私は優斗の代理なんだ……優斗があなたを助けてほしいって、私に頼んだんだよね」


「え……高宮が?」


「そうだよ……って、その反応なんかあるじゃん絶対」


「あ……」


 高宮の名前が出て、私はつい反応してしまった。

 そして、彼女の言葉が確かなら、彼女は高宮の代理で、助けに来たってことだろう。

 何故、彼は彼女に頼んだのか。

 そんな私の心が読まれたかのように、北条さんは話し出す。


「クラスの男子に河野さんには近づけないって、ストーカーだからダメだって、優斗はそう言われて私を頼ったんだけど……河野さんなら、知ってるよね?」


 知ってるよね。

 それは、きっと諸々の事情についてだろう。

 

「うん……私が全部悪いんだ」


 彼女は私を助けてくれた。

 だから、言いたくないこともずるいことも全部言おう。

 そう思って、私はこれまでについて彼女に話した。


 学校に入学してすぐに、ストーカー被害にあい始めたこと。

 ゴールデンウィークに水族館で会った高宮に、声をかけてしまったこと。

 彼がストーカーに目をつけられてしまったこと。

 それを良いことに、私が偽彼氏を頼んだこと。

 その立場を今日までさんざん利用したこと。

 今日、何故かみんなが私と高宮の写真を見ていたこと。


 所々省いたところもあったが、内容が伝わるように、私は彼女にすべて話した。


「……そう、だったんだ」


 私の話が一般的にも彼女的にも衝撃的だったからか、困惑した様子の彼女。


「ごめん……でも、私は――」


 ガラガラ。


「――あれ、君たちどうしたの?」


 私の言葉の続きは、保健室に戻ってきた先生に遮られてしまった。


「あ、先生!実は――」


 先生が来たところで、隣に座っていた北条さんは立ち上がり、事情を説明し始める。

 そして、一通り説明し終わった彼女は私の隣に戻ってくることはなく、保健室の出口へと向かっていく。


「じゃあ私は教室に戻ります! 河野さんもまたね!」


 どこか平然を装った態度の彼女は、颯爽と保健室を出ていった。

 

 そんな彼女の姿を見た私の胸は、ひどく痛くなった。

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