第7話 不鮮明な過去


 ゴールデンウィーク明けだからか、なんとなく授業に集中できず、気づけばただ時間だけが過ぎ去っていた。


「それでは、帰りのホームルームを始める」


 担任教師である佐藤先生の一言で、教室内に溢れていた生徒たちの雑音はピタリと鳴り止んだ。


「それじゃ、早速連絡事項だが明日の――」


 そして、淡々と連絡事項を生徒たちに伝えていく佐藤先生。

 佐藤先生が話している間、教室内にいる誰もがよそ事や私語を行わなかった。


 それは、佐藤先生が厳しい人であるから。

 少しでも人の話を聞いていなかったら、先生が愛用している厚いノートで頭を叩かれる。

 うるさい生徒は即廊下へ退出させて、反省文を書かせる。

 時代柄、生徒だけでもなく大人にも非難されそうな教育を平然とやってくる、頭のおかしい女性だ。


 そんな体罰教師が何故許されているのか。

 それは、彼女がただ恐れられているだけではなく、ほとんどの生徒から好かれているから。

 朝と帰りのホームルーム、数学の授業中以外なら、基本的に面倒見がよく、優しい先生だ。

 さらに、見た目も美人と言って差し支えない容姿をしているため、女子だけでなく男子からも人気がある。

 他の先生たちからも一定の評価をされており、彼女の人間関係には隙がない。


(――そんな彼女は、上手に生きているといって良いだろう)


 などと、考えている間に、帰りのホームルームも終わりそうになる。


「こんなものか……それでは、ホームルームを終わる…………っと、高宮!」


「あ…………は、はい!?」


 約一週間ぶりの佐藤先生の支配力に脱帽していると、突然彼女から名指しされてしまう。

 俺は突然の出来事に、ガタンと椅子を飛び上がらせてしまった。


「お前、ぼーっとして私の話を聞いていなかったな……このあと、職員室に来い」


「………………はい」


 佐藤先生はそう言い、颯爽と教室を出ていく。

 彼女が教室からいなくなると、教室内にいつもの喧騒が戻る。


「ぷぷぷっ………………――っぷ」


 隣で必死に笑いをこらえて、俺をバカにするような視線を向けてくる北条。


「じゃあ俺は部活行くわ…………ドンマイ!」


 俺の肩を軽く叩き、同情の眼差しと共に教室から去っていく智也。

 そんな二人に何のリアクションも取れずに、俺はただ呆然とすることしかできなかった。


 ……ほんと、これでこの先生にお咎めがないのは、今の時代間違っていると思う。


***


「それで、なんで呼ばれたか分かるか馬鹿者」


「…………ゆりねえの話を聞いてなかったから?」


「学校では佐藤先生と呼べ、アホ優斗」


 佐藤先生の呼び出しに応じた俺は、職員室に入るなり早速頭を分厚いノートで叩かれる。

 『ゆり姉』

 昔、俺がまだ小学生だった時に佐藤先生をそう呼んでいた。

 佐藤さとう由里ゆりは、昔、俺の近所に住んでいた八つ年上のお姉さんであり、互いに顔を見知った仲である。

 しばらくの間、彼女とは疎遠になっていたが、今年高校入学と同時に、生徒と教師の関係で再会することとなった。


「話を聞いてなかったことじゃないなら、なんで俺はここに呼ばれたんですか?」


 ほんの数秒前に叩かれた頭部を右手で抑えながら、彼女にジトッと視線を向ける。


「話を聞いてなかった件は後日追求するとして……ゴールデンウィーク、女と一緒にいただろ」


「………………なんの話ですか」


「隣のクラスの……河野、澪といったか。彼女と一緒にカフェにいるところを偶然見かけてな」


「………………それが、どうかしたんですか」


 佐藤先生の指摘に内心ビクリとしながらも、それを表情には出さずに問いかけの意図を探る。

 俺のそんな心情に気づいてか、彼女は呆れたように大きなため息を吐いた。


「はぁー……別に不純異性交遊が、とか言いたいわけではない。ただ、聞きたかったんだ」


「……聞きたいって、何をですか」


「そんなの、お前は分かっているだろう……――吹っ切れたのか?」



『――ゆうくん!』



 瞬間、脳裏に一人の少女が浮かぶ。

 もう声も、顔も、何も鮮明に思い出せない。

 だけど、彼女の口元が俺を呼んでいたことだけは、まだ覚えている。


「――――っ」


 そんな光景を思い出したからか、佐藤先生の問いかけに言葉を詰まらせてしまう。


 ――吹っ切れたのか

 それはきっと俺たちの過去について。

 そんな簡単に振り切ることのできない過去だって、俺も彼女も知っている。

 だけど、俺が他の女子と一緒にいたら、そう勘ぐってしまいたくもなるだろう。


「……まぁそれはどっちでも良いが、お前に好意を寄せてくれる子を傷つけるなよ」


「……俺と河野はじゃないんで」


 俺の言葉に佐藤先生は大した反応もせず、「話は以上だ」と言って机に向き合いだした。


「――失礼しました」


 この人は昔から変わらない、そう思いながら俺は渋々職員室を後にしようとした。


「――おっと」


 職員室の扉を開けたところで、ある生徒と鉢合わせになってしまった。

 同じくらいの身長のためか、視線はバッチリと交錯し、互いの表情がよく見える。


「……どいてくれ」


「……あ……わ、悪いな神崎かんざき


 俺の顔を見るなり、嫌悪感をむき出しにして睨んできた神崎。

 俺が身体を半身にすると、その横を通り抜ける。


(流石、学校一のイケメン……顔が整いすぎだろ)


 職員室から出て扉を閉めると、遅れてそんな感想が出てきてしまった。


 神崎かんざきはやて

 河野と同じクラスの男子で、学校内でも有名人だ。

 運動や勉学を彼ができるのかは知らないが、彼は圧倒的な容姿の持ち主である。

 キリッとした目元に、整いすぎている顔。

 足も長く、骨格も悪くない。

 彼は学年一のイケメンと持てはやされているらしい。


 俺らのクラスの早川も普通なら十分なイケメンだろう。

 しかし、神崎には敵わない。

 そう思わせてしまうほど、彼の容姿はずば抜けているのだ。


「…………なんで俺、睨まれたんだろ」


 そんな彼に睨まれてしまった。 

 俺は彼の気に障ることを気づかぬうちにしてしまったのだろうか。


(……うーん、身に覚えがない)


 そんなことを考えながら歩いていると、すぐに昇降口へとたどり着いてしまった。

 昇降口で内履きから外履きに履き替え、そのまま校舎から外へ。


 ――グイッ


 校舎から出たところで、制服の肘の辺りを何者かに引っ張られる。

 ほぼ反射といって差し支えない動作で振り返ると、そこには黒縁メガネを掛けた制服姿の少女が機嫌の悪さを隠すことなく、俺を見ていた。

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