(16) スマイルオークション

「では、二人組を作ってください」


 担任の先生が言った。


「鳴亜梨、一緒に組もう?」


 いつものように差し出された手を、その日、鳴亜梨は取らなかった。

 ただ、じっとその手を見つめる。

 このみの手を、見つめる。


 ――どうして?

 鳴亜梨の胸中に浮かびあがったのは、ひとつの疑問だった。

 ――なんで、あたしなんだろう?


「鳴亜梨?」

「……」


 このみが手を差し出す相手は、いつだって自分だ。

 このみなら、もっとみんなと仲良くやっていけるのに。クラスの輪の中心にいられるのに。

 このみは、それをしない。

 ひとり佇む自分のもとへやってきて、決まってこう言うのだ。


『一緒に組もう?』


 いつしか、その笑顔に引け目を感じるようになっていた。

 いつもいつも、ひとりぼっちの自分の面倒を見させてしまっている気がして。

「誘われてる」んじゃなくて、「誘わせてる」ような気がして。


 ――そんな関係を、友達って、呼べるの?

 疑問は消えてくれそうもなかった。

 だから。


「……いい」


 このみがいなくても、ちゃんと自分の足で立てるって、証明するんだ。

 重荷になんかなりたくない。このみの横に並んで立つんだ。

 このみは友達だって、胸を張って言えるようになるんだ。

 だから、それまで――



「……いい」


 断られた。断られるなんて思ってなかったから、ショックより驚きが先行した。


「いいって、オッケーってことだよね?」


 そうじゃないってことくらい、その真剣な目を見ればわかったけど。


「オッケーじゃないってこと」

「どうして! なんでだめなの!」


 断られるなんて思ってなかった? 本当に? ううん、本当はわかっていたのかもしれない。いつかこんな日が来ることを。

 声を荒らげてしまったことで、教室がざわめきだす。平然としているのは鳴亜梨くらいだ。


「うーん、気分転換? 今日はほかの子と組みたい気分、みたいな」

「はぐらかさないで。鳴亜梨、わたし以外に友達いないでしょ!」


 ――鳴亜梨は、わたしで妥協してたのかも。それでもう、嫌気がさしたのかも。


「いるよ。ミミズだって、おくらだって、あめんぼだってボールだって。みんなみんな生きているんだ友達なんだ」

「あっそ。じゃあ訊いてみる? みんなー! この中に鳴亜梨の友達っている? いたら手挙げてー!」


 だめだ。こんなことしたら絶対に嫌われる。二度と修復できなくなる。わかってるのに、一度あふれ出してしまった感情を引っこめられるだけの自制心は持ち合わせていなかった。


「ほら、誰も手挙げないよ? やっぱり嘘だ。強がりだ」


 たとえいたとしても、教室の誰もが一触即発の空気に呑まれて手を挙げるどころではないだろう。


「……ほかのクラスにいるんだもん」

「嘘。見たことないもん!」

「このみなんかには教えてないだけ!」

「なにそれ! わたしがいないとなんにもできないくせに!」

「このみなんかいなくたって別にどうってことないし!」

「どうってことあるでしょっ!」

「ないのっ!」


 掴みかかってくる鳴亜梨に、髪を引っ張って対抗する。ゴムが片方ほどけた。先生が大きな声を出しながらあいだに割って入ってくる。


 ――なんでわたし、こんなに必死になってるんだろう。別に鳴亜梨がほかの誰と組もうといいでしょ? 鳴亜梨の言う通り。だって、わたしだって、鳴亜梨なんかいなくても困らないから。お互い様。



 二つ結びの片側がほどけるのを感じながら、鳴亜梨は思う。

 このみ、どうしてこんなに本気になって、怒ってるんだろう……?



     ❁ ❁ ❁



 朝帰りで朝シャンして朝マックしていたら、朝の会の時間を過ぎていた。完全に遅刻だ。

 やはり次の日が休日でもないのにお泊りなんて無茶な真似をするんじゃなかった。親はなにを考えて許可なんてしたんだ。これからは親を反面教師にして生きていこう。


 息を整えながら扉を開け放つと、クラス中の視線を独り占めしてしまった。


「おほんっ、んっんー。カーッ、ペッ」


 わたしはわざとらしく咳払いする先生のもとに直行して、声をかけた。


「すみません、朝マックしてたら遅れました」

「馬鹿者! 朝のホームパーティーに遅刻とは何事だ!」

「すみません」

「まったく近頃の若いやつは。……はあ、朝から大声を出したせいで腹が減った」


 そう言う先生の視線は、わたしの手にぶら下がる紙袋――テイクアウトしたハッピーセットに注がれている。


「こんなに腹が減っては一時間目のパーティーに支障が出てしまうな。誰かさんのせいで」

「先生、よければどうぞ」


 教卓の上にハッピーセットを広げる。


「なんだ。これじゃあまるで先生が催促したみたいじゃないか。まあいい。席に着きなさい」

「はい」

「待った」


 言われた通り席に着こうと踵を返すが、先生に呼び止められる。わたしは顔だけ振り向いた。

 先生はどこか緊張した面持ちで言った。


「す、すすすスマイルください」


 一瞬にして教室中の空気が張り詰めるのを感じた。

 わたしは静かに、床に声を落とす。


「――三千円から」

「三千十円!」


 さっそく先生が手を挙げた。


「はいはい! 四千円!」


 鳴亜梨ちゃんも参戦した。恐らくオークションの「オ」の字も理解していないだろう。


「四千十円!」


 先生も負けじと追随する。そんな中、


「よ、四千五百円……」


 なぜか悠斗まで参戦した。もしかして、悠斗もルールを理解してないのかな? 悠斗がわたしのスマイルを欲しがるとは考えにくいし。


「四千五百とんで十円!」


 さすが会場唯一の大人。まだまだ余裕の表情だ。


「六千円!」

「六千八百円!」

「七千二百五十円、この勝負もらいましたわ!」

「八千百円!」


 先生の熱気にあてられてか、クラスのみんなも次々と名乗りを上げていく。値は釣り上がる一方だ。


「くそ……! 九千円!」


 やけになったように叫ぶ悠斗。


 悠斗は勝負事には熱くなるタイプだ。前に二人でゲーセンに行ったときもそう。特にほしい景品があるわけでもないクレーンゲームに何度も挑戦し、やっとのことで取れた戦利品をあっさりとわたしにくれたことがあった。将来、ギャンブルにどっぷりハマって身を滅ぼさないか今から心配である。


「九千十円!」


 もちろん先生も負けてはいない。

 この日、会場のボルテージは最高潮に達していた。


「九千三百円だ!」

「九千三百十円!」

「九千六百三十円!」

「九千六百四十円!」


 悠斗と先生が二人でデッドヒートを繰り広げている。


「い、一万円っ!!」


 悠斗が勝負に出る。だが、


「一万十円〜〜〜〜!」


 静まり返る教室。十秒が経過する。


「ほかにいませんか?」


 わたしに代わって臭津くんが仕切ってくれる。


「そこまで。一万十円にて落札」


 ガッツポーズを決める先生。今日一番の笑顔がそこにあった。

 スマイルをあげるのはわたしなのに、逆にわたしのほうが元気をもらってしまった気がする。


 先生はバリバリと財布を開き、一万十円をわたしに差し出す。


「確かに」


 受け取ると、わたしは仏頂面で席に戻った。


「スマイル! スマイル!」


 先生が叫んでいる。

 とはいえ、今はとても笑っていられる状況ではないのも事実だ。

 教室に入ったとき、一瞬だけこのみちゃんと目が合った。役者はそろっている。問題は、どうやって二人を仲直りさせるか。


 ……二人を仲直りさせる? わたしが?

 二人の問題をなにも知らない、部外者のわたしが?


「クーリングオフ! クーリングオフ!」


 ……騒がしい。今考え事してるのに。


「先生、静かにしてください。もう授業が始まります。それとも、みんなの授業より一人の笑顔のほうが大事とでも? ボクには、そうは思えない」

「し、しかしだな……」

「お黙りなさい。これ以上騒ぐなら父上に言って担任を変えてもらってもよろしくてよ?」

「まさか、そんなことできるわけ――」

「PTA会長・紫崎しざき月光げっこう――教員の貴方が、知らないはずはないでしょう?」

「……」


 荒ぶる先生を臭津くんと陽智美子ひとみこさんがいさめてくれる。


 そう、スマイルはプライスレス。いくらお金を積んでも手に入れることはできない。逆にいえば、お金なんて積まなくても手に入るものでもある――違う、手に入るべきなのだ。


 でも、じゃあ、どうすれば。

 どうすれば、ふたりの笑顔を手に入れることができる?

 そもそもわたしがあいだを取り持つことで解決できるようなことなの?


 わからない。

 だってわたしは、ふたりが抱える問題も、その根の深さも知らないから……。


「あの、わかっ、若月さん」


 ふいに隣から声がかけられた。見ると、いつも通りどこか怯えた様子の下呂泉さんがいた。


「これ、このちゃんから……」


 おずおずと差し出されたそれは、この前の反省会でも活躍した、見慣れた柄の便箋だった。

 開くと、丸っこくて可愛らしい文字で、


『――柚花ちゃんへDear My Friend

 昨日は見苦しいところを見せちゃって、ごめんなさい。

 でもね、安心して?

 わたしのことなら、なんにも心配いらないから(^^)』


 本当に?

 本当になにも心配いらない?

 わたしが口を挟む必要なんかない?


『今日も、来てくれる……よね?』


 ふいに、今朝の麻由ちゃんの不安げな顔が蘇る。

 それが最後の後押しになった。

 ――そうだ。そうだよ。このままでいいわけない。


 こんな状態がこれからも続いていくなんて、誰よりもまずわたしが耐えられない。

 彼女たちの都合なんて知ったことではない。わたしはわたしの都合でやりたいようにやるだけ。


 気づいてしまえば、決意するのは簡単だった。

 だから迷いなく行動に移すこともできる。


「わたし、絶対にふたりを仲直りさせてみせるから!!」


 手始めに、わたしはバシィッ!! と机を叩いて立ちあがり、自らの意志を、前だけを見据えて高らかに表明した。


 失ったお金は取り戻せないけど、わたしはふたりの心からの笑顔を取り戻す……取り戻すんだ。


「では……ぐすっ、一時間目のパーティーをムシャムシャ、始めます」


 先生は泣きながらも、片手にエッグマックマフィン、片手にチョークを持って授業を始めた。


「そういえば下呂泉さん。さっきわたしのこと、はじめて苗字で呼んでくれたね?」

「えっ。う、うん……」


 愛想笑いに似たぎこちない笑顔を浮かべる下呂泉さん。お隣さんなのになんだか距離を感じていたが、ようやく打ち解けてきたのかもしれない。


「下呂泉さん――ううん、モモちゃんっ。モモちゃんは、このみちゃんとは付き合い長いの?」

「……去年同じクラスになってからだから、一年くらいかな」


 モモちゃんとの実のない雑談は早々に切りあげ、わたしは今後の作戦を練り始める。

 一時間目が終わるころには、一万円の使い道に夢を膨らませる余裕ができていた。

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