(8) 女子会inスーパーマーケット -B part-

 さて、やってきたのは店内に併設された百円均一ショップ。

 今は小学生らしく筆記用具コーナーを見ているのですが……おやおや? さっきからなにやら妙な視線を感じますね。これはいったいどういうことなんでしょうか?


 などとお昼の情報番組のリポーター風に置かれている状況を冷静に振り返ることで、リアルタイムで直面している恐怖を打ち消そうとする。が、無理だった。


 気配は消えてくれない。ひたひたと背後に忍び寄る不気味で不穏な足音。明らかにつけられている。陳列棚の陰に身を隠しながら、誰かがわたしをストーキングしている――。


 極度の緊張から手のひらが汗ばむ。どうしよう、殺される。まだやり残したことが山ほどある。いつか世界中のお茶を浴びるように飲んでみたい。憧れの中学生活に夢の高校生活、来る日も来る日も合コン漬けのバラ色キャンパスライフもわたしを待ってる。女子会だってまだまだ開き足りない。みんなにお別れだって言ってないし、最期に家族にも会いたい。なによりこんなところで、こんな汚いスーパーで死にたくない。


 新聞の見出しに『女児二人の遺体を汚いスーパーで発見!!』とか書かれる。そんなの末代までの恥だ。まだ死ねない!


 思わず拳を握りしめる。すると、繋いだ手からわたしの心情を感じ取ったように、このみちゃんが強く握り返してくれた。そうだ、このみちゃんがいる。独りじゃない、わたしは独りなんかじゃないんだ。わたしと同じくらい小さくて非力なこの手が、今はどんなヒーローよりも頼もしく思える。勝手に殺したりしてごめん。


 このみちゃんは背後の存在に悟られないよう、わたしに軽く目配せする。こちらからなにか仕掛けるつもりなのだろう。そう思った次の瞬間、このみちゃんはわたしの手を掴んだまま、追いすがる気配を振り切るように勢いよく駆け出した。わたしは微妙につんのめりつつもなんとか足を動かしてついていこうとする。ところが次の瞬間、このみちゃんまさかの急停止。わたしは微妙につんのめりながらも、だるまさんが転んだのように素早く振り向くこのみちゃんの姿を捉えた。わたしもつられて視線をたどる――


 慌てた様子で手近な棚の陰に隠れる後ろ姿が見えた。……あれ、意外と小柄? もしかして子ども? ていうかあの特徴的な頭、どこかで……


「犯人へ告ぐ。柚花ちゃんが怖がってます。無駄な抵抗はやめて出てきなさい」


 謎の人影にもこのみちゃんは一切動じることなく、毅然とした態度で言い放った。


「こ、このみちゃんだめだよっ。犯人が逆上しちゃう! たしかに子どもっぽかったけど、今どきの子どもってなに考えてるかわからないから逆に怖いよ……。それに、まだ小さいおっさんの線もあるし……」


 次々と浮かんでくる懸念事項を身振り手振りを交えて伝えている最中、視界の端で黒い影が蠢いた気がした。刹那――


「あたしは完全に包囲されている!」

「きゃんっ!?」


 なんか出てきた! わたしは妙な声を出して思わずこのみちゃんに抱きついた。


「……ごめん柚花。おどかす気はなかったんだけど」

「……って、鳴亜梨ちゃん!?」


 足取りも重く現れたのはほかでもない、鳴亜梨ちゃんだった。

 そうか、たしかにあの特徴的な頭……あの十円ハゲは鳴亜梨ちゃんのものだ。


「ほんと、ごめん……」


 珍しく神妙な顔をして深々と頭を下げる鳴亜梨ちゃん。十円ハゲが視界に飛びこむ。


「顔をあげてよ鳴亜梨ちゃん。わたしなら大丈夫だから」

「……ほんと?」


 潤んだ瞳を不安げに揺らして見あげてくる。


「うん。あんまり思い悩むと、十円ハゲが大きくなっちゃうよ?」

「え? ……ひゃうんっ!?」


 鳴亜梨ちゃんはスカートを押さえてパンツを隠すみたいに、頭を押さえて十円ハゲを隠した。


「も、もうっ! これがコンプレックスなの知ってるくせに……柚花のいじわる」


 耳まで真っ赤にしてわたしを糾弾する。

 これは……可愛い。ギャップ萌えとはこういうことを言うのだろう。


「あはは、ごめんね、鳴亜梨ちゃん。でもこれで、おあいこだね?」

「……柚花……もうっ」


 ふたり、顔を見合わせて笑いあう。柔らかで心地いい空気が流れていた。


「……あの、柚花、ちゃん……名残惜しいけど、そろそろ離してくれないと、苦しい……。うれしいんだけど、ぐるじい……」

「あ。ごめん」


 さっきこのみちゃんに抱きついてそのままだった。柔らかで心地いいのはこのみちゃんの身体を抱いた感想だったようだ。慌ててぱっと離れるが、手は元通り繋ぎ直す。よっぽど苦しかったのか、このみちゃんはほんのりと頬を上気させ、はあはあと荒い息を吐いている。


「……ごめんね? へいき?」

「う、うん。全然へいき…………また、してほしいくらい……」


 よかった。大丈夫そうだ。


「で、鳴亜梨ちゃんや」


 わたしは鳴亜梨ちゃんに向き直る。


「チミはいったい、なにをやっていたのかね?」


 あんな、こそこそとわたしたちの後をつけたりしちゃって。


「なにって、見てわからない? 万引きGメンだよ」


 あっけらかんとした調子で鳴亜梨ちゃんは言う。


「うそっ? Gメンって本物の? ごっこじゃなくて?」

「そ。パイナップル鑑賞してたらさ、急に店長に声かけられて雇われたの。どうやらGメンの素質を見抜かれちゃったみたい」

「すごい! サインください!」


 わたしは思わず売り物の色紙に売り物のマジックでサインをもらおうとした。


「もらわなくていいよ、柚花ちゃん」

「えぇ! だってGメンだよ、生Gメン!」

「たぶん、口からでまかせだから……鳴亜梨の言ってること」

「まじで!?」


 たしかに言われてみれば、鳴亜梨ちゃんはどっちかといえばGメンに声をかけられる側の人間な気がする。


「そうなの鳴亜梨ちゃん!? なんでまたっ!?」


 激しい恐怖と興奮に立て続けに晒されたせいで、わたしのテンションは徹夜明けみたいになっていた。


 その問いに答えたのは鳴亜梨ちゃんではなく、このみちゃんだった。沈黙する鳴亜梨ちゃんに向けて口を開く。


「鳴亜梨さ――パイナップルに飽きてやることがなくなって、仲間に入れてほしくなったなら素直にそう言いなよ。誰も拒否なんてしないんだから」


 なんと。


「……ん。パイナップルに飽きてやることがなくなって、仲間に入れてほしくなった」


 本人の口から語られる、衝撃の事実。案外不器用というか、そんなしおらしい一面が鳴亜梨ちゃんにあったなんて意外だ。これもまたギャップ萌えというやつだろう。


「別に、オウム返ししなくてもいいけど。……はあ、鳴亜梨はそういうところ、昔から変わらないよね」

「……うるさい」


 このみちゃんは人見知りするのか普段はわりとおとなしい感じだけど、鳴亜梨ちゃんに対しては常に強気だ。とにかく心置きがない。傍から見ているだけでそれは伝わってくる。


 そしてそれは、鳴亜梨ちゃんからこのみちゃんへの態度でも同じこと。一見すると誰に対しても馴れ馴れしいように見える鳴亜梨ちゃんだが、やはりこのみちゃんとわたしとでは決定的に扱いに違いがある。悪い意味ではなく、ただ事実として、わたしと彼女たちはまだお互いに「一線」を超えられていない。そんな気がする。たしかわたしと悠斗と同様、ふたりは幼稚園からの幼なじみなのだと、以前にそれぞれの口から聞いた覚えがあった。


 わたしにも、幼なじみに接するのと同じような気安さで接してほしいし接したいものだが、こればっかりは言われてできたら苦労しない。友情の深さは過ごした時間の長さでは決まらないが、じっくりと長い時間、同じ空間を共有することではじめて築かれる絆も確かに存在する。要するに、こういうのは慣れの問題だ。徐々に徐々に、距離を詰めていくしかないのだ。


「なんだなんだ。そういうことだったのですね。それじゃ、」


 わたしはこのみちゃんと繋がってないほうの手で、鳴亜梨ちゃんの手を取る。両手が温もりで塞がった。


「お手を拝借〜」

「え、なにそれ」


 鳴亜梨ちゃんがきょとんとした。なかなかレアな反応だ。


「いやですか?」

「……そんなことないけど」

「んじゃ、このまま三人で見て回ろー」


 わたしは繋いだ両手をえいえいおーと天高く振りあげて、それからちょっと強引に歩きだすと、両端の友人たちもワンテンポ遅れてしっかりついてきた。そうして狭い百均を練り歩く。


「なんかこういうの……楽しいかも」


 このみちゃんがどこか照れくさそうに言う。


「楽しかったです。うれしかったです。疲れたので寝ました――そんな感じだね」


 鳴亜梨ちゃんが小学生の日記風に言う。よくわからないけど、ニュアンスは伝わった。


「でも、柚花ちゃん」

「へ? なあにこのみちゃん」

「これだと、めぼしいものがあっても柚花ちゃんだけ手に取って見れないね」

「あ! ほんとだ!」

「だからさ……わたしが見繕ってあげるね。柚花ちゃんに似合いそうなもの」

「ほんと!? やった、ならわたし歩くだけでいいじゃん! 楽ちんすぎ!」

「そういうことならあたしも選ぶよ。このみの好みには任せておけないからね」

「おお! 鳴亜梨ちゃんそれもっかい言って! アンコール!」

「このみの好みには任せておけないとこの身が言ってるからね」

「おおお! このみちゃんが三人に! すごすぎ!!」

「あ、これなんて柚花ちゃんに似合いそう」


 このみちゃんが取って見せてくれたのは百均にしてはわりとおしゃれなヘアピンだった。


「あ、可愛い!」

「でしょ〜」

「あ、これなんて柚花に似合いそう」


 今度は鳴亜梨ちゃんが見繕ってくれたようだ。その手に握られていたのは単二電池だ。


 ……どういうことだろう。わたしごときにはアルカリがお似合いって意味だろうか。真意を確かめるため、電池に顔を近づけてじーっと観察してみる。店内のライトに反射して表面が鈍く光っている……あれ? 意外と趣があるかも。だんだん単二電池がおしゃれアイテムに思えてきた。


「よく見たら可愛いかも!」

「でしょ〜」


 そんなこんなで。

 結局、三人で百円ずつ出しあって、色違いイロチのシュシュを買った。わたしはピンク、このみちゃんは水色、鳴亜梨ちゃんはコケ色だ。


 百均コーナーを出たところで、悠斗に遭遇した。重そうな買い物袋を両手にぶら下げている。


「こんなところにいたのか。さ、帰るぞ」

「こんなところとはなんだね……て、真緒くんとメガネは?」

「ふたりにはお菓子のカゴの精算に行ってもらった」


 ってことは、この買い物袋は全部悠斗のものか。


「あれ? そういえばあたし、お菓子選んでない気がする……」


 鳴亜梨ちゃんが隣で首を傾げる。わたしの頭とごっつんこした。痛いよう。


「ああ、それならわたしが適当に選んで――」「早く選んでこなきゃ!」


 わたしの返答をこのみちゃんが遮った。


「うん!」


 元気のいい返事をして、鳴亜梨ちゃんは走って行ってしまった。


「どうして?」


 このみちゃんの耳元に囁く。わたしが代わりに選んだこと、知らないわけじゃないだろうに。余ったぶんは鳩にやるとか?


「いいから、見てて」


 意味ありげにいたずらっぽく笑う。なんだか、こんなこのみちゃん新鮮だ。いったいどうしたというのだろう。


 そんなことを考えているうちに鳴亜梨ちゃんが胸にお菓子を抱えて帰還した。そこでこのみちゃんはすかさず、


「あ、やっぱり鳴亜梨お菓子選んでたみたい」

「え! なにを!?」

「チョコあ〜んぱんを三箱」

「えー。そんなの選んだかな?」

「自分でもさっき、選んでない『気がする』って言ったでしょ。つまりそれは確定じゃないってこと。だから、鳴亜梨が覚えてないだけで、鳴亜梨はお菓子を選んだんだよ」

「そ、そっか……うん。たしかに言われてみれば選んだような……うん! あたしやっぱりお菓子選んでた! やった、なんか得した気分!」

「そういうわけだから、それは戻してきて」

「うん!」


 元気のいい返事をして、鳴亜梨ちゃんは走って行ってしまった。


「あははははっ! おっかしい! ねえ柚花ちゃん今の聞いた? 『うん!』だって! うん! くぷっ、あははははっ! 犬みたい! わん! 鳴亜梨ってほんとバカ!」


 このみちゃんが壊れた。

 目尻に涙まで浮かべて、心の底から楽しそうに笑っている。

 ……さすがに鳴亜梨ちゃんが不憫になってきた。


 それにしても、スーパーここに来る前と今とではテンションが百八十度ほど違う。なんというか、ハジけてる。なにか心境の変化でもあったのかな?

 怖いもの見たさで訊ねてみると、


「うん、ちょっとね。やっぱり鳴亜梨は鳴亜梨なんだな〜、って。あははっ」

「?」

「ううん、こっちの話」

「???」


 頭にクエスチョンマークを並べて遊んでいるうちに鳴亜梨ちゃんが手ぶらで帰還した。改めてわたしの手を握ってくる。


「るんるんるん♪ チョコ・あ〜ん・ぱん♪ ぱんぱんぱん♪」


 上機嫌でスキップする鳴亜梨ちゃんだったが、手を繋いだばっかりに腕が限界まで引っ張られる。痛いよう。


「あ、鳥だ! 違う、飛行機だ! うんにゃ、あれは真緒ッピーだ!」


 今度はいきなり立ち止まり、鳴亜梨ちゃんは一点を指し示した。わたしもつられて目で追った。


 店の外で、すでに精算を終えた真緒くんがこちらに手を振っているのが見えた。その横ではメガネがアスファルトの上で背泳ぎしている。


 早く合流しようと足を踏み出して、止まる。両端のふたりも止まる。急に止まったわたしたちを気にかけて悠斗も止まった。


「どうかしたのか?」


 やっぱり、ちょっと気になる。プライベートな買い物と言っていたから、あまり触れてほしくないことなのかもしれないけど――


「それ、重いでしょ? よかったら持つよ。あいにくわたしは両手が塞がってるけど、このふたりが文字通りわたしの手足となって、代わりに持つから」


 言いながら、一歩踏み出す。二歩、三歩と、じりじりと獲物を追い詰める野生動物のように、距離を縮めようとする。


「いいよ、別に。女子には重いだろ?」


 やんわりとした拒絶に屈することなく、わたしは踏みこんだ。最後の一歩だ。後戻りはもうできない。


「悠斗。ひとつ訊かせて。いやだったら答えなくてもいいけど――それ、なに買ったの? 大根とネギは見えてるけど」

「……」


 悠斗は少しばつの悪そうな顔をした。


「……悠斗?」

「……材料だよ。夕飯のな。これで一週間は持つぜ?」


 冗談めかした口調で、言う。


「それって、お使い? おばさんに頼まれたの?」

「まあ、そんなところだ」


 あの優しい、優しすぎて過保護なくらい子どもに甘いおばさんが?


「それって、悠斗がやらないといけないことなの? おばさんは、そんなに重そうな量の買い物を子ども一人に頼んだの? 学校の帰りに?」


 気づけば、わたしは壊れて制御を失ったロボットみたいに、矢継ぎ早に質問を浴びせかけていた。


「……ない」


 悠斗は、ただ一言。


「……え?」


「柚花には、関係ない」


「……」


 それを言われてしまったら、もうなにも言えなかった。


「さ、とっとと合流して帰ろうぜ。あいつら待ってるぞ」


 それだけ言い残して、さっさと先へ進んでいく。なにかから逃れようとするように、なにかを振り払うかのように。わたしたちと悠斗の距離は、みるみるうちに開いていった。


「柚花ちゃん……」


 このみちゃんが心配そうに顔を覗きこんできた。


「……」


 鳴亜梨ちゃんは無言で、繋いだ手に力をこめてきた。


「……行こっか」


 わたしたちは悠斗を追って、横一列に並んだまま店の外に出た。

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