(7) 女子会inスーパーマーケット -A part-

 下校時刻ギリギリまで居座っていた昨日までとは打って変わって、わたしたちは帰りの会が終わると同時に連れ立って教室を飛び出した。


 目的地にはすぐに到着した。学校を出て徒歩五分の好立地にある、ねずみ色の地味な看板が目印のスーパーマーケット。わたしたちは横一列に並んで入口の自動ドアをくぐった。子どもだからって駄菓子屋に行くと思ったら大間違いだ。


 ……本当は駄菓子屋に行くつもりだったんだけど、悠斗の言っていた『用事』とやらにスーパーでの買い物も含まれていたようで、そこならみんなで一緒に行けるという流れに。自然、みんなのほうが悠斗のスケジュールに合わせるかたちとなった。


「あっ!」


 カート置き場にさしかかったところで、ふいに鳴亜梨ちゃんが足を止めた。


「ねえねえ! あたし、あれ乗りたい!」


 鳴亜梨ちゃんはショッピングカートを指さして言った。


「ねえっ、柚花も一緒に乗ろうよ〜」


 ぐいぐい腕を引っ張られる。いや、遊園地に来たんじゃないんだから。


「いいから、行くよ」

「えーっ! あれ乗りたいっ、あれ乗るの〜! もうっ、このみの意地悪!」


 このみちゃんは慣れっこな様子で駄々っこの鳴亜梨ちゃんを引きずっていく。「待ってよぉ〜」わたしはぶりっこしながらあとに続いた。


 もうすぐ夕食時だというのに、店内は比較的空いていた。


「あんまり人いないね! 儲かってないのかな!?」


 一瞬で機嫌を直したらしい鳴亜梨ちゃんが大声で言う。このみちゃんが掴んでいた手をぱっと離して素早く距離をとった。


「内装も外観以上にボロいし、なんかじめっとしてて汚い……」


 わたしもつられて頭に浮かんだ感想をそのまま口に出してしまった。


「配置も最悪だな。レジ横にガムを置くように、肉横にはタレを置くだろ普通。あ、今日は生姜焼きにしようかな、ってナチュラルに思わせろよ」


 さらに悠斗が主婦の目線から鋭く斬りこむ。


「店員の業務態度も悪そうです。どうせレジ打ちの合間にちまちまナンクロとか解いてるんでしょう」


 最後にメガネが根拠のないイメージで批判した。


「もしかして、よく来るの?」


 やけにシャープな目の付けどころだったためそう解釈したのだろう、このみちゃんが何気なくメガネに問いかける。


「はじめてですけど?」


 しかしそんなこのみちゃんに対して、メガネはあろうことか半ギレで答えてみせた。なかなかできることじゃない。わたしは素直に尊敬した。


「あー!」


 そんなときだった。なにか珍しいものでも発見したのか、鳴亜梨ちゃんは目をキラキラさせながら店の一角に向かって突進していった。保護者ストッパーのこのみちゃんは完全に他人のふりに徹しているので、仕方なくわたしが後を追う。


「わあ! ホウレンソウだ!」


 はじめて動物園に来た子どもみたいに、鳴亜梨ちゃんは無邪気にはしゃぐ。


「ねぇねぇ柚花も見て見て! あははっ、すっごい青々としてる〜」

「うん、すごいね」

「あっ! あっちにはパイナップルもあるよ! 行こっ」


 手を掴まれ強制連行されるわたし。

 鳴亜梨ちゃんは食い入るようにパイナップルを見つめた。


「うわ〜、すごい! 触ってもいい?」

「いいよ」

「ちょんちょん。いてっ。つんつん。いたっ。あははっ」


 楽しそうでなによりだ。


「おーい、おまえら! 油売ってないでとっとと用を済ますぞ」


 悠斗からお呼びがかかる。見ると、みんな立ち止まって待ってくれていた。


「うん、今行く! 鳴亜梨ちゃんも――」


 行こう? とは言えなかった。手を引こうと絡めた指を、優しく振りほどかれてしまったからだ。


「あたしはここに残るよ」


 さっきまでの笑顔が嘘のように、鳴亜梨ちゃんはひどく真剣な面持ちでそう告げた。


「柚花とは、ここでお別れだね?」


 向けられた微笑みは、なぜだかとても儚げで――。


「……どうして」

「え?」

「どうして、そんなこと言うの。どうして……」


 そんなに、そんなにパイナップルが気に入ったの?


 わたしは瞳で訴えかける。だが、鳴亜梨ちゃんはどこか自嘲気味に笑って、それからばつが悪そうに目を逸らしてしまった。なにを訊かれても答えない、そんな腹積もりなのだろう。


 しばしの沈黙のあと、鳴亜梨ちゃんは囁くように言った。


「あたし、忘れないから。柚花との思い出。柚花と過ごしたあの夏の日々」


 鳴亜梨ちゃんと出会ってからまだ夏は一度も訪れていない。

 遠い目をして鳴亜梨ちゃんは続ける。


「よくふたりで、濡らしたタニシに砂をまぶして唐揚げに見立てる遊びとかしたっけ。あぁ、懐かしいなあ……」


 明らかに人違いだ。そんな野蛮な真似、わたしはしない。せいぜいコンクリートの壁から削ぎ落としたタニシの卵をおにぎりの具にしていたくらいだ。懐かしいなあ……。


「ねえ、柚花? 最後にひとつだけ聞かせて?」

「なあに?」


 みんな待たせてるんだから早くしてほしい。


 鳴亜梨ちゃんは改まった様子で姿勢を正すと、ゆっくりと、時間をかけて大きく深呼吸をして――そして。まっすぐにわたしの目を見据えながら、一息に言った。凪いだ海のように穏やかな声音だった。


「――パイナップル入りの酢豚はおやつに入りますか?」

「酢豚はおかずだから、入らないよ」

「そう、なんだ……そっか! なぁんだ、残念!」


 沈んだ表情を覗かせたのは、ほんの一瞬。すぐに満面の笑みを浮かべて明るく振る舞う。……そう、振る舞っているに過ぎなかった。空元気のみで形作られたその笑顔には、隠しきれない脆さがどうしようもなくにじみ出ている。いつも笑顔が絶えない彼女なのに、今は笑えば笑うほど彼女らしさを失くしていく。無理をしているのは明白だった。


 かといって、今さら意見を翻すわけにもいかず。

 わたしは後ろ髪を引かれる思いで青果コーナーをあとにした。

 鳴亜梨ちゃんを、ひとり残して。



 お菓子コーナーに着いた途端、真緒くんは陳列棚を舐め回すように隅々までチェックし始めた。


「各自、一人三百円までで好きなものを選んで、食べるときはみんなで分けよう。バナナはおやつに入らない。なにか質問は?」


 平メンバーの悠斗がリーダーのわたしを差し置いて仕切りだす。許せない。偉そうに。


「すみません」


 わたしは質問があったので手を挙げた。


「なんだ?」

「パイナップル入りの酢豚って、おやつに入りませんよね?」

「はあ? おまえなに言ってんだ。酢豚はおかずなんだから、入るわけないだろ。急に鳴亜梨みたいなこと言い出すなよ」

「だよね、よかった」


 さっきはああ断言したものの、段々と不安になってきたのだ。間違っているのは自分の価値観のほうなのではないか? と。リーダーよりリーダーらしい平メンバーのお墨付きを得られた安心感から、わたしの口元は自然と綻んだ。


 ……おや? 悠斗が硬直したようにぼけっとわたしを見ている。


「え、どうしたの? わたしの顔に茶葉でもついてる?」

「なっ、なんでもねぇよ……」


 なぜかたじろいだようにそっぽを向く悠斗。その横顔はかすかに朱に染まっている……。これはあれだな。わたしの笑顔に見惚れていたに違いない。なんてね。

 おおかた体調でも崩しているのだろう。


「ならいいけど。もし具合悪くなったら、お姉さんに言うのよ? 送っちゃうから」

「ああ、本当に大丈夫だから。ありがとな」


 …………。会話が途切れた。けれどそれは、けっして不快な沈黙ではなかった。なぜだろう、心地よささえ覚える。

 ふと視線を感じて横を見ると、このみちゃんがじっとわたしたちを見ていた。


「このみちゃん、どうかした?」

「……仲、いいよね。柚花ちゃんと広見くん」


 そう言うこのみちゃんの表情は、珍しくどこか不機嫌そうに見えた。どうしたんだろう。


「え? そうかなー? 別に普通だと思うけど」

「そ、そうだ普通だ普通! ったく、急に変なこと言うなよな小森!」


 悠斗は慌てたようにわたしに同調する。なにを慌てることがあるんだろう。


「ほら、息もぴったり……ってほどでもないかな。片方はなんだか慌ててるし」

「慌ててなんかねえよ!」

「誰も広見くんのことだなんて言ってないけど」

「こ、こっちだって独り言だけど!? 慌ててなんかねえよ、慌ててなんかねえよ、っと!」


 そんな毒にも薬にもならないやりとりをぼんやりと眺めつつ、思う。このみちゃんはもしかしたら、不安なのかも。悠斗と二人で話していたせいで、疎外感を与えてしまったのかもしれない。反省しなくちゃ。


 わたしは自分の正直な思いの丈を伝えるため、このみちゃんに向き直った。


「うんとね、あんまり意識してなかったけど、悠斗とは幼稚園からの付き合いだし、たしかに仲が良いといえば良いのかもしれないけど。――わたしね、このみちゃんとも仲良しだと思ってるよ? このみちゃんのこと、好きだよ。出会ってからまだまだ日は浅いけど、かけがえのない、大切な友達だって思ってる」


 面と向かってはっきり言葉にしたほうが、きっと伝わりやすい。ちゃんと伝わっただろうか。


「……ありがと。わたしも、柚花ちゃんのことは好きだよ。大好き……。すごくすごく大切に思ってる。……想ってる」

「なら、よかった」

「うん……」


 このみちゃんの頬、かすかに赤い気がする。悠斗といい、今日は風邪引きさんが多いな。あるいはこのスーパーに病原菌が蔓延しているのかもしれない。わたしも気をつけないと。


 ともあれ、わたしは汚れるのを我慢してその場に片膝をつくと、ミュージカルみたいに大仰な仕草で手を差し伸べて言った。


「お嬢さん、顔が赤いけど大丈夫かい? 気分が優れないようなら遠慮なくこのボクに言いつけてくれたまえ。ユーのハウスまで送って差し上げるよ」


 お姉さん風に続いて、今度は紳士風にキメてみた。我ながら完璧だ。と思ったのに、このみちゃんはなぜか吹き出した。


「ぷっ、あはは、変なのっ。……うん、ありがとう。でも、平気だから」

「左様か。ならばせめて、おててを繋いでまいりましょう」


 すっ、と流れるような動きで手を取った。やばい、これはかなり紳士っぽい。


「いやかね?」


 握ってから念のため確認する。いくら紳士とはいえ、やはり相手は年頃の女の子だ(わたしも同い年だ)。恥ずかしくてたまらなかったりするのかもしれない。それにしても小さな手だ(わたしと同じくらいだ)。


「ううん、うれしい……」


 ぎゅっと力強く握り返してくる。


「左様か」


 そう言ってもらえるとわたしもうれしいのであった。

 わたしたちは仲良しこよしと繋いだ手をぶんぶん振り回す。


「そういえば、あいつらはどうしたんだ」


 悠斗が辺りを見回しながら言う。見れば、さっきまで一緒にいたはずの真緒くんとメガネの姿がどこにもなかった。うっかり三人だけで話しこんでしまったようで、ちっとも気づかなかった。


 お菓子コーナーはこの列だけではないだろう。わたしは母に置き去りにされた幼女の気分でありながら、同時に家政婦のような心境で隣の棚を覗き見た。


 案の定、真緒くんはお菓子の山と至近距離でにらめっこしていた。その横ではメガネが床にうつ伏せになってクロールの練習をしている。


 メガネは息継ぎをしながら訊いてきた。


「おう、君たち、かっ。お菓、子はも、う決まっ、たのかね?」


 まだタイミングを掴めていないのだろう、不自然に区切られた言葉が、おちゃめなメガネらしくて笑いを誘った。ふふふ、おちゃめおちゃめ――って!


「しまった! ガールズトー、クに夢、中で選ぶのすっか、り忘れてたー!」

「ふっ、おちゃめだな」


 というわけで、わたし、このみちゃん、悠斗の三人はさくっと目当ての品を選び取ると手早く共有のカゴに放っていく。そうだ、ついでだから鳴亜梨ちゃんのぶんも三百円分、適当に見繕って入れておこう。チョコあ〜んぱんを三箱でいいや。


「おまえらは?」


 未だに一つも選んでいない様子の真緒くんたちに悠斗が問いかける。


「う〜ん、ちょっと待って。三百円の制限がネックなんだよね。大きいのをどーんと買うか、はたまた小さいのをこまごまと買うか……う〜ん」

「僕もちょっと待ってくれ、これが終わったら選ぶよ」


 バタ足しながら答えるメガネ。水を蹴るように床を蹴るたび、どすどすと鈍い音が響き渡る。痛そう……。それに床が汚い……。明らかに掃除が行き届いていない。帰ったらしっかり足湯しないと。


「じゃああのさ……悪いんだけど俺、自分の買い物も済ませてきていいか?」

「うん。行ってきて、悠斗くん。ぼくはまだ決まらないから」

「おう。行ってこい、広見。僕は二十五メートル泳げるようになっておくから」

「ああ……悪いな。……おまえらはどうする? ここにいるか?」


 わたしたちに振ってくる。


「うーん、なんなら共にまいりましょうか?」


 もう特に用はないし、と紳士モード(継続中)で答える。ついていくのもやぶさかでない。が、


「そ、そうか。来るか?」

「ね、ね、柚花ちゃん。わたしたちはほかの場所見て回らない?」


 悠斗を背中で押し退けるようにして、このみちゃん。


「え? うん、じゃなかった、うむ。別に構わないぜよ」


 予定変更。せっかくの機会だし、今よりもっと親睦を深めるのもありだろう。


「やった〜」

「そ、そうか……」

「そういうことになったでござる。すまぬがお主とは行けない」

「ああ、そもそも俺の用事だしな。じゃ、ちょっくら行ってくるよ」

「待って!」


 駆け出そうとした悠斗を、真緒くんの声が呼び止めた。


「どうした、真緒?」

「……迎えに来てね?」


 捨てられたチワワのように濡れた瞳で見あげて言う。


「ん? ああ。当然だろ?」

「置いてっちゃやだからね? ぜったいだよ?」

「……ああ、約束だ」

「うん……約束!」


 指切りを交わすふたり。そして離れる小指と小指。感動的な光景にわたしは思わず涙した。

 悠斗は後ろを振り返ることなく、小走りで去っていった。にわかに漂いだす解散の空気。


「じゃ、拙者たちもどろんするとしようか」


 紳士らしく、わたしはこのみちゃんの手を引いてエスコートする。

 ふたりでお菓子コーナーを離れるとき、メガネはちょうど上半身裸になったところだった。本腰を入れて練習に打ちこむ気だ。

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