三話 『談笑?』

カナには幼い頃から母親というものがおらず、メイドや執事に囲まれて暮らしてきた。




別にそのことに不満があったわけではない。彼らは皆優しくしてくれたし、不自由なく生活できた。

ただ一つだけ、不満があるとすれば父親だった。




父はいつも仕事ばかりで家に帰らず、たまに帰って来てもカナと話すことなくすぐに出ていくような人だった。




でも、それはしょうがないことだと幼いながらに理解していた。仕事で忙しい父を困らせてはいけないと、使用人からも言われてたし、カナ自身そう思っていたからだ。




父は仕事が忙しいから自分に構っていられないのだと思っていた。だから我慢して父の帰りを待っていればいつかまた話せる日が来ると思ってた。

しかし、それは過ちだった。間違いだった。




父は休みだろうとカナのことを相手にしなかった。なら、カナ自身が近づいていくしかないのだが、それをすると父は決まって、『俺は疲れている。用なら透くんか……あいつらを言え』と、言って相手にしてくれなかった。



その時はまだ幼かったこともあり、我儘を言った。いやだ、自分の相手をしてくれ………と。が、結局は聞いてくれず、無視された。




そんなことが続くうちに、カナは父のことを好きになれなくなっていた。

父が自分のことをどう思っているのかわからないけど、少なくとも愛されていないことはわかっていた。



それが嫌だった。悲しかった。辛かった。苦しかった。だから無償の愛をくれる使用人や透に甘えていた。



特に透にはカナに優しくしてくれたからその優しさに恋をした時にはもうカナは父に関心を向けていなかった。

透と一緒にいる時は幸せだった。楽しくて嬉しくて毎日が輝いていた。



そして透の計らいで今の学校にも通うことができ、友達と呼べる存在ができたし転校早々やらかしたと思っていた事態も特に何も噂されることなく、平和な日々が続いている。



たった一つのことを除けば。



「……来たか」



久しぶりに聞いた低い声。愛しさもなければ温かさもない冷めきった声色。

昔はあんなに聞きたかったはずなのに今では嫌悪感しか湧かない。



「お久しぶりです。お父様」



目の前にいる男性。彼はカナの父親であり、この家の主でもある。

カナの父の名前は石田京介。大企業の社長だ。仕事は有能だが性格は冷酷非道。



人を切り捨てることに躊躇しない男として有名だ。それは会社の利益のためならどんな手を使ってでも成し遂げるということ。



社長としては有能だが父親になるにはとことん向いていない男。それが彼に対する周りの評価だし、カナ自身もそう思う。



何せ、カナは父に誕生日プレゼントなんて貰ったことは一度もなく、会話すらまともに交わしたことないくらいなのだから。

今だってこうして話しかけられたことに少し驚いていたりする。



昔ならこんなことはなかったはずだ。きっと何か企んでいるに違いない。

警戒していると、



「お前を呼び出したのは他でもない」



先に父親が口を開いた。

その表情からは何を考えているのか読み取れないが、良いことでないことだけは確かだろう。

思わず身構えると父親は静かにこう告げた。



「お前に婚約者ができた」



淡々と発せられた言葉の意味を理解するまでに数秒の時間を要した。あまりにも急すぎだったから、とかそういう訳ではない。



聞き間違えかも、というあり得ない可能性を考えたからだ。間違いに等しく、あり得るはずのないことを願ったがやはり現実は無情だったようだ。



「………もう一度言ってくださいます?」



「だから、お前に婚約が決まったと言ったんだ」



悪びれもなく、父親がそう言った瞬間、カナの中でブチッ! という音が鳴った気がした。

それは血管が切れる音だったり、堪忍袋の緒が切れたり、色々な意味で限界に達した時に起こる現象である。

つまり、今のカナはキレていた。それも今までで一番といっていいほど。 



しかし、カナもこの可能性を考えていなかった……というわけではない。元々父親は強引な人だとは思っていたし、父親がカナの意思など関係せず、無理矢理婚約の話を進めている可能性なんて少し考えればわかるものだ。



だけど、カナはまだ高校生。いくら結婚出来る歳でも流石に高校卒業するまでは待ってくれるだろう、と何処かでそう思っていた。……そう思っていたのに…



「何で!そんな大事なことを!!もっと早く言わないのですか!!」



怒りに任せて叫ぶように問う。

それに対して父親は平然と答える。



「なんだ?俺に文句があるのか?」



「嫌です!私は!まだ高校二年生ですよ!?それに私の好きな人は……!」



「お前は透君が好きだろ?それぐらい知っている」



「っ……なら、どうして私にそんな話を持ってきたんですか」 



透が好きだと知っていたくせに何故自分なんかに婚約を持ちかけてきたのか。理解できなかった。

すると、父親は呆れたような溜息を吐いてからカナを見据えた。



「透君がお前に振り向くはずがない。そんなことはわかりきっていることだ。いい加減諦めたらどうだ?」



そんなことを言われてカチンときたが、確かに父親の言う通りなので言い返すことができなかった。



それでも……例え叶わない恋でも……簡単には捨てられなかった。



好きだから。愛してるから。

そんな理由でこの想いを捨てることは許されない。

透への気持ちは本物で誰にも負けないと自負できる。だからこそ、この気持ちは簡単ではない。



透のことが大切で大好きで愛おしくて。ずっと一緒にいたいと思うのに……それを父は簡単に否定した。カナの透に対する思いが偽りだと言い切ったのだ。

その言葉がカナの心に重くのしかかってきた。



「透君はお前のことを好きにならない。それは揺るがぬ事実だ。どんな運命を辿ったとしても透君はお前を――」



「ええ!分かってますよ!お兄ちゃんは絶対に私を好きにはならないってことは!そんなことは昔から知っていますとも!よくわかってますとも!お兄ちゃんが私のことを妹として見ていることなんて最初からわかっていたことですし!」



「……だったら……」



「でも、諦めたくない!お父様の言う通り、お兄ちゃんは……絶対に私のことを見てくれない。けどね、私はこの恋を諦められないんですよ……この恋だけは……!」



いつの間にかカナは涙を流していた。

目頭が熱くなり、頬には涙が伝っていく。

カナにとってこの恋は何よりも大切な初恋なのだ。

最初はただ優しいだけの人だった。

自分の従兄妹で、いつも優しく接してくれていた。



初めて会った時はその優しさに甘えて我ままも言ってしまったし、迷惑もかけた。

けれど、彼は優しく受け止めてくれた。



その笑みに、優しさに救われていた。

だから好きになった。

そして、その優しさに触れていくうちに彼の本当の笑顔を見たくなった。

もっと彼を知りたいと思った。

そして、気がついた時には彼に恋をしていた。



『従兄妹』ではなく、『女の子』として見て欲しかった。

でも、それは叶わなかった。

彼からすれば自分は従妹であり、子供にしか見えない。それは仕方のないことで、当たり前のことなのだ。



だが、カナはその現実を受け入れられなかった。

いつか彼が自分を一人の異性として認めてくれる日が来るのではないか。そんな淡い期待を抱いていた。



しかし結果は……



「馬鹿な娘だな。でも、パーティーには絶対に出ろ。透君も来るらしいからな」



「……はい」



結局こうなる。これ以上カナが何か言ったところで父親が意見を曲げない、ということは分かりきっているから俯いて頷くことしか出来なかった。

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