10-2

「なんだかんだ卒業のときは近い」

 教室で、いつもの女子たちと隆太。翼の発言に乃梨子が応じた。

「それより年末でしょ」

「まあね」

「例の賞は取れた?」

 ふふん、と、翼は鼻を鳴らした。

「佳作です」

「すごいじゃない!」

「目指すは大賞! ていうか作家デビュー! 今年に入って光くんと出会ってあたしのインスピレーション膨れまくりよ!」

 光。

 翼は小さくガッツポーズを取った。

「亜弥は? 彼氏できた?」

「私の恋愛事情なんてどうだっていいでしょ」

「過去の恋は振り切らなきゃダメよ」

 過去の恋。

 ––––恋?

「だから和洋のことなんてどうだっていいんだってば……」

 和洋。

「それにしてもカズくんもなんかだいぶ明るくなったよね〜」

「和洋は暗くはないと思うけど」

「それはそうなんだけど、肩の荷が降りた感じっていうの? お医者さんじゃなくて建築家になりたいって聞いたときびっくりしたけど、本当にやりたいってことの夢があっていいじゃないっと思ったもんね」

「夢っていいよね」と、乃梨子。「今日も頑張ろうって思うもの」

「乃梨子、なんかなりたいもんとかあるの?」

 という隆太に、乃梨子は、う〜ん、と唸った。

「それがそういうこともなくて。とりあえず大学には行くとして。わたしもなにかなりたいものできるかな」

「それを探すために大学に行くんだろ?」

「モラトリアムだね」と、翼は笑った。「なんかいい夢見つかるといいけど」

 夢とはなにか。

 自分の夢は。

「夢というか、このまま毎日のんびり過ごせたらいいと思うよ」

「でも乃梨子はそういうけど、もう卒業だからこのままってわけにはいかないでしょ」

 このままってわけにはいかない。

 もう、卒業だから。

「亜弥はリアルだなあ」

「いつまでもファンタジーではいられないよ。もう私たち成人なんだし」

「でもそんなの社会の枠組みに過ぎない」

 あるいは、社会の枠組み––––。

「でも、だからこそ重大なわけでしょ」

「まあね。人間社会で生きる人間だからね。ところで千歳、さっきからなんか黙ってるけどなんかあった?」

 四人が一斉に千歳に注目する。

「え?」

 しばし沈黙。

「え、別になにもないよ。穏やかな朝だなあと思ってみんなの話聞いてた」

「おばあちゃんみたいなこと言ってんな」

「誰がおばあちゃんだ」

「おはよー!」

 と、そのとき光と和洋がやってきた。

 一瞬、千歳は光から目を逸らす。

 ––––それに気づかない光ではない。

(あ)

 だが気づかない振りをした。

「おはよう光くん。萬屋くんもおはよう」

「おはよう」

 可能性は常にあった。

 それでも、この三角関係を維持していれば可能性は可能性のままだった。

 そのはずだった。

 だから自分は、

「今日もいい天気で」

 翼は笑う。

「おじいちゃんみたいなこと言ってんな」

「おれ、ロマンスグレーのおじいちゃんになりたいぜ」

「お、いいね! クロニクルものいいかも!」

 怖れていた事態が遂に起こったのだろうか。

 いまはまだ可能性に過ぎない。

 たまたま、和洋と千歳に同時に異変が生じているだけで、それは二人には関係のないことで、そして自分とも関係のないことであるという可能性がある。

 ……その可能性に縋っていられるような余裕を、光は感じていなかった。

 一足飛びの考えすぎ––––そんな余裕は、光にはない。

 いままでだって、ずっと、なかった。


 学級委員としてホームルームを進めている最中、光はずっと和洋と千歳が気になっていた。

 二人の距離感に変化が生じている。

 そして、二人の自分への距離感にも変化が生じている。

 他の人たちでは気づかないだろう。この一年間ずっとトリオだった自分だからこそ気づける微妙な変化。

 これは、もう、これでは決定だ、と、光は確信した。

 それでも表面上はいつも通り学級委員としての仕事をした。自分は書記としての仕事に専念することが多かった。だから、自分は書記としての仕事に専念する。

 できるだけ二人の顔を見ないように。

 それでもどうしても二人の顔を見たかった。

 ふと振り返ったとき、二人は

 それでも––––受け入れられなかった。

 受け入れたくなかった。

 ずっと考えていたことを。

 自分がずっと考えていたことを。


 ホームルームは何の問題もなく終わった。

 別におかしなことではない。普通の高校生の単なる日常だ。

 だが、仁は気になっていた。

 同じ同性愛者として、それを知っている仲間に対しての異変に気づいていた。

「北原」

 トイレに行くために廊下に出た光に仁は声をかける。

「なにジン先生。おれトイレ行きたいんじゃが」

「……」

 仁はなんと言ったらいいのかわからないし、教師の自分が介入することではないと思っていた。だから、介入はしない。それでも同性愛者としてどうしても介入したかった。

 だがそうもいかない。自分がゲイであることが他の人間たちに暴かれてはならない。それは自分が安全な日常を過ごすために必要不可欠なことだった。

 だから、どうしても光を助けられない。

「なに? どしたの」

「いや。なんだか今日は真面目にホームルーム進めたねっと思ってね」

「おれもたまにはジン先生の瞳を見ていたいときがあるのさ」

「そうか」

 仁もいつも通りではない。

「もういい?」

「ああ、すまんね。ちょっと、なんとなく––––」

 これが教師としての仁の精一杯だった。

「北原が気になって」

 しばしの沈黙。

 光は、ふっと笑う。

「大丈夫。だっておれだもん」

 といって、光は去っていった。

「……」

 仁は光の背中を見る。

 自分がこの学校の教師でなければ、確実に光に注意を促していただろう。だがそうはいかない。なぜなら自分はこの学校の教師なのだから。

 同性愛者としての自分だけが自分ではない。

 それが、教師として––––大人として、仁は不甲斐なかった。


 トイレに入り、光は個室に入って鍵をかけた。

「……」

 仁にも異変が生じている。

 自分になにかを言いたそうにしていた。

 光は思う。

 先週末、期末試験を終え、学級委員の仕事をパスして帰ったのち、三人になにかあった。

 なにがあった?

 そんなの––––決まってる。

 光の目は暗かった。

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