1-4

 放課後。ホームルームを終え、生徒たちはそれぞれ部活なり帰宅なりで教室を出ていく。

 光も荷物をまとめ、帰路に着こうとしていた。光は帰宅部で、予備校などに通っているわけでもない。このまま家に帰るだけだ。

 ふと和洋の方を見ると、彼と目が合った。

 和洋は光に、うん、と、微かにうなずいた。光も、頑張って、というつもりでうなずく。やがて光は教室から出ていった。

「さーて帰ろ。今日は部活なしだもんな〜」

 と、千歳も帰宅の準備を始める。光と一緒に帰ればよかった、と、千歳はちょっと後悔する。結局、今日一日あまり光と関われなかったなあ、と、千歳は思う。光になにか思うところがあったようで、どうも話しかけても反応が薄い。もちろんきちんと反応してはくれるのだが––––やはり、こういう場合の二人が友達になるというのはちょっと難しいのかなあ、と、なんとなく千歳はそう思っていた。それでも、自分は今のところ光の秘密を知っている唯一の存在であるようだし、なにより打ち明けてくれた。自分は彼に対してなにか力になれればいいのではないか、と、そう考えていた。

 が、とにかく今日は帰るしかない。料理部は今日、顧問の教師が休んでいたため休みとなっていた。

「あの、大黒」

 と、和洋がいままさに帰ろうとしていた千歳に声をかける。

「なに?」

 どうしても声が冷たくなってしまう自分に気づいてはいたが、どうしてもこうならざるを得ない。なんといっても自分の恋のライバルなのだ。

「あの、ちょっと話が」

「話? あたし、ないよ」

「い、いや。あの。俺はその、あるんだけど」

 この男はどうしてこんなにびくびくしていいるのだろう、といつも千歳はそう思う。他の友達たちと比べてどうも自分に対して怯えたような態度を示している。別に、他の友人たちに対しては堂々としている、というわけでもなく、なんとなくいつも自信なさげなのはそうだったから、なんとなく人間関係が苦手な男なのだろうかなどといった評価を千歳は彼に下していた。

 萬屋和洋は現在の生徒会長で、成績優秀、運動神経抜群、陸上部主将で、顔が格好いいところもありなかなかの有名人で人気者だった。親が医者だそうで、本人も医者を目指し医学部進学を希望しているのは知っている。とにかく“できる男”である。しかしその割にはなんだか弱々しい。それがなんだか千歳にはあまり好感が持てないところだった。中三のころ、亜弥と短期間付き合っていたというぐらいの情報しか彼のことはあまりよく知らない。あとは目が悪くて眼鏡をかけている、というぐらいだろうか。とにかく千歳にとって例えば光と比べてあまりにも優先順位の低い男子だった。

 和洋は千歳と向き合った。勇気を出せ和洋、と自分に言い聞かせているようだった。

「とにかく、話があるんだ。ちょっと、聞いてほしいんだ。お願いします」

「はあ。まあ。うん。いいけど」

 じゃあね、と、四人は千歳から離れていった。亜弥はどこか納得いかなさそうで、翼はどこかにやにやしていて、乃梨子はどこか期待しているようで、隆太はどこか興味を持ってしまいそうになる自分を戒めているようだった。四人それぞれの反応がなにを表現しているのかわからず、千歳はやや困惑する。

「で、なに?」

「え、えーと」

「早くしてほしいんだけど」

「え、えとね。そのね」

 イライラしてくる。別に和洋のことが嫌いなわけではない。ただ、彼について知っている情報として、亜弥を“なんだかよくわからない理由で”振ったということを知っている千歳は和洋に対して不信感があった。なんといっても大切な友達なのだ。その友達を本人に理解も納得もしにくい理由で振るだなんて男らしくない、とそう感じていた。少なくとも亜弥から聞いた話ではそういった印象しか彼には受けなかった。

 もじもじしている和洋にイライラが増していくのと比例して、教室からクラスメイトたちは全員出て行き、やがて二人だけになった。

 このタイミングを見計らっていた。

 和洋は、話し始める。

「実は」

「だから、なに? あたしも暇じゃないんだよね。いろいろやることやりたいことあるし」

「ご、ごめん。でも大事な話で」

「じゃあ早くしてくれないかな」

「ご、ごめんね」

「だからごめんじゃなくて……もう呼び止められて十分も経ってるし……」

 だからといってここまで嫌悪することもないだろう、と、千歳は自分の態度の悪さを反省はしていたが、亜弥のこともあるが、なんといってもいま目の前にいる相手は恋のライバルなのだ。自分の宿敵といま千歳は向かい合っている。このままこいつをボコボコに倒せば北原くんはあたしの方を振り向いてくれるのかしら––––と一瞬思ったが、いや、そういえば光は男の子が好きだったんだな、と思い、やっぱり自分の恋は叶わないようにできているようだな、と、どこか諦観していた。そしてその諦観具合が、いま目の前にいるこの弱々しい男に攻撃性として表れている。よくないな、と反省はする。が、しかしそれにしてもどうしてこの男はいつも自分に対してびくびくした態度で接してくるのだろうと単純な疑問もそこにあった。

 そんなことを考えている千歳の心理を知ってか知らずか、しかしいつまでもこのままでいるわけにはいかない、と思い––––が、和洋としては、こうやって千歳に責め立てられるのも悪くないなあ……と心の中でなんとなくにやにやしていた。いま、目の前にいる大事な女の子が、自分を攻撃している。俺より強い女子。感動的だ。もっといじめてください……とまではさすがに思わないまでも、それに近いぐらいの気持ちが和洋にはあった。いや別に彼がマゾヒストなわけではない。マゾヒストなわけではないが、好きな子に責め立てられるのも悪くない、と思っているのも確かである……。

 が、しかしそんな自己分析はさておき、と思い直し、やがて意を決して和洋は、言った。

「あの。俺––––ずっと、大黒のことが好きだったんです。俺と付き合ってください」

 という告白真っ只中のとんでもないタイミングの中、がらっ、と教室のドアが開き、そこに現れたのはなんと光だった。

 教室内三人の時間が停まる。

「あ、ごめんなさい」条件反射的に光は謝る。「忘れ物を……」

 そそくさと自分の席に戻り、机の中をまさぐる。そんな様子を見て和洋も千歳も呆然としていた。

 いま、告白をされているのを聞かれた? だよねこの至近距離でこのタイミングだもんね。そう思い千歳は頭を抱えそうになった。違うの。この男が一方的にあたしに告白してきてるだけで、昨日の今日で新しい恋をしようとしているわけじゃないの、そう弁明しようと思ったがいくらなんでも不審すぎる。千歳はどうしたらいいのだろうと心の中であたふたしていた。

 あたふたしているのは和洋も同じようだった。なんといっても自分の告白シーンを目撃されたのだ。自分の大切にしている恋心の吐露を他人に聞かれた……光に対して怒りの感情こそ湧かなかったが、ただ、呆然としていた。

 とにかく和洋にとっては光がさっさと教室から出ていくことを願うばかりだった。和洋も頭を抱えそうになるが、どうせ一瞬の出来事だ、と思い、とにかく時間の停止を耐えた。

 耐えようとしたのだが、そのとき千歳は、あることを思いついた。

「じゃあ」

 と言って去ろうとした光を、千歳は、待った、と言って呼び止めた。

「な、なに?」

 光にはいてもらった方が効率的だ。自分は振られたからといって即座に恋をしようとしたわけでもないということを伝え、かつ同時に和洋の告白を断る。一石二鳥である。

「萬屋くん」

 と、千歳は和洋と向き合った。

「は、はい」

「あたし、好きな人がいるの。だから、ほんとに申し訳ないんだけど、ごめんね」

 幾分か声を柔らかくしようと千歳は努力した。さっきまでの刺々しい対応を光に見られたら自分の好感度はダダ下がりだ。

 すると、和洋は言った。

「知ってるよ。北原が、好きなんだろ」

「––––」

 しばし千歳は和洋がなにを言っているのかよくわからなかった。弱々しい男が弱々しい声で弱々しく何事かを言っている。自分が好きな相手を知っている––––。

 瞬間、千歳は激昂した。

「なんで知ってるの!?」

 和洋は怯える。

「だ、だって今朝、石川たちと話してただろ」

「盗み聞きをしてたの!?」

「ち、違うよ! 俺の席こっちだろ、こっちに俺座ってればどうしても聞こえちゃうよ! たまたま聞こえちゃっただけで盗み聞きじゃないよ!」

 一応、論理的説明ではある。

 ではそれで納得してやろう、と、千歳は自分を落ち着かせた。

「ああ、そう……じゃ、わかってるでしょ。あたしとにかく他に好きな人がいるから、だからごめんなさい」

「だ、だって、北原には振られたんだろ?」

 なにかの糸がぷつんと切れる。

「それが君に関係あるの!?」

「え、えと」

「振られた直後の女を優しくしてやれば自分の方に振り向くと思ってたの!? 最低だね!」

「ちょ、ちょっと待って、俺、別にそんなつもりじゃ」

「あたし帰る!」

 と、千歳は光の方へと歩いていった。

「ごめんね北原くん。なんかみっともないところ見せちゃって」

「え、あ、いや、その」

「よかったら一緒に帰らない? いろいろ話できたらいいなーって」

 急激に優しげな声に変化している千歳に和洋は愕然としていた。

 なんといっても自分の一世一代の愛の告白が、下心があっての行動だと思われたのだ。こんなショックなことはない。自分は一体何のために生まれてきたのだろう。和洋はなんだか笑いたくなってきた。自分のこの二年間の片想いの物語の結末はこんなものなのか、と、和洋はまさに笑いたくなり、涙を流したくなった。

 ところが、光は。

 どこか切なそうだった。

 千歳は、おや、と思う。切なそうになる要素がいまの和洋とのやり取りの中にあっただろうか、と思う。

「あの。萬屋くん」

 と、光はおずおずと和洋に声をかけた。それはどこか自動的な動きに千歳には見えた。

「なんだよ」ぶっきらぼうな声になってしまう。なんといってもいま自分に話しかけている男は自分の恋のライバルなのだ。和洋はある種攻撃するようにもう一度言う。「なんだよ」

「おれ、萬屋くんが好きなんだ」

 ––––。

 教室内の時間は、まさに停止していた。

 和洋も千歳も光も止まっている。

 光は、自分がいまなにを言っているのか、よくわからなかった。よくわからなかったが、どこか達成感と、そして大いなる後悔が生まれていた。

「ごめんね」

 と、光は軽く頭を下げる。

「え?」

 と、和洋は目を丸くした。

「それじゃ」

 去っていく光を千歳は追いかける。このまま放っておくわけにはいかない、そう思って。

 和洋は教室にひとり残され、頭を抱えた。

 やがて、和洋は、あまりにも苦しそうな表情で、ひとり呟いた。

「……ごめんねってなんだよ……」


 正面玄関で靴を履き替えながら、光は、まずいなあ、まずいなあ、と連呼していた。その様子を見て千歳はこれは無視しているわけにはいかないと思い彼に声をかける。

「北原くん?」

「まずいなあ、まずいなあ……」

「きーたーはーらーくん?」

 やや大声を出してみる。すると光はこれもまた自動的なように千歳の方を振り返る。とんでもなく憔悴していた。いまにも泣きそうだった。

「あ、大黒さん……」

「なんか、すごい疲れてるね」

「まずい、まずいなあ、まずいなあ……」

「なにがまずいの? あたしでよければ聞くよ?」

「いや、その、まずい……」

 と、光は大きくため息を吐いた。

「おれも好きな人に、好きだって言いたいよって思って、つい、言っちゃった」

「え」

 靴を履き替え終えた光は、そのまま玄関から外に出ていく。

「まずいなあ、まずいなあ……」

 連呼は止まらず、やがて遠くに行ったころ聞こえなくなった。

 千歳は呆然と、ぼんやりと、その場に立ち尽くす……あたしはいま、この地球上で、ただひとり戦う恋する乙女。恋する乙女に戦いは不可欠。

 戦うとは具体的に?

 やがて千歳も––––帰路に着く。

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