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 ドリンクバーを二つ頼み、早速二人は飲み物を取りに行った。千歳は烏龍茶、光はメロンソーダ。

 席に着き、二人はそれぞれ飲む。

 千歳は光を見る。

 光はおとなしい男の子で、いつも真面目に授業を受けている。成績はお世辞にもいいとは言えなかったが、掃除などサボることなくいつも一生懸命していた。それが千歳には好印象だった。しかしそもそも自分と同じ進学クラスにいるのだ。何か夢があるのだろう。とてもいい。友達がいないことはないようだったが、例えば自分にとっての亜弥のように密接に付き合う友達はあまりいないように思えた。もう入学してから三年目になるというのにそれが千歳には奇妙に映っていたのは事実である。

 高校生活で、光はあまり目立たないようにして過ごしているのではないか、と、千歳はなんとなくそう思っていた。なにか事情があるのか、それとも自分の受けた印象通り単純にそのおとなしさが由来なのか。とにかく、千歳は高校生活を過ごしずっと見てきた割には光のことをあまりよく知らない。それでも入学早々恋愛感情を抱き、それがちょうど丸二年である。単純に勇気が出せなかったのもあるが、光に接近する機会自体があまりなかったのだ。それだけ光は周囲に埋没していた。

 だから、亜弥たち友達グループ内で光への好意を話したら、みんなびっくりしていた。千歳はどちらかといえば目立つ少女で、“隠れファン”も多い。その千歳がおとなしい少年の光を好きになるとは何事だろうとみんな根掘り葉掘り訊いた。そしてその理由を話すと、みんな納得はするのだがいまいちぴんとこない、といった顔を見せていた。ただ、千歳がちょっと変わった子であることは中学生のときから一緒の土橋乃梨子どばしのりこ始め高校生になってから仲良くなった亜弥たちにはわかっていたことだったので、変わった女の子は変わった恋愛感情を持っているのかな、と、周りはみんなそのように受け止めることにしていた。それだけ彼女たちにとって目立つ少女が地味な少年を好きになるということは意外なことだったのである。

 しかし、友人たちがどういった感想を抱こうが、この恋愛感情は確かな感情である。千歳は対決のときを迎え、緊張していた。烏龍茶を飲む。そして、コップをダン! とちょっと強めの音を出して机の上に置いてしまったことを後悔した。光はややびっくりした。それはもちろんびっくりするだろう、と、千歳は自分を恥じた。

「ごめん。大きな音立てちゃった」

「いや、別に」

 と、訝しそうな目をしながら光はメロンソーダを飲む。

 千歳は多少せっかちな面があるが、告白という儀式は順繰りに進めなければならない、と、そう考えることはできていた。

 しかし、なかなか行動に移せなかった。なんといっても千歳はこれが人生初の愛の告白なのである。光と大した関係性が築けていない以上、光にとっては寝耳に水だろう。いきなりだとびっくりするかもしれない。しかし、いまさら関係性を築くことができるはずもない。千歳は光の目をじっと見つめる。光は、自分は大黒千歳に対してなにかまずいことでもしたのだろうか、という気分になってきていた。ということが千歳にもわかったので、千歳は光から目を逸らし天井を見上げる。

 いくらなんでも挙動不審すぎる。そう自覚ができるぐらいの余裕は千歳にはあった。そう、だから、もう動かなければならない。

「あの、北原くん」

 と、千歳は光と向き合った。

「は、はい」

 光はやや怯えているように千歳には見えた。いや怯えさせようとしているわけではない。別に取って食おうと思っているわけではないのだ。と弁明しようかと一瞬思ったがそんなことをしたら叶うものも叶わない。そう自制して、千歳は口を開いた。

「実は話が」

「伝票です」

 といって最近彼氏と別れたウェイトレスが不機嫌な表情をして伝票を置いていった。出鼻をくじかれ千歳は彼女に殺意を覚えた。

 去っていくウェイトレスの背中をすごい表情で睨みつける千歳に、光はいよいよ怯え始めた。これはまずい。これはなにか、本当に自分は知らず知らずのうちに千歳に悪いことをしてしまったのだろうかと危機感を覚えた。

 もう限界である。これ以上時の流れに身を任せていては光にとって大黒千歳が不良少女かなにかに思われてしまう。

 そう思って、千歳は一気に言った。

「あたし、ずっと北原くんのことが好きだったの」

 何の脈絡もない告白。一瞬、世界の時間が停止したような気がした。光は目を丸くして千歳を見つめた。そのまま千歳は続ける。

「だから、よかったら、付き合ってほしいな、って」

 よく言った自分、と、千歳は心の中で無数の千歳たちからおめでとうと言われているように思えた。やることはやった。言うべきことは言った。これで自分の目的は達成した。いや、告白という目的を達成しただけで、その結果がどうなるのかは、わからない。わからない。光は目をぱちぱちさせ、口を開いたまま、はあ、と、言った。

「いや、はあ、じゃなくて」

「はあ。いや、ごめんなさい」

「ごめんじゃなくて」

「ご、ごめんね」

 まずい。これでは責め立てている。千歳はいったん身を引き、光の反応を待った。

 やがて、光は口を開いた。

「ありがとう」

 こう言う場合、この感謝の言葉はなにを意味しているのだろう、と、千歳はぼんやりと思った。

「お気持ちは嬉しいんですが」

 嬉しい、と言ってくれている。ぼんやりがさらに進行する。

「ごめんなさい」

 と、光は頭を下げた。

 例えばいまこの瞬間天変地異が訪れたならそれは自分のせいであろう、と、千歳は脳内でふらふらしていた。

 しばしの沈黙。

 光は言い訳をするように言葉を紡ぎ始めた。

「でも、ほんとにありがとう。嬉しいよ。大黒さん、いつも元気いっぱいだから、おれとは住む世界が違うと思ってて。だから、うん、ありがとう」

 光の組み立てる文章がよくわからなかった。何が“だから”でどうして“ありがとう”になるのかよくわからない。そのうち千歳はこれが自分の現実なのだ、これが二年もずっと想い続けていたことの結論なのだ、と、まるで自分が世界を俯瞰で見ているような気持ちになり始めていた。

「大黒さん?」

 自分は荒野に降り立ってしまったのだろうか。目の前にいるはずの光の声が遠くに聞こえる。自分を呼んでいるようだ。そういえば光が自分の名を呼ぶことがいままでそうあっただろうか。ぼんやりと、千歳は光を見つめる。

 光は申し訳なさそうにしていたが、しかしそれより困っている、という表情の方を強く千歳には印象づけられた。なにか困ることがあるのだろうか。自分が彼に告白することは彼が困ることなのだろうか。自分はいったい何のために生まれてきたのだろう。少なくとも恋のためではないようだ。幼いころお父さんのお嫁さんになりたいとずっと夢見ていてそれが叶わないと知った小学校五年生のときにそれまでなにも論理的に説明しなかった父からしばらくの間距離を置いた自分を思い出す。自分の恋はいつだって叶わないようにできているのだろうか。そんなことを考えていたら、どうして自分の恋は叶わないのだろうと若干イライラし始めてしまった。

 別にコップを叩き割ったりしたわけではないのだが、光には千歳が“イライラ”していることが手に取るようにわかり、自分はとんでもない歴史的大罪を犯してしまったのではないだろうかといよいよ怯え始めた。

「あの〜」と、光は千歳に声をかける。「ほんとうにごめんね。でも、ちょっとどうしても無理で」

 ちょっとどうしても無理。

 すかさず千歳は訊ねた。

「他に好きな子でもいるの?」

「え。えーと」

「教えて」

「え。えーと。それはその」

「いいから」

 いつの間にか告白が尋問になってしまっている。確かに聞き方はまずいと思う。だが、こうなってくるとなぜ“どうしても無理”なのかを聞き出さなければならない。自分には女としての、人間としての、存在としての魅力がないのだろうか、もしそうなら絶対に改善しなければならないのである、そう思って千歳は光に迫った。もはや数秒前とは違いこれはまさに“対決”であった。

 光は考える。ものすごく困っている。だがそれを言うならあたしだって困ってる。ていうかあたしの方が困ってる。なんといっても振られた直後に振った人物とまだ一緒にいるのだ。なんとしてでも理由を聞き出したい。他に好きな子がいるのであればそれは実際に仕方がないことだ。とにかく自分にヒト科ヒト属ヒトとして何の価値もないというわけではないということは確認しなければならない。

 数秒の間、二人は世界から切り離されていた。

 そして––––光はやがてため息を吐いた。

「誰にも言わない?」

 そんなにびっくりするような相手に恋をしているのだろうか、と、千歳は身構えた。まさか、まさか亜弥を。そんなバカな。亜弥を好きになるなんてそんなバカなことがあるはずがまるっきり全然まったくあり得ないことのはずだった。高校生活を過ごして亜弥とは親友状態になっていたが恋のライバルとなっていたのなら話は別だ。自分は亜弥を殲滅しなければならない。そういう宿命を背負った二人なら、戦うしかないのだ。恋する乙女に戦いは不可欠。

「うん」と、千歳はうなずいた。「誰にも言わないよ」

「うん……」

 光は一気に憔悴していた。気持ちはわからないでもない。好きな人の情報をいまから話すのだから。そう思って千歳は光の反応をただただ待ち続けた。

 そして、光は言った。

「おれ、会長が好きなんだ」

 かいちょう。

「かいちょう?」

 怪鳥。階調。海潮。

「生徒会長の。萬屋和洋くん」

「––––」

 一瞬、光がなにを言っているのか千歳にはよくわからなかった。

 よくわからない中、なぜか千歳は友達グループの真壁翼まかべつばさのことを思い出していた。翼は生粋の腐女子であった。

「えっ!」

 こんなに大袈裟に驚くことでもないのだろうが、と客観視してしまうほど千歳は大袈裟に驚いてしまった。

 光は一仕事を終えた、一仕事を終えてしまった、といった様子で、極端に疲労困憊に陥っていた。

「だから、要するに」

 そのとき、千歳の脳内は人生最大で高速回転し、やがて––––冷静になった。

「そうかあ。北原くんはゲイなのかあ〜」

 椅子にもたれかかった。自分も疲れてしまった。

 “ゲイ”という単語が彼女の中から出てきたことと、それについて特に否定的感情が生まれていないことを理解し、光は大きく息を吐いた。

「うん。おれ、昔からずっと男の人が好きで」

「そっかあ。そうかあ。じゃあ、仕方がないね」

 じゃあ仕方がない、とは言ったが、だからといって光がストレートだったら自分の気持ちに応えてくれていたという保証もそういえばないんだったな、と、思い、ますます千歳は冷静になった。

「萬屋くんがいいんだ?」

「うん。一年生の春ぐらいからずっと好きなんだ。ずっと好きで」と、光ははにかんでいる。「おれ、会長がすごーい好きで」

 やたらと嬉しそうである。その様子を見て、千歳はなんだか微笑ましい気分になってきた。一年生の春というなら、自分が光を好きになったころだろう。千歳は重大な秘密を告白してくれた光に共感を覚え始めていた。

「へえ〜」

「うん。会長、かっこいいし、頭もいいし、優しいし」

 これはもう自分の出る幕はない。こんなに嬉しそうに好きな人の話をするだなんて。自分も亜弥たちにはこう見えているのだろうか、と、千歳はなんとなく思った。

「じゃ、よかったら、友達にならない?」

 と、千歳は提案してみた。光は、え、と、目を剥いた。

「友達?」

「うん。北原くん、がっつり友達、っていう友達いないっぽいし。亜弥も乃梨子もいい子だよ」

「真壁さんも?」

「翼がなにか?」

「彼女、すごい腐女子だって隠さないでいるから。同性愛のことをいちいち話題にされるのはめんどくさいなって……」

「それは大丈夫。ウザくなったらシメるから」

「は、はあ」

 千歳はにっこり微笑んだ。

「これもなにかの縁だし。ね」

 光はちょっと迷ったが、それでも、自分を振った相手と友達になろう、と言ってくれている千歳を、なんとなくこの女の子はやっぱりいい子なんだな、と、実感していた。

「じゃあ、友達になろう」

「うん。友達になりましょう〜」

 そして二人は友達になった。千歳の中ではそれでもいまだに光に対して恋心があったが、これもそのうち和洋と亜弥のような関係になればいいな、と、そう期待しながら。

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