経済学的オートマトン

夏秋冬

第1話 経済学的オートマトン

経済学的オートマトンは、23世紀の現在では経済学実験に多種多様に用いられているが、それが始まったのは21世紀の中半の頃からで、それまで経済学の実験は困難を極めた。


経済学の諸研究は、その始まりから時代の経済状況とその要因を解析し続けていたが、そこから導き出される具体的な経済政策については諸説が乱立し、経済学者たちは自説の正しさを訴えるだけであった。

政界と繋がり政治家に信奉者を増やすことで、自説を現実の経済政策として実現する者もいたが、そのような学者は限られた存在でしかなく、経済政策の諸説を国家単位で実験することなど前時代には出来るはずもなかったので、経済学者の中で支持された有用だと思われる政策を行うことしかできなかった。


心理学実験のような小規模のものはそれまでも行われていた。少数の被験者を集めて、作られた小規模な経済圏に彼ら被験者を放り込む。そこでの被験者の行動を観察することによって、ある経済システム下で人間がどのような経済的行動を起こすのかといった実験は確かに行われた。しかし十数人の被験者で行われた実験を百人規模の単位で行うと、違う被験者の挙動が見られることは珍しくなく、ましてや国家を模した規模で実験を行えることなどなく、現実の経済モデルに適できる有用な実験が行われることはなかった。


21世紀中半はAI(人工知能)の精度が確立した時代だった。それ以前の初期のAIと呼ばれるものは複雑なプログラムでしかなく、人間の挙動に似た行動をとる、よくできたマネキンのようなものだった。テキストと音声を吐き出す、ディスプレイの中に閉じ込められた妖精のようなもので、ネットワークに存在する情報を継ぎ接ぎして、それらを編集してもっともらしく出力するだけの存在でしかなかった。

21世紀初頭に始まったそれらの技術は次第に進展し、21世紀中半には擬似的な人格と呼んでも差し支えないほどに進化した。経済学者たちはこれに注目した。


経済学者たちは人工知能に人間の経済行動原理をインプットしていった。人間には多種多様な消費傾向があるように、様々な消費行動をとる人工知能を育成していった。そして、そのような様々な消費行動のキャラクターをインプットされた多数の人工知能をそれぞれ独立した計算機の中で稼働させ、計算機をネットワークで繋いだ。人工知能が被験者となってネットワーク上に作られた経済システム下で自由に消費や投資といった経済的行動をとらせる実験が始まった。

この実験は計算機の中の単純なセルで生き死にを繰り返すセル・オートマトンといわれる人工機械を使ったライフゲームの経済学的な実験であると見做され「経済学的オートマトン」や「経済学的ライフゲーム」と呼ばれた。

そしてこのシステムを稼働することで経済学は実験と観測によって得られたデータから理論を修正するという、擬似的ではあるが科学的手法を手に入れたのだった。


初期の経済学的オートマトンは経済学の単純なモデルを再現するだけだった。計算機科学の初期には複雑な物理学は扱えず、F=mαといった単純な物理モデルをグラフィカルに再現するだけだったことと同じである。

しかしやがてネットワークにつながって被験者となるAIの数はどんどんと増えていき、小さな国家単位の人口を模した実験を行えるほどの数になり、以降も増え続けた。そして経済的動原理のインプットについても進化し、現実の知り得るすべてのデータをインプットしていくことで計算機の中の経済圏は現実の経済活動に徐々に近付いていった。


2085年に米国MITの主導で行われた実験は、2008年に米国に端を発したリーマン・ショックを再現しようとする試みであり、この分野での象徴的な実験であった。

実験は計算機内の時計を2000年からスタートさせた。人工知能の暮らす経済圏の時計は実時間の100倍に設定され、実験のスタートから約30日後にネットワークの中でリーマンショックが発生した。その後の経過は幾つかの齟齬はあったものの、歴史に記録された経済的動揺を再現するものとして申し分なかった。経済学者が経済学的オートマトンの運用に自信を持った、事件と呼んでも差し支えない実験だった。

その後は現実のデータをインプットし、その結果が現実の結果と相似するようにオートマトンをチューニングしていった。


この実験の後、22世紀初旬には、経済学的オートマトンは単なる実験装置ではなく、経済の未来を予想できるものであると主張されるようになった。経済学者たちは現実の国民のデータをすべてインプットすれば将来の経済動向が完全に予想できると主張したが、それは国民の経済活動をすべて政府が握ることと同じだった。自由主義者たちは最悪の管理社会だと彼らの主張を批判したが、経済学者たちは、完全な管理によって経済を完全にコントロールすることを夢見てロビー活動を推進し続けた。そのことによって景気の浮沈も貧困も予測できない経済的アクシデントも無くなるのだから人民にとってもその方が幸福なのだという言い分を伝えることも忘れなかった。


この議論は23世紀初旬になった今も続いていて、自由主義諸国は計算機による国民の完全な経済的管理と計算機による経済政策実施には未だに反発が大きい。

しかし22世紀後半に一党独裁の東アジアの国がこのシステムを採用して順調に運用しており、国民の経済的安定は十分に達成されていた。彼の国は既に20世紀から管理社会を実践しており、そのことについての歴史も実績もあり、また国民の反発も少なく、そもそも国民の反発を抑え込むだけの政府の力と制度が整っていた。


自由主義諸国はこれを計算機共産主義と呼び批判した。が、共産主義と計画経済は元々から相性の良いものであった。

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経済学的オートマトン 夏秋冬 @natsuakifuyu

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