第4話 双子の監視者

 寮のシェルターは静かであった。血まみれのぐちゃぐちゃのタオルケットが散乱したままだったことが、ドルベルの奇襲を思い出させた。そして、私が並べた頭部も死臭を醸し出すほど腐っていて、原形をとどめていなかった。私は汚れた戦闘服を脱いで新しいものに着替えて、サバイバルナイフも切れ味が落ちてきていたので取り替えた。食事は思ったよりも残っていて、一人で食べるなら一日一食で三週間分ほどあった。


私はジャックの言うことを聞いて、ただその空間の中で、祖父の手帳を読みながら待っていた。シェルターの空間に私だけが生きているという感覚は、人を殺せないという欲求不満を少し和らげた。


数日後、シェルターのマンホールが開く音がして、私は身構えた。降りてきた人物は二人で、全員宇宙服のように全身を包む重そうな服を着て、背中には透明なシールドを背負っていた。空調のレバーをいじっていることから、熱そうにしていることが見て取れた。


見た目こそ二足歩行をする人間に近い生物に見えたが、別種の生物ならば彼らの生命を犯してはならないと祖父の手帳にあったので、私は臨戦態勢を解いた。別種の生物に無駄な危害を加えれば、無駄な争いがおこることはわかっていたからだった。


私が彼らの内の一人が私に声をかけた。


「君が錦糸くんで間違いないね?」


 私は頷いた。彼らは、自分たちがイギリス政府からの指令で派遣された救助隊であることを明かした。さらに彼らは私の国籍、年齢、住所、今やっていたことなどを聞いてきたのでわかるものを答えた。


 質問を終えた後に、一人が宇宙服の頭の部分のチャックを引っ張って、頭部をむき出しにした。その頭部は予想していた通りの人間のものであった。それが人間のものだとわかった瞬間、私は猛烈な殺人衝動にかられた。彼らが自らの種類を偽って、私から逃れようとしたことにひどく腹が立ったのと、その姿が人間であったからだった。


 私は瞬時にナイフを取り出して、胸倉につかみかかってナイフを振り下ろそうとした。しかし、背後からも人間の気配がしたため、すぐに手を放して右のほうに逃げた。床に手をついて、襲ってきた人間がこちらに向かってきたことを確認した。


重そうな宇宙服を着ていなくても、その襲撃者のスピードは非常に遅く、壁のように大きな図体を生かした大ぶりのパンチは、するりと避けることができた。先ほどの応酬で後ろに回って首を落とそうとしたが、私の動きは襲撃者に読まれていたようで、私が背中に到達したのと同時に体をこちらに向けており、私のサバイバルナイフと彼の長い腕の動きは空中で交差した。


私は太い頸動脈を切るつもりだったが、襲撃者の腕は固く、ナイフがうまく入らず中途半端に切り込みが入っただけであった。その強靭な体に驚愕していた私のスキに、襲撃者はカウンターとして左腕で私の腹を殴りつけた。おかしなことに拳の触感はあったのだが、痛みは全くなく、内臓の血が逆流する感覚もなかった。さらにおかしなことに、私はその拳によって体が空中に浮き、私が殺した下級生の頭部が並べられた壁まで飛ばされて、ボウリングのピンのように頭部がそこら中に散らばった。


したたかに腰を撃った私は、殴られた腹が痛くないことをしきりに不思議がっていた。襲撃者も傷が意外と深いところまでいっていたようで、その場でうずくまっていた。私はそれを殺すチャンスだと思ったが、壁に打ちつけられた衝撃でうまく立ち上がれなかった。足がおぼつかなくても、私は気合で襲撃者の首の根っこまで走った。


座り込んでしまった襲撃者が私に気づくと、血まみれの腕を忘れたように立ち上がり、私がナイフを振り切った時には消えていた。彼は強大な体ながらも跳躍で私の頭上を軽く超えて、先ほどの人間のもとに白鳥のように静かに降り立った。


私は体を奮い立たせ、二人のもとに向かった。


「あはー、まだやるの?」


 戦ってこないほうの人間は至極嬉しそうな顔をしてこちらに問いかけた。私と襲撃者との戦闘を黙ってみていたはずのその男は、その中に参入してきた。


 私はひ弱そうな男のほうを狙った。先ほどの襲撃者には、致死量のダメージを食らう可能性が低かったため、持久戦になると考えたからだ。弱そうな男は防御をするそぶりも見せず、私のほうを見つめていた。その物欲しそうな目は、私を利用しようとする意図が見え透いて、かなり頭にきた。先ほどよりもスピードを上げて、その男の首元にナイフを振った。完全に振り切ったはずであったが、またもや隣にいた大男のもう一方の腕でガードされてしまった。


 私は何とか腕を切り落としてしまおうと力を入れたが、なかなか刃が通らず、そこで硬直状態になってしまった。大男も先ほどけがを負った腕ではカウンターができないようで、根性で踏ん張っているようだった。顔は澄ましていたが、ものすごい緊張感と威圧感を感じた。


「錦糸君、僕のこと覚えてる?」


 命の取り合いの精神のせめぎあいのさなか、弱そうな男は私に声をかけて、私の背中に触れた。女のような指遣いでなまめかしく背中をつついた。


「君の彼女を助けた医者の双子だよ…はあ、君は自分の知り合いを殺せるのかい。さすが」


 私は男の言葉など耳に入らなかった。しかし、突然腕に針で刺されるような痛みが走り、少し力が入らなくなりそうになった。形勢は悪くなりそうだったが、注射の痛みはすぐに治まり、ナイフを体全体で押し込むことができた。


「俺の体に何を入れた‼」


 私は思わずそう口にしていた。口を開くつもりは全くなかったのだが、なぜか口から思ったことが出ていた。注射をした男は横から私に顔を近づけてきて、にんまりと笑った。


「あはは、やっぱり効いたー。見る限り注射の跡がいっぱいあったけど、自白剤じゃなかったんだな。君の性格なら、鎮静剤とか精神安定剤かな?先に打たなくて正解だったよ」


 彼の話から、私に自白剤の注射を打たれたことが推測された。さらに、彼の話からかなり強力な自白剤であり、注射されると隠していることを包み隠さず言ってしまうらしかった。


 私はナイフを引き抜いて、不気味なほどに近かった顔から離れた。


「気持ち悪いんだよ、べたべたくっついてきて」


 私はまた思ったことが口に出ていた。私は発言を押さえられず、反射的に口を押えた。両腕を負傷した男は床にドスンと座り込んで、再び立ち上がらなかった。もう一人の男が傷ついた袖をまくって、簡易的な治療を施していた。その速さは、尋常でなく早く、両腕合わせても十秒もかからなかった。


 治療を終えた男は足のみで立ち上がり、私に向かい合った。私はまだまだ力は残っていたので、シェルターの床を勢いよく駆け出した。


「僕たちのこと覚えてるよね?そんなに印象薄かったかな」


「覚えてるよ、胡散臭い顔を並べてあの爺さん先生に付き従ってただろう。あの時は藁にもすがる思いだったから、あんたたちの気持ち悪さは無視してたよ」


大男は手を使わず足を使って私に攻撃をしてきた。やはり動きは遅く、簡単にすり抜けることができたのだが、その緩急で私の手を読まれてしまい、逆に圧倒されていた。次第に私の体力は減っていったが、大男は全く疲れていないようで、負傷した腕以外の動きは落ちていなかった。


 ついに私はスタミナ切れで動けなくなりそうになり、ナイフを裏に構えて数歩引いた場所に移動した。いつのまにか戦闘担当ではない男が私の目の前に立っていた。


「あんたみたいな虎の威を借る狐が、人を利用して生きる人間が、大嫌いだよ」


「やだなー糸君って、今何歳だっけ。あの子が当時七歳でタメだと思うから、今なら十六歳か十五歳ぐらいか。僕たちは糸君の五つ上だから」


 細男は私の背中を見つめながら言った。そして、私の顔の高さまでしゃがみ込んで耳打ちをした。気色悪い息遣いだった。


「糸君はなんで、人を殺したいの?」


 そういった瞬間に私がナイフを抜こうとしたところ、大男は私の背中をものすごい力で押して床に押さえつけた。腕は腹のあたりに収められ、身動きが取れなかった。答えるつもりはなかったが、頭の中に返答が浮かび上がり、それを押さえられずに口に出した。


「俺の存在意義を奪おうとしたからだ!人を殺さないと、俺という人間は存在できないんだ‼」


 私は男の鼓膜を破ってしまうほどの勢いで心情を暴露した。私の人を殺す理由はきっかけはともかく、それだけであった。人を殺さなければ人間らしい食事もまともに出してもらえず、しまいには同じように育った仲間さえも、平気で殺さなければ人間として認められないという世界で、私の信念は培われたのだと思い返した。


男は意に介さない様子で立ち上がった。それと同時に私を押さえつけていた男も、私から離れた。私はへとへとで手先の一本も動かせないほど疲れ、これほどまでに衰弱したことは今までになかったことであった。


「お前は罪を知っているか?」


 今度は大男のほうが言った。その発言にもう一人の男が言った。


「兄さん、錦糸君がそんなこと教えられていないことを知っているだろう。政府の人が言ってたじゃないか」


 私は体の自由を得ていたが、疲労で動く気力がなかった。彼らは医者の息子であるから、私はまさしくまな板の上のタイになっていた。死ぬことは恐ろしいことであったが、あがくことすらできない間隔はもっと最悪であった。


「君の意図が分かってよかったよ。ふふ。さて、兄さんがここまでの痛手を負うとは思わなかったけど、ここまでは予定通りだ」


「どういうことだ…」


 私は残りの力で反問した。思考はもうろうとしていて、男が何を言っていたのかほとんどわからなかったが、この言葉だけはかろうじて聞き取ることができた。


「君はイギリスの軍に入隊することになった」


 私は意識が途切れて、その後眠ってしまったのか、それとも睡眠薬のようなものを飲まされたのかはわからなかった。おそらく大男に持ち上げられて、シェルターから地上に出たのだと考えている。目覚めたとき私は、見覚えのない部屋のベッドの上にいた。


久しぶりのふかふかの掛布団の感覚は心地よく、自然と心が安らいだ。体の痛みは全くなくなっており、気分もよくなっていた。私が至福の時間を楽しんでいると、部屋のドアが開けられる音がした。


「錦糸、起きろ」


 私は静かな男の声とともに、布団をひきはがされて、寒さから体をシーツの上で丸まらせた。シェルターであった例の大男、志田樹に、眠気眼にいきなり拳銃を突き付けられ、私はぱっちり目が覚めた。引き金に指をあてており、今にも打つ気満々のように見えたため、素直に従わざるを得なかった。


「お前の得物は没収した。ついてこい」


 服はいつもの白い戦闘服のままであったが、右手に隠し持っていた一本と、予備の左腕のもう一本が無くなっていた。たとえ私がサバイバルナイフを持っていたとして、不意をつけたとしても、樹にはかなわないと直感していたため、今の私には扱いようがなかった。


 樹は休憩室の前で、私に自分の着ているものと同じ、くすんだ緑色の制服を手渡して、入って着替えてくるように命じた。その服は戦闘服よりも固い繊維で作られており、着てみると少し動きにくかった。底がすっかり擦り切れてぺらぺらになった靴も、あたらしいスニーカーに履き替えた。着替えて廊下に出ると、樹は私の首輪を指さして言った。


「それは何だ。俺でも外せなかった」


「…首を切られないようにするための装備だよ」


 私は制服の詰襟を閉めて黒い首輪を隠した。樹は、私が白い戦闘服の上から制服を着ていることに気が付かなかったようで、脱いだ服をどこに置いたのかも聞かなかった。そしてさらに、私が胸のあたりに隠し持っていた祖父の手帳も見つかっていないようだった。


 私は樹とともにイギリスの戦闘部隊に配属されることになった。入隊式は地上シェルターの、中枢都市にそう遠くない場所に建設された新しい軍基地で行われた。大きな軍基地は、私の所属することになる基地のほかに、もう一つあるが、そこは政府がもともと管理していた、歴史と国民性を重視するという理念を持っていた。対して新しい基地は、私のようなはぐれものや暴力犯罪者を登用した、戦闘能力重視の理念を持っていた。


 軍隊といっても、大規模な暴動や戦争もない限りは出動することはなく、基地にこもってトレーニングをすることが基本の生活であった。大きめの訓練室に三十人ほどの隊員が集まって、上官の決めたトレーニングメニューを終えれば、一日が終わった。もちろん三食の食事は出たし、筋肉がつくようなちゃんとした料理が多く、体の調子もよかった。少しの休日を取ることも可能であった。


 戦闘の訓練以外にも、隊列や集団行動の練習もあり、私は死にそうな思いで動いていたが、すぐにこらえきれなくなり、たまに周りの人間を殺すつもりで殴ってしまうことがあった。そういったときは、すぐに樹が私に銃を突き付けて制止させ、懲罰房送りにした。私はいくらでも反抗したのだが、樹はひたすら私からの攻撃に耐えるものだから、すぐにばててしまい結局移動を余儀なくされた。上官の首を絞めて殺してしまおうと思ったこともあったが、すぐに樹に銃口を突き付けられて私は動けなくなった。とてつもない屈辱を感じながらも、私は自分の生が樹に握られていることを認識していた。


 懲罰房は、練習棟などとは別の場所に建てられており、電灯が設置されておらず昼でも薄暗かった。内装は椅子が一つ置かれているだけで、壁はコンクリートでできていた。私がそこに入るときには、なぜか樹も同伴で収容され、夕飯の時間になると必ず懲罰房から出された。


私は樹と同じ上官のもとで訓練をした。寮にいたころと違って、部屋も四人部屋で、私と樹と他の二人の共同生活をすることになった。私がどこに行くのにも、志田樹はついてきて、自分以外の人間に殺意を抱くものの、それをなかなか実行できないことは精神的に苦痛であった。あまりの落ち着かなさから、樹を寝込みに首を絞めて殺してしまおうと思った夜もあったが、彼は布団に入っても一切寝息を立てることはなく、ずっと私の観察をしていたため、成功したことはなかった。また、夜に外出することも認められなかった。私は完全に樹の視線から逃れることはなかったのだ。


 私は鬱屈とした時間の中で、淡々と日々を過ごしていた。唯一の救いは祖父の手帳のみで、イラスト付きの用語の解説を読んでいるだけでも、自分の存在意義を確かめることができた。軍隊の訓練は人を思いっきり殴ることがなく、非常につまらなかったため、手帳を眺めている時間は、砂漠で得たオアシスの水のような心地であった。ただ、樹の監視下以外で読まなければならなかったので、私が手帳を見ることができたのはトイレの個室の中か、布団の中だけであった。


 日を重ねるごとに私の殺人欲は増加した。無意識に制服の袖の中をまさぐったり、対人戦闘訓練中に相手に致命傷を負わせたりすることが多くなった。樹以外の周りにいる隊員の多くは私よりも年齢が高い人ばかりであったが、全員私よりも動きが悪かった。年齢のせいか傷の治りも遅く、訓練に二度と参加できなくなった人も増え、何人かは基地を出ていった。


上官や樹は当然私の行動を厳しく矯正しようとしたが、私にはそれが自分の牙を研ぐのに一役を買っていた。徒党を組み、しつこく私の衝動を抑え込もうとする人間の愚かさを十分に知ることで、人を殺したいという欲望はさらに沸き上がった。


樹は監視役をしているだけあって、私の心の変化に気づいていた。私が懲罰房に入れられているとき、いつまでたっても行動の鎮静化がみられないことから、背を向けていた私にこう言った。彼の言葉には不信感がにじみ出ていた。


「前に、自分の存在意義が人を殺すことだと言っていたが、お前は本当にそう思っているか?」


 私は答えなかった。その質問が愚問であったからだった。


 数日後、私に面会が告げられた。面会の相手は、マイルズ卿という貴族であると樹は言った。樹とともに面会室に入れられて、私は驚きの人物に再会した。


「やぁ、楽にしていたかい」


 ジャックは柔らかそうな懇談用のソファーに腰掛けながら私にあいさつをした。高そうな真っ白なとっくりのセーターに、グレーのジャケットを着こなしていて、妙に似合っていた。私と樹に反対側のソファーに腰掛けるように促した。私はいう通りに座ったが、樹は警戒を崩さずに立っていた。仏頂面の樹にジャックは私のほうに手を向けて言った。


「そう怒らなくていいですよ、監察官さん。彼は僕に手を出せません」


 樹は顔をしかめた。それをよそに、ジャックはセーターの首元をめくって、私に見せつけた。彼の首には黒い首輪が装着されていた。


「これ、つけてるだろう?俺たちの仲間の証」


 私は軽く頷いた。ジャックはふっと笑い、話を続けた。


「よかったな、取られてなくて。その様子だと、ナイフは没収されたようだけど」


「最悪だ」


 樹は首をずっとかしげていて英語が分からなかったようなので、私とジャックとの会話に口をはさむことはなかった。しかし、実は面接室には監視カメラが設置されており、軍の上層部に会話の内容は筒抜けになっており、その気になればいつでも面接の中断の命令を下すことができた。それを見越して、ジャックは最近の生活の変化や妹についての話を多くして、あまり面接に来た目的をなかなか言わなかった。じれったくなって、私はジャックにそれを問いただした。すると、彼は服装を整えて私に向き直り、静かに言った。


「これに、サインしてよ」


 ジャックは一枚の紙とボールペンを私に手渡した。それは、軍隊を抜けるために必要な書類であった。脱退届には他にも拇印など必要なものがあったが、全てジャックが根回しを済ませていた。このとき、ジャックが私を利用するために、救いの手を差し伸べていることはわかっていたが、軍の規則や樹の監視からいち早く逃れたかったため、私は喜んで署名をしようと考えていた。


 しかし、樹は私が署名しようとすると、後ろからペンを強い力で取り上げた。それを見たジャックはやれやれといった表情になった。


「観察官さん、彼は僕の通報でここに入れられてしまったんですよ、なんの了承もなく。僕も彼が軍隊に配属されるなんて、思いもしていなかった。僕は彼のことを考えて、家で引き取るつもりです」


 ジャックの堂に入った弁舌に、樹は目だけをそらして受け流した。そして壁に掛けられていた内線電話の受話器を手に取って、交渉ができる人物を呼び出した。


 私が脱退届をひらひらさせていると、いつの間にかジャックは私の近くまで来ていて、耳元でささやいてきた。樹は電話に夢中で、こちらに気が回っていないように見えた。


「今あいつを殺すことはできないのか?」


「無理だね。のっぺりして見えるけど、筋肉がガチガチでナイフが入らなかった。相当鍛えてる」


 ジャックはわかりやすく驚いた表情になった。


「俺の縄で押さえつけてたら、首落とせそうか?」


「多分いけるけど…時間はかかる」


「…て、いうか普通にしゃべってるけど」


「ジャック、俺は今この機会を利用するしか、ここを出る方法はないんだよ。早くやらなきゃいけないんだ」


 樹や上官によって、何度体を押さえつけられて懲罰房に投獄されても、人を殺したいという衝動は収まらなかった。ジャックのように常に体を縛り付ける拘束具がなかったからかわからないが、あの人間社会にうかされた他の隊員たちの、平和ボケした顔や腹を殴りつけたときに私はいける、と確信していた。だからこそ、私は意欲をなくすことはなかったのだと思う。


 私とジャックが会話を進めている途中で、樹の双子の弟の薇、例の細いほうの男の声が放送された。受話口から私たちの声を拾って、交渉をするようだった。


「ジャック君、君がそうするというなら、僕たちは止めるつもりはない」


 片言の英語だったが、ジャックは聞き取れたようだ。


「マイルズ卿は穏健派だと言われているからね。預けたところで君の家なら、問題を起こさないように配慮も怠らないだろうから」


 薇は私の脱退届を受理したようであった。ジャックの根回しもあっただろうと思われるが、私に護衛をつけるほど警戒していた彼らが、やすやすと監視下から解放するとは、馬鹿な私にも考えにくかった。ジャックも同じことを考えていたようだった。


「何とか引き止めたりしないんですね」


「しかし僕が見る限り、糸君は君の兵隊として使えるほどの代物ではないと思うけど」


「単刀直入に、目的は?」


「…君にそれをいう意味はないと思う。下に見ている認識はないが、僕たち自身の目的だから、関係はない。むしろこちら側としては、糸君のしつけに手をこまねいているようで、足踏み状態だったんだよ。僕たちが糸君に対してとれる行動は限られていてね、悲しいことに。これがまぁ、開放する理由かな」


 そこまで言うと樹は受話器を戻した。樹は私に制服を脱ぐように指示して、さらに保護管理していたナイフを面会室に運ばせた。ジャックの持ってきた脱退届は即日で処理係に回され、私は今日中に基地を出ることになった。


 樹は書類を提出した後も私の監視をしていたが、外に出ると私のもとから離れ、基地の中に帰っていった。去り際に呪うように言った。


「お前は死んでも死にきれない」

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