第16話 俺の居場所

 ピッ ピッ ピッ


 電子音が俺の耳に入る。重い瞼を無理やり開くと、体が固定されており、動かす事が出来ない状況だった。

 隣には人工呼吸器、視界に映る点滴の紐が俺の腕に繋がっている。


 周りの壁が白く、布団の中にいることがわかる感触。


 あぁ、ここは病院なんだろう。俺は、無事に元の世界に戻ってくることが出来たみたいだ。


 …………体を動かす事が出来ない、まだ瞼が重い。


 思考が上手く回っていない中、キィィという、扉が開く音が聞こえた。

 ドスドスと誰かが入ってくるのを感じる。横目でその音の正体を見ようと目を向けると、そこには一人の女性が立っていた。

 派手な服を身に着け、髪も明るい。ケバイメイクをした四十台くらいの女性。この女性には、見覚えがある。


 この女性は、俺の母さんだ。赤い唇を動かし、言葉を言い放つ。


「あら、目が覚めたの? ちっ、このまま死んでくれた方が良かったのに、まぁいいわ。このまま入院されていても金がとられるだけ。目が覚めたのならすぐに退院しなさい。入院費がもったいないわ」


 ゴミでも見るような瞳、目を覚ましたばかりの俺に言い放つ言葉ではない。

 何を言われたのか理解するのに数秒かかてしまった。その数秒の間でさえ、母さんはじれったく思ったのか舌打ちを零し、乱暴に俺と繋がっていた点滴を引っ張った。


「いっ――……」



 ―――――ガシッ



 腕に痛みが走るのと同時、胸ぐらを掴まれ体を無理やり起こされる。眼前には、気持ち悪い女性の顔、怒りで赤い唇を歪ませていた。


「あんたのせいで、余計な出費がかかったわ。早く入院費などを返してもらわないと。女じゃないのが悔やまれるわね、体を売る事すら出来ないじゃない。だから、貴方が大金を私に渡す事が出来る唯一の方法を教えてあげる」


 その女は、実の子供に言い放つとは到底思えない言葉を、口角を上げた口で言い放った。


「保険金よ」


 ☆


 母さんは俺に言い放った後、乱暴にベットに寝かせその場を去って行く。その数秒後に看護師が来て、俺の部屋の惨状に驚き声をあげた。


 目を覚ました俺を見て、すぐに医師を呼び体を見てもらう。点滴を刺し直し、ゆっくりするようにと言われ、その場から姿を消した。


 でも、聞こえる。ドアの奥で話している看護達の会話内容。


『もしかして、あの子の母親が来たのでしょうか』

『そうだと思うわよ。本当に、困ったわねぇ。入院費はしっかりと払ってくれるのでしょうか』

『わからないわ。でも、払ってもらわないと困るわよねぇ』

『そうねぇ。なんで、あの子がこの病院に運ばれてしまったのか。あの子が来なければ、あんな母親を相手にしなくいてもいいのに』

『ほんとよね。それに、あの子、学校でもいじめられていたのでしょう? どこにも行くことが出来ず、町をさ迷っていると、車に轢かれたって聞いたわ』

『しかも、その車に轢かれたのも、学校のいじめっ子が背中押したからなんでしょう?』

『本人達は、ただ驚かそうとしただけと言っているみたいだけど、わざわざ車道に突き飛ばすなんて。あわよくばと思っていたのかしら』

『ほんと、あの子には居場所がないのね。このまま死んでしまった方が良かったんじゃないかしら。ここに居座られていても困るし』

「その方が、幸せかもしれないわね…………』


 なんだよ、なんだよ! 


 俺の幸せを、勝手に決めるな。そう言いたいが、体が動かず、声を出す事すら出来ない。喉が詰まり、息をするのも辛くなってきた。

 目から流れ出るのはなんだろうか、温かいものが頬を伝い枕に落ちる。



 俺には居場所がない。この世界には、居場所がないのか。そうか。


 なら、なんで俺はこの世界に生まれてしまったのだろうか、なんで俺は目を覚ましてしまったのか。このまま死ねば、周りも幸せだったのだろうか。


 いや、そもそも、なんで俺はこのような事をされなければならない。なんで、俺は周りから酷いことをされなければならない、同情されなければならない。


 意味が分からない、理解が出来ない。


 何でだよ、なんでだよ。俺が何をしたというんだよ。ふざけるな、ふざけるな。


 俺は、どこにも居場所はないのか――……



 絞まった喉から嗚咽が零れる。その瞬間、脳に直接、誰かの声が聞こえた。



 ”いつでも待っておる。ここは、主の帰るべき場所じゃよ”



 優しく、耳にスッと入ってくる声。聞き覚えのある、女性の声。



 ―――――行きたい、帰りたい。



 俺は、なんて弱い人間なのだろうか。起きてすぐの出来事だというのに、この世界について思い出しただけだというのに。なのに、もう、この世界には居たくない。俺は、ここに、いたくない…………。



 ――――――――あ、そうだ。



「……っ、だ、げて…………くれ。は、ハン…………さん」



 …………何も、起こらない。確か、名前を呼ぶと、助けてくれると言っていたはずなのに。

 やっぱり、あの世界でも、もう俺は受け入れてもらえないのだろうか。あの言葉は、俺をこの世界に追いやる為の言葉だったのだろうか。



 いや、違う、”ハン”は仮の名前。効力がないんだ。



 もう、声が出せない。喉がものすごく痛い。嗚咽でうまく話せない。


 でも、大丈夫、ハンさんは嘘をつかない。まだ、俺と繋がってくれている。




 お願いします、助けてください。俺に、居場所をください。妖の神、ほんさん!!



 俺が頭の中で唱えた瞬間、体に浮遊感が襲い、視界が白くなる。瞼が重くなったかと思った瞬間、俺は抗うことなく瞳を閉じた。



『先生!! 病人の容態が急変しました!!』

『これは、もう――……』


 ☆


 風が俺の肌を撫で、髪を揺らす。


 ここは、俺が知っている場所、少しの期間しかこの場所にいることは出来なかったけど、覚えている。


 目の前には歪な形をしている大きな建物。この建物は、あの人が住処として使っている調書所だ。


 勝手に入ってもいいのかわからない。けど、多分許してくれるだろう。


 ドアを開けて中に入ると、椅子に座っているハンさん――いや、妖の神、翻さんが本を読んでいた。


『――思ったより早かったのぉ。お帰りなさいじゃよ』


 俺に気づいた翻さんが顔を上げ、したり顔を俺に向けてきた。テーブルに肘を付き、手に顎を乗せる。


「翻さん…………」

『んー、その呼び方は慣れんのぉ。今まで通りの名で呼んでもらえると助かるなぁ』

「翻…………いえ、ハンさん」

『なんじゃ、葉月』

「俺、居場所が、なくて…………。どこに行けばいいのか、わからないです」

『ふむ、それで?』


 ハンさんは俺のか細く、聞こえているのかわからない言葉に相槌を打ってくれる。聞き取りにくいはずなのに、聞き苦しいはずなのに。ハンさんは優しく微笑みながら、焦らせるようなことはせず聞いてくれる。


「俺、俺は…………」


 胸が痛い、目から涙が零れ落ちる。嗚咽で喉が締まり、言葉を口にすることが出来ない。話さないと、俺の気持ち、俺の言葉で――……


「ハンさん、俺、俺は、ここを…………っ、ここを…………。居場所に、しても…………いいで、っ、しょうか…………」


 顔を俯かせてしまう。ここでも俺は拒否られてしまったら、本当にどこにも居場所がなくなってしまう。


 怖い、ハンさんの次の言葉が、怖い。


『ふむ、主はここの住人になりたいのかのぉ』


 ハンさんからの質問、そんなの聞かなくてもわかっているくせに。


「―――――たいです、ここを、俺の居場所に、したいです!!」


 俯いていた顔を上げ、涙で濡れた顔をハンさんに向ける。すると、ハンさんは口角を上げ、椅子から立ちあがった。


 コツ コツと。音を鳴らし、俺の目の前に移動して、右手を伸ばしてきた。

 頬に添えられた手で、俺の目から零れ落ちる涙を親指で拭きとる。


『なら、今日からここは、主の居場所じゃよ。このまま、ここで生活するがよい』

「―――――っ、はい!!!!!」


 俺の居場所、出来た。


 俺は、この世界の中なら、生きていてもいいんだ。ここの世界でなら、俺は――……


『これからよろしく頼むぞ、葉月よ』

「はい、よろしくお願いします。ハンさん」


 お互い微笑み合う俺達。これからの生活は、俺にとってどのような物になるかなんて想像できないけど、今までよりは絶対に幸せになる。確信できる、だって――……


『ほれ、そこに立っているのも疲れるじゃろう。座って、話でもしようではないか』

「はい、よろしくお願いします」

『うむ』


 ハンさんが、これからずっと俺といてくれる。それだけで、俺は幸せだ。







『まさか、ここまで読んでいたとは。本当にいいのでしょうか、時の神よ』

『仕方がないだろう、これがあの人間にとっての幸せなのなら。我々神は、ここから先は関与できん。掟だぞ』

『神の掟第80条。”神が決めた事に、他の神が手を出す事は固く禁じる”か。まったく。妖の神は、最後の終着点までしっかりと考え、工程も練って。何をしてでも、自身の思うがままに周りを動かしてしまう。厄介な奴だ』

『そうだな。だが、あそこまでの頭脳が無ければ、妖の神は生まれてなどいない。そうだろう』

『まぁ、そうっですね……』

『では、ここから先は二人の時間だ。邪魔者はここから退散するぞ』


 二人の神は、幸せそうな二人を見下ろし、そのまま姿を消した。

 時の神の口元には、微かな笑みが浮かんでいた。

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三体の神と掟と人間と~目的の為なら手段は選ばぬぞ~ 桜桃 @sakurannbo

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