湯たんぽ讃歌 🌞

上月くるを

湯たんぽ讃歌 🌞





  わが愛するピンクの

  湯たんぽちゃんへ💚



 この冬もたいへんお世話になりまして、まことにありがとうございました。

 おかげさまで、寒さにふるえることなく、無事に過ごすことができました。


 でも、夜間も零下の屋外にいるしかない方々を思うと、申し訳なくて……。

 同じ地球人なのに、自分たちばかりぬくぬくしていて本当にごめんなさい。


 あら、いやだ、そんなこと言われても、あなたにはどうしようもないわね。

 あなたはただ自分の役目を、真面目に果たしてくれているだけなんだから。




      🏠




 ピンク色のプラスチックのあなたが家族になってくれて、何年になるかしら。

 あなたも知ってのとおり電気毛布や敷布は苦手なので、ずうっとあなた恃み。


 最初はむかしながらのブリキだったけど、途中から現在のスタイルになって。

 錆びないから長いこともってくれて、可愛い花柄カバーとよきパートナーで。


 過去の記憶に苛まれる夜も「さあ、ゆっくり眠って」じんわり温めてくれた。

 毎晩、毎晩、あなたにどれだけ助けてもらったかしら、本当にありがとうね。


 思いがけない戦争の勃発で電気代が高騰したこの冬は、とりわけ助かったわ。

 つぎの冬もまたお世話になると思うので、三シーズンはしっかりやすんでね。




      🔹🔸🔹🔸


 

 

 左耳がとつぜん聴こえなくなったのは、三十歳の誕生日を迎える前のことだった。

 二番目の子がお腹にいるとき、頻繁な嘔吐が煩わしいと、夫に何度もたたかれた。


 毎朝、目覚めと同時に猛烈な吐き気に見舞われ、重い悪阻が出産日までつづいた。

 育児と家事と仕事をしながら、泡状の胃液の最後の一滴まで絞り出すような日々。


 事業の資金繰りが大変なときに、そんな妻を間近で見ているのがいやだったのね。「ゲーゲーゲーゲー、いつまでやってんだ!」臨月のお腹を蹴られたこともあった。


 ひどい耳鳴りがつづいて電話の声も聞き取れなくなり、耳鼻咽喉科で突発性難聴と診断され「治療法が見つかっていないので一生治りません」冷静に宣告されたっけ。




      🪑




 浅春の夜更けの回想は、昨年秋に行ったカフェレストランに、ぽんと跳んで……。

 何年ぶりだったかな、コロナ前にはよく行っていたけど、久しくご無沙汰だった。


 一木造りのテーブルの高級感が売りものだった店内はすっかり様変わりしていて、薄暗い照明のもとに簡素な卓が並び、疎らなスタッフにも客にも生気が乏しかった。


 案内された窓際の席から大きなガラス越しに見える池だけはむかしのままだった。

 太った真鯉や緋鯉が勢いよく泳いだり、岩陰で休憩したり、水藻を食べたり……。


 広くもない池に二十余匹も暮らしている鯉の世界も、あれでなかなか大変そうで。

 巨大なボス鯉にみんな遠慮しているようだし、長寿がかえって気の毒に思われた。




      🐠




 メニュー刷新といえば、まあ刷新だけど(笑)、目を剥くほど高い値段をつけて、ベジタリアンに食べられそうな料理は、たった一種類だけ……不承不承、オーダー。


 料理を待ちながら鯉を眺めているうちに、池に隣接するビルの看板に目が行った。

 なになに「伸次郎の経営塾」? まだ棲息していたんだ、時代錯誤のナルシスト。


 それにしてもなんか見覚えのある名前……あっと気づいた、あの会社の二代目だ。

 まさかと思うけど松下塾の向こうでも張るつもり? 親の威を借る小倅の分際で。


 いや、でも、あの親にしてこの子ありか、賢かったらこんな真似させないものね。

 苦労知らずの二代目社長は接待ゴルフ三昧で古参社員の反感を買っているそうだ。


 事業を閉じるとき、先代にスタッフの就職を頼んだら、露骨に木で鼻を括られた。

 ほかの取引先は「お世話になったんですから」こぞって快諾してくださったのに。




      🔹🔸🔹🔸



 

 おっといけないいけない、夜更けにいやなことを思い出すのはご法度だったよね。

 さあて、あたまのスイッチを切り替えて、湯たんぽちゃんにすがりつこうかしら。


 あつくもぬるくもなく、ナイスな人肌でおとなしく待っていてくれてありがとう。

 少し眠って夜が明けたら、核兵器やミサイルのない世界になっていればいいな~。




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