さえない女

野森ちえこ

同類の彼

「あんたいい加減にしなさいよ!」


 必死になっちゃって。

 いつだって、バカな男の相手はもっとバカな女だ。

 でも、振りあげられたその手をとめたりはしない。一発殴られてやればたいていそれでおわる。安いものだ。


 あたしにとってはただのゲーム、相手が求めている幻想を演じてやるだけの、暇つぶしの遊びだ。

 人は見たいものだけを見て、信じたいものだけを信じる。あたしの個性とやらが存在するのも、相手との関係性のなかでだけ。人と関係を持たないときのあたしは無だ。モブですらない。風景に埋もれて誰の記憶にも残らない。

 だからあたしに男をとられたと思っている女たちはきまっていうのだ。『なんであんなさえない女に』と。


 だけど彼女たちは勘違いをしている。

 あたしは一度も男をとったりしていない。誘惑もしていない。

 そもそもあたしは誰も好きにならない。

 セフレや浮気相手になることはあっても本命にはならない、本気を感じたらその時点でさよならだと、男女の関係を求めてきた相手には最初に伝えることにしている。それがこのゲームの、ただひとつのルール。あたしなりの誠意のつもりだった。

 まあそうでなくても、相手との距離が縮まることはないのだけど。

 どれほど好意を向けられようと、どれほど肌を重ねようと変わらない。相手が近づこうとしてもつねに一定の距離がある。これはもう、世のことわりといってもいいくらい確かなことだった。

 いったい、あたしと男とのあいだにあるもの、距離をとらせているものはなんなのだろう。

 相手が思い描く虚像。

 実体のない幻想。

 そんなところだろうか。わからないけれど、あたしと男のあいだには越えられないなにかがあって、そしていつも、男たちは実体あたしにたどり着くことなく自滅するのだ。


 ✦


 誰も『あたし』など見ない。

 物心つくまえからそんなことを思っていたような気がする。

 あたしには二歳上の姉がいる。生まれた瞬間から、妹という役割をあたえられていたわけだ。

 親の目には姉とくらべた『妹』の姿しか映らない。お姉ちゃんより明るい。お姉ちゃんより気が強い。お姉ちゃんより身体が弱い。あたしをはかる基準はなにもかも、すべて姉にあった。

 めずらしいことじゃない。兄弟姉妹がいる家庭なら、きっとそれがあたりまえなのだと思う。

 それに家だけの話でもない。人は学校でも社会でも、つねに誰かと、なにかと比較され評価される。そして、自分が思う自分と、他者から見た自分がすれ違っていく。

 違う人間なのだから多かれ少なかれ認識にズレがあるのは当然だし、誰しもそのズレと折りあいをつけながら生きているのだろう。

 理解はしているのだ、あたしだって。でも、納得ができていない。あたしのなかにはいつだって『あたしを見て』と叫んでいる自分がいる。我ながら子どもじみていると思うけれど、自分ではどうすることもできずにいる。


 男相手に演じて遊ぶのはそのフラストレーションを解消するためか。よくわからないけれど、いつからか『どうせあたし自身を見てもらえないなら、相手が求める女になりきって夢中にさせてやろう』と思うようになった。

 そうはいっても、特別すすんで獲物を探しているわけでもないし、恋人がいる男を狙ってえらんでいるわけでもない。たまたま席がとなりになったとか、たまたま目があったとか、いつだってなんとなく接点ができただけの男が相手だった。


 ✦


「おはようございます」


 会社のエレベーターホールで、先月新しく配属された同年代の男性社員と挨拶をかわす。ひかえめにほほ笑むこの人は、あたしと同類だ。そう直感したのは出会ってすぐのことだった。

 自己を持っていない。というと語弊があるけれど。息をするように相手が求めている人間になれる。それとなく観察しているうちに確信した。

 同類はターゲットになりえない。当然だろう。互いに演じあうだけの平行線になることが目に見えている。それになにより、相手が求める姿が非常に見えにくい。なぜなら、人に理想も幻想も持っていないから。それなのに。

 この数日、どうもあたしは彼のターゲットらしいと感じるようになった。勘違いではない、と思う。

 視線、しぐさ、言葉。なににどうあたしが反応するのかを探っている気配がある。あまり気持ちのいいものではないけれど、それよりも不思議でしかたがない。彼のほうだってあたしが同類だということくらい気づいているはずだ。

 相手が求めている人間を演じる。それにはまず、相手の望みを察知する必要がある。つまり、他者の機微に敏感なのだ。それはもう異常なほどに、人の顔色を読んでしまう。

 気づいていないはずがない。だとすれば、なにか別の狙いがあるということか。

 恨みなら売れるほど買っている自覚がある。一発殴るだけでは気のすまなかった誰かにでも頼まれたのだろうか。さすがにそんなドラマみたいなことはないか。

 気になるところだ。こちらから仕掛けてみるか。それとも彼が仕掛けてくるのを待つか。


「ちょうどよかった。じつはちょっとご相談したいことがあって」

「私にですか」

「はい。今日、ランチご一緒しても? おごりますから」


 待つまでもなかったらしい。

 彼の狙いはどこにあるのか。たとえばそれが、これまで誰も見なかった『あたし』にあるのだとしたら——そう思うとなんだか少しゾクゾクしてくる。


「わあ、ほんとですか。私でお役にたてるなら、よろこんで」

「よかった。ありがとうございます」

「とんでもない」


 やはり彼の望みも本心も見えない。

 あたしがとっさにえらんだのは、疑うことを知らないような、騙されやすい鈍感女の顔。はたして彼は、この虚像の向こう側にいる『あたし』にたどり着くことができるのだろうか。

 もしもそんな日がやってきたら——

 なんてね。

 そんな可能性、万にひとつもありはしない。

 だってあたしは、誰も愛せない。

 だからあたしは、誰にも愛されない。

 それをさみしく思う感覚もすでにない。

 けれど、いつもとは違う、同類の彼とだからこそできるゲームは悪くないかもしれない。

 せいぜい楽しませてもらうとしよう。



     (了)

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さえない女 野森ちえこ @nono_chie

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