秘密基地

混沌加速装置

秘密基地

 茜色に染まる空を見ていて、ふと思い出した。小学三年の夏休み、近所に住む五人でよく集まり、学校の裏山にある秘密基地に足繁く通っていたのを。


 当時、冷房器具といえば団扇うちわか扇風機しかないのが普通であり、家でゴロゴロしていると親がうるさく、外へ行っても使える金がなかった私たち子供にとって、秘密基地は唯一誰にも邪魔されずに涼める格好の隠れ家だった。


 秘密基地などと言うと聞こえが良いが、実態は畑の真ん中に建っていた資材を置くための小屋である。二メートルほどの高さで壁は二面のみ。数本の柱でトタン屋根を支えていただけの簡素な造りだった。横幅は狭いが奥行きのある細長い建物で、いつも丸太や角材が天井付近まで積み上げられていた。


 鈍行列車が一時間に一本あるかどうかといった、そんな田舎の私有地にバリケードなどという気の利いたものはない。鍵の類もなかったから誰でも簡単に侵入することができた。


 屋根と積み上げられた資材の間に空いたスペースは意外に広く、立つことはできなくても座ったり寝そべったりするには十分だった。


 持ち運びできるゲーム機も携帯もない時代だったから、私たちは毎日のように取り留めもない空想を語ったり捕まえてきた昆虫を闘わせたりして、昼過ぎから涼しくなりだす日没頃までを秘密基地の中でだらだらと過ごしていた。




 そんなある日のこと、油蝉とひぐらしの鳴き声が入り混じり、沈みつつある太陽が空を深緋こきあけに染め上げる時分、タッちゃんがをしようと言いだした。彼は格好をつけて乱暴な言葉を遣い、短気で喧嘩っぱやく、他の友人たちを家来と称して威張り散らす、いわゆる典型的なガキ大将だった。


「もう暗くなるからやめようよ」


「まだなってねぇだろ!」


 仲間内でもおとなしいほうだった私の提案はタッちゃんに一蹴された。


「でもすぐ暗くなるよ。暗くなる前に帰らないと」


「じゃあ多数決とろうぜ! ケイドロやりたい人ぉ!」


 強引な展開に異議を唱える者はおらず、すぐさまタッちゃんが手を挙げると、それに倣うように私以外の三人の男子がおずおずと手を挙げた。


「はい決定ぇ! おまえ警察な! あと一人決めようぜ! 出っさ、なっきゃ、負っけだぁよ、じゃぁんけぇん……」


 多数決で少数派だったというだけで、私はタッちゃんに無理やり警察役を押しつけられた。


 ケイドロは泥棒を捕まえる役の警察側のほうが不利なようにできている。泥棒側は例え一人が捕まっても、他の仲間が捕らえられた人物の元へ行ってその身体に触れば、捕まった人物は再びゲームに復帰することができるからだ。


「オレら泥棒! じゃあ警察はマッキーとナッキョな!」


 ナッキョは痩せててひょろっと背が高く、ほとんど口を開かない寡黙な男子だった。


「逃げる範囲と牢屋は?」


「範囲は山全体。牢屋は基地でいんじゃね?」


「全体は広すぎない? 夜んなったら見えないし」


「うっせぇ! まだ夕方だから見えるだろ!」


 あまり反抗的な態度を取ると鉄拳が飛んでくる。彼に賛同しなくても殴られる。だから誰もタッちゃんには逆らわなかったし無視もできなかった。


「じゃあ、おまえら一人百ずつ数えて全部で二百数え終わったら探すことな! 聞こえるように大声で数えろよ! 勝手に帰ったら後でブッ飛ばすかんな!」


 ナッキョと私は何も言い返さず、どちらが先に数えるかを決めてから、二人で基地の壁に向かって顔を伏せた。




 二百まで数えて顔を上げると、周囲はすでに薄闇に近い暗さとなっていた。空の茜色は薄桃色に褪せ、その大部分が薄紫色へと塗り替えられつつある。蝉も蜩しか鳴いていない。


「早く全員捕まえて帰ろう。ナッキョはどっちへ行く?」


 無言で学校のある麓のほうを指差すナッキョ。


「じゃあ、ぼくはこっちのほう探すから」


 頂上へと向かう基地の奥を指差した私は「捕まえたら……どうする?」と言い、「ここで見張っとく? それとも」と周りを見回し、「助けに来る人にバレないよう近くに隠れとく?」とナッキョに訊いた。


 ナッキョは首を傾げ「隠れる」とだけ言うと麓のほうへ向かって歩き去った。


 山は一部が掘削されて平地となっていて、そこに秘密基地を擁した畑が作られていた。破棄された畑なのか、夏だというのに何の作物も植えられてはいなかった。広さは学校のグラウンドと同じくらいだったように思う。


 基地から麓へと続く一本の農道を除き、畑の外周は雑草と雑木林に囲まれていたから、隠れて人の接近を見張れる場所はいくらでもあった。


 虫たちの騒々しい鳴き声が響くなか、草叢を掻き分けて道なき斜面を登っていくと、雑木林が途切れたところで小さな広場となっている頂上に出た。眼下の家々にはちらほらと明かりが灯りはじめている。


 タッちゃんは山全体が逃げられる範囲だと言っていたが、実際いつも私たちが遊んでいた場所は、学校の校舎の屋上が辛うじて見える南側の斜面に限られていた。


 頂上から先の北側の立ち入りが禁じられていたわけではなく、ただ単純に人が足を踏み入れられないほどに雑草が繁茂してしまっていて、引っ掻き傷を作ったり蛇に噛まれたりする危険を冒してまで行こうとする人間がいなかっただけである。


 雑草がまばらに生えた小さな広場をぐるりと一周し、誰も隠れていないのを確認した私は、元来た斜面を下って一先ひとまず基地へと戻ってみることにした。




 草叢から畑へ出ると基地の近くに二つの人影が見えた。距離と暗さで個人の特定まではできないが、泥棒役の二人が連れ立って牢屋に来ることはないから、一つはナッキョの影に違いなかった。


 ナッキョは誰を捕まえたのだろう。そんなことを考えながら近づいていくと、どうも様子がおかしい。


 私たち五人の中でも特に背の高かったナッキョは、誰と並んでいても頭一つ分は上に出ているので遠目でも彼だと判別できた。だが、二つの影はどちらも同じくらいの身長があり、基地の屋根よりも高い位置に頭がある。ナッキョでもそこまでの身長はない。


 畑の所有者かもしれないと思い、堂々と畑を横切っていた私は足を止めた。引き返そうか悩んだが、結局はその場にしゃがんで様子を窺うことにした。


 作物が植えられていないため、暗いとはいえ自分の姿は相手から丸見えのはずである。それでも気づかれていないのは、相手がこちらに背中を向けているからのようだった。


 もし振り向かれて見つかったらと私は気が気ではなかった。ここで怒られるだけならまだしも、その上で親や学校に言いつけられたら後で大目玉を食らうことになる。


 見ていると奥の農道のほうからもう一つ別の人影が現れ、二つの影と合流するなり私からは見えない基地の反対側へと姿を消した。


 どうするべきか悩みながらしばらく待ってみたのだが、三つの人影は基地の向こう側へ行ったままいっこうに姿を現さなかった。畑と麓を結んでいるのは未舗装の農道一本だけであり、誰もそこを通るのを見ていないのだから、三人がまだ基地のそばにいるのは明らかである。


 それでも畑から脱出するなら互いの姿が見えない今ではないかと、意を決して立ち上がった私は少しでも目立たぬよう中腰になると、農道のほうへ向かってゆっくりと移動を開始した。


 基地の陰から今にも三人が顔を出すんじゃないかと怯えながら、建物から目を離さずにじりじりと横移動をしていた私は、突然「マッキー」と背後から声を掛けられて「わっ!」と短い悲鳴を上げて首をすくめた。


 振り向くとナッキョが立っていた。


「びびったぁ。ナッキョ、なんでここにいんの? 学校のほう探すって言ってたじゃん」


「捕まえたから、隠れてた」


「誰を?」


「タッちゃん」


 ナッキョがタッちゃんを捕まえたと聞いて耳を疑った。タッちゃんは運動神経が良くて走るのも速かったのに対し、ナッキョは身体が弱くて運動がまるっきりダメだったからだ。ナッキョというあだ名もナヨッとした虚弱体質だからと、タッちゃんが強引につけたものだった。


「すごっ! どうやって捕まえたの?」


「タッちゃん、コケた」


「なぁんだ。じゃあ、タッちゃんは基地ん中?」


 うなずくナッキョを見ながら、そこまで言って急激に三つの人影のことを思い出した私は、勢いよく背後の基地を振り返って誰もいないのを確認し「さっきまでそこに人がいたよね?」と訊いてその場にしゃがんだ。


 釣られてしゃがんだナッキョは、再び頷くと「女の人」とぼそりと言った。


 影の大きさから大人の男性だと思っていた。そうなると随分と背が高い女性だな。と、そこまで考えておかしなことに気がついた。


 地上から屋根まで二メートルはある。男性だったとしてもかなり大きい。あり得なくはないが、果たして身長二メートルを超す女性が三人も、こうも都合よく一つどころに集まるものだろうか。それも夕暮れ時の、田舎の畑のど真ん中にである。


「タッちゃん」


 そう言ってナッキョが指差した先を見ると、基地の屋根と資材の隙間から黒い影となった二本の脚が突き出していた。爪先で足場を探すような動きをしていると思ったら、手を滑らせでもしたのか、急に地面へと落下して鈍い音を響かせた。


「落ちた」


「どうする?」


 タッちゃんを助けるのが嫌だったのではなく、得体の知れない連中がいるのがわかっていたので、私はその近くへ行くのが単純に恐ろしかったのだ。ナッキョは何も答えず、タッちゃんが落ちた辺りをジッと見つめていた。


「さっきの人たちって、ここの持ち主かな?」


 すると突然ナッキョが立ち上がり、基地へと向かってずかずかと畑を横切りだした。彼の大胆な行動に肝を冷やしたが、こうなっては自分が見つかるのも時間の問題だと、すぐに覚悟を決めて私も後に続いた。


「えっ⁉︎」


 ナッキョの真後ろを歩いていた私は、彼が大声を上げて急に立ち止まったことで、その背中に体当たりする形で足を止めた。


「あ、ごめん! いきなり止まるから。タッちゃんは?」


 ナッキョの背後から前方を覗き込むと、そこにタッちゃんの姿はなく、代わりに地面に散乱している衣類が目に入った。


 Tシャツ、短パン、下着、靴下、靴といった、男児用の服が一揃い落ちている。日がほとんど沈んでしまっているせいで濃淡が曖昧ではあるが、Tシャツは赤っぽい色をしているようだ。


「さっきの人らが持ってきたのかな?」


「これ、タッちゃんの着てた服」


「え?」


 私は鳥肌が立つのを感じた。


「なんで服脱いだんだろ? タッちゃんどこ行ったのかな? 基地ん中に戻ったとか?」


 浮かんだ疑問を立て続けに口にすると、ナッキョは地面に落ちている服を見つめながら首を左右に振って「ずっと見てたけど、戻ってない」とぼそぼそと言った。彼の背後から見ていた限り、農道を通って畑から出ていった人はいない。


「でも服あるから、たぶん帰ってないよね? じゃあ」と基地の裏側のほうへ顔を向けた私は、普通に会話していたことに気がついて慌てて口をつぐみ、唇の前で人差し指を立ててナッキョに音を立てないよう合図した。


 基地の中に戻らず、農道も通っていないとなれば、タッちゃんがいるのは三つの人影が消えた基地の裏側以外には考えれらない。


 今更ながらに息を潜めた私は、静かに基地へと近づいて積まれている資材に背中を貼りつけると、奥から物音や話し声が聴こえてきやしないかと耳を澄ませてみた。


 蜩と蛙の鳴き声だけがやかましく、物音も誰かが喋っている声も聴こえてこない。ひょっとすると、やはり三つの人影は畑の持ち主で、ちょうど彼女たちがいるところへ逃げてきたタッちゃんを捕まえ、裸にして正座でもさせているのではないだろうか。


 いくら待っても何の音も聴こえてはこず、もしや四人とも草叢を突っ切って農道へ出たのかもしれないと思い、私は意を決して建物の裏側をコッソリ覗いてみることにした。


 柱の陰からそろそろと首を伸ばしていった私は、柱の向こう側からも同じようにり出してきた白い顔と片目が合うなり、ナッキョのこともタッちゃんとの約束も忘れ、麓へ向かって一目散に農道を駆け出していた。




 後日、四人で集まった時にこの話をしたのだが、タッちゃん以外の泥棒役だった二人は、基地に彼を助けに行ったが見当たらず、真っ暗になる直前まで待ってから帰宅したとのことだった。ナッキョはナッキョで地面に落ちていた服も三人の大女も見ていないと言った。


 結局、タッちゃんは遠方へ引っ越したと夏休み明けに担任に告げられただけで、秘密基地でケイドロをしたっきり彼の姿は見ていない。



                               了

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