1章 まずは手始めに

小さく大きなごたごた

 シュガーパインとは、シュガーバインという植物をもじった造語である。シュガーバインはつる性の常緑種だ。


 カフェの店内に何か緑のものを置きたいと、秋都あきと春眞はるまが園芸店を見に行った時に見つけたものだ。決して派手では無いが綺麗な緑が映えて、きっとカフェを可愛らしくいろどってくれると思えた。


「これ、カフェの名前にするんはどうやろ」


 春眞の提案に秋都が「ん〜」と考え込む。


「シュガーバイン……、この植物は可愛いけど、濁点があまり可愛くないわねぇ〜。そうだわ、パインにしましょう。シュガーパイン」


「ええんちゃう?」


 そんな風に決めた店名を茉夏まなつは「ええね、可愛いやん」と嬉しそうに手を叩き、冬暉ふゆきは「ふぅん」と興味なさそうに言ったが反対はしなかった。




 そうしてオープンしたカフェ・シュガーパイン。住宅街の中にひっそりとあるそのカフェは、近隣住民のいこいの場になっていた。


 もうすぐクリスマスを迎える真冬。暖房を効かせた店内は外の木枯らし吹く世界とは隔絶された空間の様で、お客さまはゆったりとくつろいでいる。


 シュガーパインはそう大きなカフェでは無いし店員が3人いるので余裕を持って回せる。それでもランチタイムにはなかなかの多忙を極めた。


 カウンタ内の厨房に立つのはオーナーシェフである秋都。サポートに春眞が入る。注文を取り秋都らが仕上げた料理をお客さまに運ぶのが主に茉夏だ。状況によっては春眞が出る。


 14時のランチタイムが終わればティタイムがやってくる。カフェなので紅茶やコーヒー、ジュースなどのドリンクはもちろんスイーツもいくつか用意してある。


 スイーツは全て手作りだ。ケーキはレアチーズケーキとパウンドケーキ、カスタードプリンにコーヒーゼリーだけと種類は少ないが、朝から春眞と秋都がせっせと仕込んでいる。お陰さまで大好評だ。ほぼ毎日売り切れてしまう。


 パンケーキとホットケーキもやはり人気である。


「秋都ちゃん、季節のパンケーキとホットコーヒーちょうだい」


「はぁい、かしこまりました〜」


 カウンタ席に掛けるお若いご常連の女性のご注文を受け、秋都はにっこりと返事をした。


 季節のパンケーキは旬の果物をふんだんに使う。冬の今はりんごである。たっぷりと蜜を含んだりんごを自家製ジャムにし、こんもりと絞った甘さ控えめの生クリームに、フレッシュの角切りりんごとともに添える。


 コーヒーは先に茉夏がれて提供していた。秋都はできあがったパンケーキをカウンタ越しにご常連にご提供する。


「はぁい、お待たせしましたぁ〜」


「ありがとう。わぁ、美味しそう!」


 ご常連は目を輝かせる。さっそくスマートフォンで撮影を済ませると、ナイフとフォークを手にし、切り分けたパンケーキにたっぷりの生クリームと角切りりんご、りんごジャムを付けて口に運んだ。


「あ〜、美味しい〜。りんご、フレッシュなんとジャムと両方あるんええね! しゃきしゃきした歯応えがええわ。ジャムが甘うて、さっぱりした生クリームに合うわ〜」


「そうなんですよぉ〜。パンケーキも甘さ控えめに焼いてるんですよぉ〜」


「もうヘルシーなんかどうかんか分からへんねんけど」


「うふふ〜」


 上々の評価で秋都は嬉しくなったのか、にっこりと微笑む。そんな会話をしているうちに、テーブルのお客さまから新たなご注文が入る。茉夏がお受けしていた。


「秋ちゃん、5番さんにチーズケーキとホットケーキひとつずつ。チーズケーキはホットケーキ焼けるころに出すな」


「はぁ〜い」


 秋都はまた薄力粉の袋を出した。




 カフェ・シュガーパインでは夕方の17時からアルコールの提供が始まる。と言っても飲みを目的に来られるお客さまはそう多くなく、ほとんどが1、2杯ほどをたしなまれる程度だ。


 本格的では無いので、ビールもサーバなどは入れておらず、小瓶のハートランドビールにグラスを添えてご提供している。他にはカフェメニューに合いそうなグラスのチリ産白ワインと赤ワイン、スミノフウォッカ、タンカレージン、バカルディラム、数種のウィスキーをご用意している。カクテル類はシェイカーなどは使わず注いでステアして作れるものが中心だ。


 お客さまたちは晩ごはんにパスタなどを注文され、お酒やジュースなどを傾ける。そうなると回転率も比較的ゆっくりとなり、春眞たち店員にも余裕が出ていた。なのでこっそりと厨房の中を片付けたりしながらお仕事を続ける。こうしておくと閉店後が楽なのである。


 カフェという特性上、女性のお客さまが多いのだが、やはり男性も訪れる。今も出入り口からいちばん近いテーブルには初老の男性が座っている。


 料理はナポリタンスパゲティを注文され、このカフェでは珍しく5本ほどビールを飲んでいた。くたびれたジャケットとスラックスにぼさぼさ髪は、下手をすると浮浪者と見まがいそうになるが、顔色も良いので栄養状態は悪く無いのだろう。服も不潔というわけでは無い。


 ビールを飲み干した男性はそろりと立ち上がる。その気配を感じた春眞が横目で見ると、男性はきょろきょろと店内を見渡す。お手洗いを探しているのか、それとも。


 男性は座っていた席の横の椅子に置いていた黒いリュックを雑に掴むと、だっと走り出して会計もせずにドアから出て行ってしまった。


 春眞は突然のことに唖然としてしまう。だがすぐに我に返る。


「食い逃げや!」


 春眞は持っていた水のピッチャーを手近なテーブルに置いてすぐさま後を追う。音を派手に立ててドアを開け、通りに出ると左右を見る。すると男性は駅の方向に向かってよたよたと走っていた。


 春眞は地を蹴り、綺麗なフォームで走り出す。そして俊足の春眞はあっという間に男性に追いついた。


 春眞は男性のジャケットの襟足を両手で掴む。すると男性はつんのめってこけそうになり、春眞も巻き込まれかけるがすんでのところで踏ん張って踏み留まる。男性もこけずに済んだ。


「は、離せや……!」


 男性が情けない声を上げ、じたばたと暴れる。春眞は足は早いが力がそう強いわけでは無いので、抑えるのに難儀なんぎした。


「おとなしゅうして!」


 春眞は強く言うが、男性が言うことを聞くわけが無い。逃れようと必死で手足をばたつかせる。春眞は逃してなるものかと手に力を込めた。すると。


「春ちゃん! そいつ寄越せ!」


 茉夏の声が響いた。振り返るとスカートをなびかせながら茉夏が駆けて来た。


 春眞は手にぐっと力を入れるとそのまま力任せに男性の身体を引っ張る。そして「よいっしょお!」と声を上げながら茉夏に向かって放り投げた。


「春ちゃんナイスや!」


 男性を受け取った茉夏は速やかに男性の襟を取る。そしてくるりと身体を反転させて男性を背中で背負い、そのまま派手に地面に叩き付けた。見事な背負い投げだ。


「ぐあ……っ」


 まともに受け身も取れなかった男性は、潰れた蛙の様な声を上げて呻く。しかし茉夏はさらに畳み掛ける。仰向あおむけで動けない男性を両腕でひっくり返してうつ伏せにし、その腰を抑え込む様にまたいで腰を下ろした。


「春ちゃん、警察!」


「あ、うん」


 茉夏の嬉々とした叫びに春眞は全力でカフェに戻って、お店の電話から110番した。


 男性はここまでされたらさすがに観念した様で、渋い表情でされるがままになっていた。現場に戻って来た春眞はそんな男性の傍に屈む。


「おっちゃん、運が悪かったなぁ。茉夏は段こそ取ってへんけど、あちこち格闘技かじりまくってめっちゃ強いんや」


 すると男性は「畜生……」と悔しげに呻いた。


「それにしても茉夏、スカートやのにその座り方は無いやろ」


 春眞が茉夏を見て呆れた様に言うと、茉夏は「長いから平気やで」とあっけらかんと応える。


 やがてピーポーピーポーとサイレンの音が届いた。




 男性を警察官に引き渡し、しばし事情を聞かれた後、ひとまずお役ご免となった春眞と茉夏はシュガーパインに戻った。


「お帰りなさい。大変やったわね」


「怪我はあらへん?」


「大丈夫?」


 お客さま方に迎えられ、春眞と茉夏は「お騒がせしました」と頭を下げながらカウンタへと進む。春眞は途中でテーブルに置き去りにしていたお水のピッチャーを「すいませんでした」と回収した。


「お疲れさまぁ〜。怪我は無ぁい〜? 茉夏ちゃん強いから心配してへんけどぉ〜」


「ボクは大丈夫やで。背負い投げは得意技やからね」


「あら、スカートでそんな大技やっちゃ駄目よぉ〜。はしたないんやからぁ」


「中にレギンス履いてるから大丈夫やで」


 茉夏は平然としたものである。秋都は呆れて「そういう問題じゃ無いわよぉ〜」と溜め息を吐いた。


「春眞もお疲れさまぁ。良く追い付いてくれたわねぇ〜」


「足は自慢やからな。おっちゃんよう飲んでふらついとったし。代金回収できひんかったんが痛いわ」


 食い逃げ犯は無一文だった。最初から食い逃げするつもりだったのだ。なんとも呆れた話である。春眞たちはあらためて被害届を出すつもりだ。


 男性が座っていたテーブルはすでに片付けらていて、伝票はレジに引き上げられている。これは被害届を出す時に持って行くことにしよう。


 その時ドアが開き、新たなお客さまが訪れた。


「こんばんは」


「いらっしゃいませ。こちらにどうぞ」


 春眞は笑顔を浮かべ、お客さまを先ほどまで食い逃げ犯が座っていた、唯一空いている席に案内した。

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