第25話
そのまま、健吾とファミレスでご飯を食べる予定だったが、真奈美の様子がおかしい事と彼自身何か用事が出来たらしく、駅まで送ってもらうだけで別れた。
駅に降りてふと、健吾は自分にキスさえ求めてこない事に愕然とした。
もう付き合って半年ほどは経った。それなのに手を繋ぐだけの、中学生のような付き合い方だった。まだ中学生の方が進んでいるかもしれない。
急に颯太に会いたくなった。真奈美はロータリーまで出て電話を掛けてみた。
「真奈美ちゃん? どうかした?」
「あの……今日、今から会えませんか?」
「今から?」
沈黙が耳に痛かった。職場なのだろうか。電話の向こうから「成海」という声と会話がくぐもって聞こえてきた。
罪悪感が波のように押し寄せてきて、スーッと引いていくのがわかった。残ったのは、颯太は必ず自分の我儘を聞いてくれるという自信と安心感。数秒待たされてから、やっとクリアな声が聞こえた。
「今すぐは無理なんだけど、七時くらいには駅に着くと思う。それでもいいかな?」
「はい。無理を言ってすみません」
「でもいいの?」
「何が、ですか?」
「いや。じゃあ七時頃にいつもの場所で」
彼に会っても笙子の事は言えない。でも、見えないオアシスを求めるように無性に颯太に会いたかった。
約束の時間まで、駅周辺にあるファーストフード店で時間を潰していた。
店内はクラブ帰りの男子高校生たちの成熟しきっていない香り、背伸びをして香水と化粧をしている女子高校生達の香り、それに揚げ物の油の臭いが混じっていた。
ボールが跳ねるように湧き上がる笑い声に邪魔されながら本を読んでいた真奈美は、時計を見て店を出た。
陽はすでに夜の顔に変わり、夏のあの暑さも今では気配を消しつつあった。バス停には人の列があっと言う間に出来上がっていく。ぼんやりとそんな風景を見ていると、名前を呼ばれた。
「真奈美ちゃん」
そこには急いできたと言わんばかりに、息を切らした颯太がいた。真奈美はその姿を見て、なぜかホッとした。それは安心感とは少し異なるものだった。
「すみません。急に……」
「いや、いいんだ。今日は時間もあれだから、前に行った住宅の中にある店でいいかな?」
「いや、別にご飯は……」
「お腹、空いてない?」
時間を潰すのに、飲み物だけだったので、お腹は空いていた。でも夕食を一緒に摂るつもりはなかった。ただ会って話をしたかっただけ。
「お腹、空いてない?」
迷子になったような顔でもう一度聞かれた真奈美は、「空いています」と言うしかなかった。
店に入ると、以前と同じ席に案内をされた。そしてメニューも颯太と揃えた。
「でも驚いたよ。真奈美ちゃんの声。何か追い詰められたような声だったから、良くないことでもあったのかと、凄く心配した」
「すみませんでした」
「いや、いいんだ。それより健吾くんとは上手くいってるの?」
「え?」
真奈美の反応に、颯太が小さく首をかしげている。慌てて真奈美は、用事がない限りは講義が終わった後にデートをして、駅まで送ってくれることを話した。
「そうなんだ。いいね」
颯太は運ばれてきたワインを喉に流し込んだ。
「あの、颯太さんは?」
「俺? まあ普通だよ。真奈美ちゃんの友達だしね」
その声はどこか冷えていて、いつも穏やかな物言いをする颯太のもとは思えないような響きがあった。
もしかして、すでに笙子の浮気を知っているんじゃないか? でも自分の友達だから邪見にせずにいてくれているのでは? と勘繰ってしまう。
「どうかした?」
「いえ」
「それより少し前に、写真展へ行ったんだよね?」
「え?」
確かに少し前、健吾に誘われて写真展へと足を運んだ。内容が内容だけに、面白いものではなかった。
「颯太さんもあの日、来てたんですか?」
「――いや」
一瞬その反応に違和感があるような気がしたが、直ぐに消えてなくなった。
「いや。会場には入ってないよ。仕事で前を通った時に、ちょうど入っていく二人を見たから」
それなら仕方がないと思う反面、それでも声を掛けてくれたらと思う自分がいた。
「そうなんですか」
「どうだった? 写真展は」
前菜、メインと食事が運ばれ、それをつつきながら写真展の時の話をした。それからは颯太の話術のおかげで、楽しい食事の時間を過ごせた。そんな和やかな雰囲気で、笙子の話を出すのは躊躇われた。
店を出ると、火照った体をさらりとした風が駆け抜けていく。
「じゃあ家まで送るよ」
「すみません」
「いや。いいんだよ。これも俺の楽しみだから」
言葉の意味はよくわからなかったが、夜道を歩くことが好きなんだろうと思った。
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