第23話
教室に入ると、健吾の姿はまだなかった。
「真奈美!」
笙子の声はいつもとは違い、教室の一番後ろの席から聞こえてきた。隣には雄二が座っているので、真奈美はその前の列に座った。
「で、あのあと健吾とどうだったの?」
「え?」
すでに話を聞いているのか、雄二も同じように前のめりになって、興味津々とばかりに質問をしてくる。
「昨日、健吾とデートだったんだろ? 健吾は真奈美の事が好き好きオーラを出していたけど、お前は気付いていない様子だったから、進展はないと思ってだけど……健吾も男だったわけだ。まあ、あのおどおどしていた性格と見栄えを変えたのは、愛の力だよな」
「え、いや、まだ付き合ってるとかじゃなくて……」
「まだって事は、昨日、あれから告白でもされた?」
実は笙子が昨日の筋書きを作っていて、それを健吾が実行したんじゃないだろうか勘ぐってしまう。
「そ、そんな事より、笙子。颯太さんと付き合うことになったんだね。驚いたよ」
自分の話を反らすのに、慌てて笙子に話を振った。
「そうなんだ。あの後、実はホテルにって思っていたんだけどさ。颯太、仕事が入ったっていうから別れたんだ。颯太って案外、初なのかな。いい雰囲気を作ったんだけど、キスもなかったし」
「そ、そうなんだ」
言葉が詰まってしまった。じゃあ颯太は、仕事をしてから、自分の家に寄ったのかと思った。
隣の雄二は以前のように不機嫌になることは無く「どんだけ肉食系なんだよ」と笑っていた。そこに健吾が入ってくるのが見えた。
真っ直ぐにこちらに歩いてくると「おはよう」と言って真奈美の隣に座った。
「健吾、聞いたぞ」
「聞いたわよ、健吾。やるわね」
真奈美は恥ずかしくて俯いたが、健吾がチラッと自分を見たのがわかった。
「うん。今は返事待ちなんだ。だからあまり冷やかさないで。ごめんね真奈美」
謝られたことで、顔を上げてしまった。まるでそれを計算しているように、健吾がほほ笑んでいた。
笙子と雄二は相変わらずにやにやとしていた。五・六限は健吾とは違う講義だったので、離れたことにほっとしていた。
昼も雄二、特に笙子が冷やかすように煽ってきていたので、少し疲れていた。だから健吾と離れていた時間は、心の休息のようだった。
「真奈美。中庭で待っていて。一緒に帰ろう」
健吾からのメールが届いた。真奈美は返信をして、中庭のベンチに座って待つことにした。
告白から一日が経って、今ようやく健吾への気持ちを考えられるようになった。
彼の事は嫌いではない。むしろ好きだった。でもそれが異性に対する好きという感情なのか、友達としての好きなのか測りかねる。
携帯を握り締めながら、感情を整理しようとしていた。でもやっぱり分らない。真奈美は助けを求めるように颯太にメールを打っていた。
「突然すみません。好きってどんな気持ちだと思いますか?」
送信してから、くだらないことをメールしてしまったと、自己嫌悪した。颯太も忙しい。直ぐに返事はこないだろうから、夜にでも電話をして謝罪しようと考えた。
急に手の中の携帯の呼び出し音が鳴った。
「もしもし? 真奈美ちゃん」
「え、颯太さん?」
「ちょうど今、時間が空いてて、メールを見たから。あの内容、どういう事?」
健吾に告白された、とはなぜか言えなかった。だから恋愛をしたことがない友達が、好きとはどういう気持ちなのか、そんな話をしていたからと誤魔化した。
「好きって気持ちか……簡単に言えば、相手の仕草とかにドキドキするとか、落ち着くとか、自然体で着飾ることなく一緒に居れるとかじゃないかな」
颯太の話を聞いて、それなら自分は颯太にも健吾にも同じことを感じたと思った。でもその理論なら、自分は二人とも好きだという事になってしまう。
真奈美の沈黙が、物足りと感じたのか、颯太はもう一つの回答をくれた。
「じゃあ、相手を思い浮かべた時に、その相手にキスするイメージができるかってのはどうかな? 何とも思ってない、友達となら想像はできないと思う。例えばだけど、真奈美ちゃんのお父さんとキスするところを思い浮かべてみて、と俺が言ったら、その映像を浮かべることができる?」
もちろん、真奈美は思い浮かべることはできなかった。
「できないです」
「でしょ? それは恋愛感情がないし、親子だからね。何となくわかるかな?」
「はい」
「じゃあ、俺とのキスは思い浮かべることはできる?」
「え?」
話の流れの中に突然、紛れ込ませてきた颯太の言葉に、思わず大きな声を出してしまう。電話の向こうでは、くすくすと笑う颯太の声が聞こえてきた。
「ごめん。真奈美ちゃん。まあそういう事だよ。付き合えばいずれ体の関係もあるだろうしね。でも仕事の息抜きにはなったよ。連絡ありがとう」
「あ、いえ。私の方こそすみませんでした。仕事中なのに」
「真奈美ちゃんからの連絡なら、大歓迎だから」
ならどうして笙子と、という気持ちが少しだけ浮き上がってきた。
「笙子ちゃんからの連絡もですよね?」
さっき慌てさせられた軽い、仕返しのつもりだった。
「彼女と真奈美ちゃんは別だよ。ごめん。もう切るね」
「あ、はい」
颯太が言った「別」とはどういう意味なのか少し気になった。携帯を握りしめたまま目を閉じて、健吾の顔を浮かべた。
「真奈美。ごめんね。待たせて」
目を開けると、健吾が夕日の輝きを背に受けて立っていた。顔の半分に翳をつくり、残り半分には光を受けて顔の美しさを際立出せている。
目を閉じたその奥で、健吾とのキスを思い浮かべていた真奈美は、立ち上がって声を出していた。
「私、健吾と付き合うわ」と。
彼は目を大きく見開いた。そして直ぐに目じりに何本もの皺を寄せた。
「ありがとう。絶対に幸せにするから」
真奈美の手を取ると、騎士のようにそっと唇を落とした。健吾のその柔らかさを感じながら、颯太とのキスを思い浮かべていた。
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