なぜ自殺をしてはいけないのか? という問いに対する回答がありきたりな訳 ※閲覧注意

エテルナ(旧おむすびころりん丸)

なぜ自殺をしてはいけないのか? という問いに対する回答がありきたりな訳 ※閲覧注意

まずはじめに、この記事はかなりセンシティブなので、自殺をお考えの方は見ないことをお勧めします。

自殺願望を誹謗中傷する記事ではありませんが、感傷を極力抜いた文章で書いてますので、冷たく見えてしまうかと思います。


真剣にお悩みの方は恐らく頼れる人が近くにいない状況かと思いますので、まずは相談窓口に電話しましょう。


では本題に入ります。


「なぜ自殺をしてはいけないの?」


こう問われた時、あなたはどう答えるでしょうか?一般的には——


・命は君だけのものじゃない。親御さんが悲しむよ。

・世の中は広い、分かり合える仲間がいつか見つかる。

・生きてればきっといいことがあるよ。


こう答えるパターンが多いのではないでしょうか。

実際に著名人でも、上記の回答を見かけるケースが多々あります。


この回答で納得できる方もいるでしょう。しかし、あまりにも世に出回るパターン化された答えが故に——


「なぁんだ…やっぱりこの人も、ありきたりなことしか言えないんだな…」


こう返される、または思われてしまう場合があります。

回答者の想いは別として、よくある答えかどうかという観点だけで見れば、確かにありきたりな一面があることは否めません。

ただし、ここには一つ、質問者の重大な過失があります。それは——


そもそもの質問がありきたりだということ


なぜ自殺してはいけないのかという、質問自体がありきたりだから、ありきたりな回答しか返ってこない。先に述べた三つの回答——


・命は君だけのものじゃない。親御さんが悲しむよ。

・世の中は広い、分かり合える仲間がいつか見つかる。

・生きてればきっといいことがあるよ。


これらは模範的な回答にして、実は社会的に見れば満点の答えなのです。


実際のところ、仮に自殺願望者が筆者にとって大切な大切な人であれば、上記のような安易な回答は致しません。

倫理の問題であり、万人に当てはまる正しい答えなどある訳がなく、時間を掛けて寄り添い、その人だけの答えを見つけて行かねばなりません。


しかしこれが他人からの質問であれば、若しくは公に問われたものであったのなら。模範解答を用いることのみが社会的な正解になってしまうのです。


この裏には少々、非情な心理が隠されています。それは——


君の生き死になんて正直なところ知ったこっちゃない。だけど自分の発言が原因で君に死なれては困る。


というものです。もし仮に回答者が——


・辛かったら死んでもいいんだ。

・命は君だけのものだ。自由にしていいんだよ。


このような回答をして、相談者が自害を決意してしまった場合。更には遺書や遺言として、助言がきっかけの自殺だと世に知れてしまった場合、回答者は社会的な責任を負うことになります。

遺族からも恨まれてしまう可能性があります。

何より自分の発言がきっかけで死なれては、例え他人といえど、とてつもない後悔に襲われるor後味の悪いこととなるでしょう。


例え内心では自殺容認の考えを持っていたとしても、よほど近しい人でない限り、模範的な回答を言わざる負えないのが現実です。


更にもっと広い観点で言えば、日本社会を守る為にも自殺を容認する回答は出せません。

残酷なことではありますが、当人が自殺した後も社会は未来へ向かい進んで行きます。

ただえさえ少子化が進み、日本社会を支える人手が求められる中、個人の利ではなく社会全体の利を考えれば、自殺を認める文化を作る訳にはいかないのです。よって――


安楽死法を通すのはとてつもなく難しい


現在10ヵ国以上の国や、アメリカも州によって安楽死が認められています。

しかしこれらの国々も、回復の見込みのない患者に対しての安楽死が認められているのがほぼほぼで、精神疾患も重篤な場合のみであり、審査も非常に厳格です。


Twitterなどでは「安楽死」という部分だけ切り取られ、死にたい人なら誰でも楽に死ねるような、そんな誤解されたツイートが散見されますが、失恋・人間関係等、社会に疲れてしまったなどの理由での安楽死は、自他国含めて認められることは厳しいでしょう。


自分の命なのだから自分の勝手だろう。


この理由だけで安楽死を通すのは無理筋です。

定めた人も社会も関わる以上、自分の勝手という意見のみで他人を動かすことは難しいのです。


自殺願望者に他人や社会のことを考える余裕はないでしょう。

しかし現実は、他人や社会と歩み寄らなければ進展しないというジレンマがあります。


では重度の傷病に苦しむ方以外の自殺願望者はどうしたらいいのか。

その答えはありません。筆者程度に答えが出せるのなら、とっくに世に出回っていることでしょう。

ただ冒頭に書いた通り、感傷を抜いて話させて頂くと――


激痛に苦しむ方以外の自殺願望はおよそうつ病が該当します。そしてうつ病の研究は近年、とても進んでます。


うつ病は脳内の神経細胞から放出される神経伝達物資の乱れが要因とされています。

この乱れはマクロファージの一種であるミクログリアが関係する炎症によって引き起こされる可能性が示されています。

この神経伝達物質を調整する薬を服用することで、うつ病は改善できます。

そして現在、神経伝達物質を減少させる要因、その根本を取り除く研究がされています。その場合、うつ病は完治することが可能です。


うつ病は傷病であり、神経伝達物質が乱れれば誰でも患い、そして炎症であれば完全に回復することもできます。


つまり近い将来、なぜ自殺してはいけないかの答えは今度も出せないが、自殺そのものが無くなっている可能性がある。


ということです。


「なぜ自殺をしてはいけないの?」

「治療を受けてみよう。そうすれば分かるよ」


こういう受け答えに変化する時代はそう遠くないかもしれません。

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