30 白旗

 そろそろ寒くなって来た晩秋の日の、深夜の零時。


 私はいつもの週末のように、芹沢くんの部屋にお邪魔していた。


 私がごろごろしながらスマホでSNSを見ていると、季節限定のアイスがタイムラインに流れて来た。


 これは食べるしかないと私は今からコンビニに買いに行きたいって言えば「こんな時間に一人で行くなんて、絶対ダメ」と言って、黙々と試験勉強してたはずの芹沢くんも付いて来てくれることになった。


 私たちが付き合い始めた時は、うだるような暑さの真夏だった。


 けど、もうすぐ……東京は冬になる。


 お目当てのアイスを手に入れて満足顔の私は、コンビ二の白い袋を逆の手に持っている芹沢くんと手を繋いでいた。


 芹沢くんの、大きな手はいつも温かい。


 私は芹沢くんさえ不快にさえ思わなければ、常に繋いでいたいくらい彼のことが好きなんだけど……やっぱり、片手が常に繋がっていると、お互いに色々と不便だからそれは言わないことにしよう。


「……ゆうくんって、何であの彼女と別れちゃったの?」


「なんだったっけ……なんか、私とそれ以外、どっちが大事なのっていう究極の二択出されて、それ以外って言ったら、別れることになったらしいよ」


「え。何それ。めちゃくちゃゆうくんっぽい……」


 可愛い笑顔でそれを言いそうな悪魔な一面を持つゆうくんを思いうかべて、私は何故か震える思いだった。


 けど、先週色々とお騒がせしてしまった私たち二人のせいではなかったのかと、少しだけ安心したりもして。


「あのさ……結構、前から思ってたんだけど……」


「え? うん!」


 なんだか神妙な面持ちで私を見る芹沢くんが怖くて、胸が高鳴りドキドキした。


 何? 何なの? これから、私の推しは何を言おうとしているの?


「なんで、俺のことは名前で呼ばないの? 佐久間のことは、ゆうくんなのに」


 ゆうくんはスクールカースト上位からの半強制だったけど、そういえば芹沢くんのことは付き合ってからもずっと「芹沢くん」だった。


「だって、芹沢って、すごく良い名前じゃない? 響きも良いし、何回も声に出して言いたくなるの。芹沢くんは、名前も完璧。全部全部、好き」


 背の高い芹沢くんの顔を見上げて私がそう言うと、彼はにこっと優しく笑った。


「そう? 水無瀬さん。芹沢の苗字好き?」


「うん。大好き」


「じゃあ、あげるよ。俺は大学卒業すれば司法修習の一年が終わったら、全国転勤になるから。二人で一緒に、色んなとこで住もうよ」


 え。待って。待って。待って。


 あまりの出来事に急に立ち止まってしまった私を見て、芹沢くんは苦笑して正面に向き直った。


「……今。サラッと、大学生なのにプロポーズした?」


 まだ……私と付き合って数か月も経ってないし、芹沢くん人生決めるの早まり過ぎじゃない?


 けど、彼と絶対結婚したい私からしてみると、これはとっても都合の良い状況なので、それは口には出さないこととする。


 向こうのご希望だし。これって、私は絶対に悪くないと思うの。義務付けられていない事前の注意喚起を、言わないだけ。


「うん。返事してよ」


「うっ……」


「う?」


「嬉しい……けど、今の私の心の中を、ここで叫んじゃうと……なかったことになっちゃうかもしれないし」


 今から夜空に打ち上げられる喜び満載なロケットになってしまえるくらいに、物凄く嬉しい気持ちはある。


 けど、それを明かしてしまっても、彼に引かれてしまわないかと心配で……ふるふると震えるしかない。


「言って良いよ。別に」


「っ嬉しいぃぃいいいい!!! 喜びでしんじゃう!!!」


「はは。死因が喜び過ぎ? 新しいね。水無瀬さんらしい」


 私の就活もどうしようかなって思ったりもしたんだけど、芹沢くんが司法試験に受かって一年間の司法修習を済ませれば、彼は転勤生活になるかもって聞いていたから結構悩んでいた。


 彼を好き過ぎてしまう自覚のある私は、絶対に遠距離恋愛には耐えられないという自信しかない。


 だから、出来たら芹沢くんの最初の勤務地が決まったら、そこで本格的に就職活動してって……思ってたのに。この申し出は嬉しいしかない。


「こんなに好きにさせた責任、ちゃんと取ってよ。芹沢くん」


「うん。もちろん……初音。司って呼んでよ。俺たち、同じ苗字になるんだし」


 司! そうだった。芹沢くんの名前。ダメ。名前直呼びとか、ハードル高すぎてまだ無理。


「もっ……もうちょっと、芹沢くんに慣れてからにする」


 私が最大限の努力を約束した発言に、芹沢くんは苦笑してからまた歩き出した。そろそろ下がって来た気温の中に、ふんわりと私がプレゼントした香水の匂い。


「……初音。もう、一人で深夜でコンビニ行ってアイスは買わないでよ。一人暮らしだって見るだけでわかって、狙われやすいから」


「え? そうなの? 知らなかった」


「有名な話だよ。危機意識が欠け過ぎ。小学校で、習わなかった? 先生の話、ちゃんと聞いてた?」


「ちゃんと聞いてたし、そんなの習ってないよ! 自慢じゃないけど、勉強頑張る真面目さだけが取り柄だったもん。もう。芹沢くんって、心配性過ぎない。付き合った時も、そんな感じのこと言われた気がする!」


「その手の犯罪は増えてるし、自重してよ。可愛いんだから。危機意識が薄過ぎだよ。深夜出掛けて無事なのは、この辺の治安がそこそこ良いのと、ただ単に運が良かっただけだから」


「じゃあ、私が夏の深夜にどうしても、アイス買いたい時はどうしたら良いの?」


「……俺と一緒に、二人で買いに行けば良いんだよ。そういう犯罪で、男連れを狙うバカは居ない。撃退されるか、抵抗されて怪我するか。すぐ想像出来ると思うけどあまり良いことは、待っていない。だとすると、一人暮らしの女の子は、護衛も居なくて丸腰ってこと」


 芹沢くんの話を聞いていて、私はコンビニで彼を見かけた時に自分が思ったことを思い出した。


「あ。そういえば、私も……あの時、別の意味で丸腰だって思ったの。芹沢くんの視線が、攻撃力高すぎて。これだと私、身を守れないって」


「え? なにそれ。どういう意味?」


「だって。私、あの時……すっぴんだったでしょ!」


「初音って……化粧してもすっぴんでも、そんなに変わらないし。そのままでも、十分可愛いけど。正直言うと俺から見ると化粧してる時も、してない時とほぼ一緒にだよ」


「うっ……嘘言わないで! 早起きして時間掛けて頑張ってるのに。ぜんぜん違うよ!」


 芹沢くんと会う日は、結構な時間を掛けてメイクしてたのに……その本人から、ほぼ変わらないって言われた……ショック過ぎる。もうショックで、何日か寝込むしかない。


「初音って多分、清楚系のお友達の美穂さんから、色味の少ないナチュラルメイクを教えて貰ったんじゃない? 確かに、あれは男ウケは良いと思うよ。清楚で可愛いって、万人受けするから。けど、俺が化粧の方法を勉強してやってあげたら、もっと変われると思うよ。なりたい芸能人の顔を言ってくれたら、その人の化粧を勉強しても良い」


 たっ……確かに!! 美穂ちゃんは厚塗りメイクとか派手色を使ったメイクは、男ウケはあまり良くないからって言ってた。


 透明感を出すための肌の作り込みと陰影を上手く作る技術と、目が大きく見えるブラウン系のアイシャドゥの使い方を、めちゃくちゃ力を入れて教えてくれた気がする。


「それは、自分でもそうだと思う! くやしい!! でも、芹沢くんだったら、メイク動画とか見たら、簡単に習得出来そうだから、教えてくれたら参考にはするね!!」


 何でも出来るマン、芹沢くんが私にメイクを教えてくれるというなら、もっと可愛くなれる気がする!


 そういうことなら、私だって手段は選ばず、貪欲に可愛くなりたい。


 恋する乙女の目指す理想は、常に高いのだ。というか、芹沢くんにもっと好かれたいだけです。何か文句あります?


「はは。良いよ。元々、初音の化粧は、落としたら変わるくらい濃くないでしょ……それに、意図せずに見せてくれたすっぴんは、まじ攻撃力高い。男側からすると、俺だけに見せてくれてるっていう特別感あって、すごく魅力的に見える。それを恥じらってて隠そうとしてるのも、本当に可愛すぎた。あれは、会心の一撃」


「……そんなものなの?」


「そんなものだよ。というか、俺あの時、自分で気が付かなかっただけで、もう初音のこと好きだったのかも。好きな女の子のすっぴんは、攻撃力高すぎて。もう男側は白旗を上げるしか、その後の選択肢は残されてない……あの時の俺みたいに。ほら」


 そう言って彼は、笑いながらアイスの入った白いコンビニ袋を持ち上げた。


Fin

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