26 尾行

 立ち姿を表す言葉が素敵でしかない芹沢くんが、大学の最寄り駅の改札を出た。


 こんな時にも推しの彼の後ろ姿を堪能している私はというと、現在尾行中。


 昨夜、本日土曜日にどうしても会いたいと電話でお願いしたら、芹沢くんからごめん無理なんだと辛そうな声でそう言われた。


 この時に、巷で良く耳にする『女の第六感』というものを、私は初めて感じた。


 彼は、私に何か重大な隠し事をしている。


 話を聞くことは出来ないけど、気になり過ぎてしまった私はマンション前で出待ちをして、そして今に至る。


 芹沢くんは何かの用事があって、そのまま私たちがいつも通うキャンパスに向かうのかと思ってた。


 けど、何故か大学の近くにある小さな公園へと向かっている。私はなんでだろうと思いつつも、そのまま彼の後を尾行しようと歩き出したら、後ろから誰かに肩に手を掛けられて驚いた。


「えっ……っゆうくん! と、赤星くん……? 二人とも、何してるの?」


 そこに居たのは、芹沢くんの友人二人だ。どちらもタイプの違うイケメンであることは、大事な情報なので付け加えておきたい。


 けど、二人は驚いている私を見て困ったような表情をしていた。


「いや……それ。完全にこっちの台詞だから。みーちゃん、何してんの……言っとくけど。このまま芹沢が行く場所に行けば、みーちゃんは傷付くことになるよ」


 いつもは愛想の良いゆうくんなのに、信じられないくらいの真顔だった。


「っ……芹沢くんって、浮気してるの?」


 信じたくないけどそういう疑惑を持ってしまっていた私の言葉にゆうくんは、何故かやっぱりという表情になった。


「あー。そうか。やっぱり。みーちゃんは雪華のSNSに載せた、あの写真を見たのか。でも、なんで? 雪華と芹沢のことは、先方の事情で伏せられててあまり知られてはいない。俺も、芹沢本人から直接聞いただけだ」


 学生時代からモデル活動をしていた雪華の立場上、交際していた事実を隠さざるを得なかったという事情は理解出来る。そんな人が今は匂わせを繰り返しているなんて、辻褄が合わない気もするけど。


「うん。弟が、教えてくれたの。私が付き合っている人と、雪華が最近会ってるみたいだって」


「……なんで、みーちゃんの弟が、そんなこと知ってるんだ? 先に結論を言うけど、芹沢はみーちゃんを裏切ってなんかないよ。それは絶対に違うと、誓える。けど……みーちゃんはあいつの後を尾けて、すべてを知ってしまえば傷つくことになる。だから、俺たちは出来るだけ知られないように動いていた……みーちゃんは、傷付いても知りたい?」


 ここで引き返した方が良いと諭すようなゆうくんの言葉を聞いて、そんなことより芹沢くんは浮気していなかったと知り、深く安心した私は力強く頷いた。


 良かった。


 芹沢くんのことは大好きだし、信じているけど。やっぱり、二人が会っている証拠となる画像を送られていたら……それは、会っていたことは事実だったってことだから。


 けど、何か理由があって、芹沢くんは雪華と会っていたことが今わかった。だから、このところ芹沢くんには会えなかった。


 そういう事情で、学内ではゆうくんは出来るだけ私と一緒に居るようにしてたんだ。


「うん! 芹沢くんを、助けたい。私はその為に傷ついたって、別に大丈夫だから」


「みーちゃん。良いね。俺は、そういう子が大好きだ。俺は、味方だよ」


 これまで黙ったままだった派手顔の赤星くんは、にっこり笑って大きな手で私の頭を撫でた。


 長身の芹沢くんよりもっと背の高い赤星くんは、私には見上げてしまうほどだけど、彼がただそこに居るというだけで、何故か不思議と何があっても大丈夫だという安心感を貰える人だった。


「……わかった。けど、みーちゃんは俺たちと一緒に居るんだ。芹沢は今日、出来れば話し合いをしてこの事に決着を付けたいと、そう言っていたけど……これまでの交渉は、すべて決裂している。その後どうなるかは、俺たちにもわからないから」


 私たちがこうして話している間も、芹沢くんの背中は遠去かる。彼は公園への道を、一人で歩いていた。


 雪華が……芹沢くんを、私が傷付くような何かで脅している……? これって……一体、どういうことなの?



◇◆◇



 公園の中ほどに、距離があっても美しいとわかる女性は隣に居る誰かと一緒に芹沢くんを待っていたようだった。


 私とゆうくんと赤星くんの三人は、良い感じの木の陰を見付けたので、そこへと身を隠した。


「っ……かっ……!」


 腰を落ち着けようとした私が、雪華の隣に居た人を見て立ち上がり彼の名前を呼びそうになったから、ゆうくんは慌てて私の口を手で塞いだ。


 うそうそうそ!


 あれって、私の幼馴染で元彼のかっちゃんだ。なんで、雪華の隣に当たり前みたいな顔をして立ってるの?


 思いも寄らなかったまさかの人が居ることに呆然としていた私の耳に、信じられない言葉が聞こえて来た。


「もう……あの子と、別れたの? 司。私、そんなに気が長い方でもないんだけど。知ってるわよね?」


「……いいや。何度も話した通り、俺は水無瀬さんと別れるつもりはない。そして、雪華さんと寄りを戻すつもりはない。彼女の写真に関しては、いくらでも……俺の全財産、出してでも良い。買い取る。だから、もう俺たち二人には、近寄らないでくれ」


「あら。可哀想よね。自分は知らないところで、顔も名前も知らない沢山の誰かのオカズになるなんて……可哀想だと思わない? 私たちだって、そんなの嫌よねぇ? ねえ。北村くん?」


「……さっさと、初音と別れろ。あの子は、昔から俺のものだ」


 え? 嘘。これ、皆。何を言ってるの?


「……みーちゃん。この話を補足すると、あのみーちゃんの元彼が……みーちゃんが眠っている内に、裸の写真を撮影してて……それを、ばら蒔かれたくなかったら別れろと、芹沢はあの二人から脅されていたんだ。警察に行けば、すぐに解決するかもしれないけど。そんな写真をばら蒔かれたら、みーちゃんは傷付くから。それは、絶対にしたくないって」


 ゆうくんが小声で、この事態の衝撃的な流れを私に耳打ちをしてくれた。


「嘘……だから、だから。芹沢くんは……」


 雪華にそんなことを止めて欲しいと、何度か会いに行ってたのが……あのSNSに掲載されていた、写真? うそ。信じられない。


「うん。芹沢は、何度かあの女に会いに行って、説得しようとはしたんだ……あ。なんかSNSに載ってた写真、あの場所に芹沢と雪華の二人だけじゃなくて、俺も居るからね。なんか、良い感じに切り取って、画像編集上手いよな。流石、本職だわ。あの女。けど、別にみーちゃんはあの女をフォローしている様子も、なかったし。可愛い系のアカウントしかフォローしてなかったから。あの話題がみーちゃんのタイムラインに流れて来ないことを、祈ってた」


「あ。ゆうくんも……あの画像の時に、一緒に居たんだ……」


 私はこんな時だと言うのに、そのことに物凄くホッとした。芹沢くんは私を裏切ってなんか、なかった。


 まったくの逆で。私を最低な元彼のリベンジポルノから、どうにかして守ろうとしてくれていただけ。


「そうそう。みーちゃん……辛かったよな。なんか、この前連絡来て凹んでいるのを見て、俺ももしかしたらヤバいかなとは思ったんだけど。こういう事情を、全部話す訳にはいかなくて……ごめん」


「ゆうくんは……何も、悪くないよ」


 そうだ。ゆうくんは、友人と友人の彼女のために、どれだけの労力を割いてくれたのか。


 もしかしたら、この前に彼女と別れたのだって、私と離れなきゃいけなかった芹沢くんの代わりに一緒に居なきゃいけないからだったのかもしれない。そう聞いたとしても、彼は絶対に否定すると思うけど。


「話にならないわね。司。私たちは、同じじゃない。普通の人とは、全く違うのよ。同類は一緒に居るべきだわ。それに、もう私たち、何度もこの話を話し合ったけど、交わらない平行線でうんざり……ああ。それと、彼女は私と司が会っていることを、もう既に知ってるわよ」


「……水無瀬さんに、直接連絡をしたのか? それは……約束が違う。どういう事だよ。いい加減にしろよ」


「いいえ。彼女の弟に、それとなく情報を伝えただけ。そうしたら、弟か彼女か。どちらかが、私が司の写真をアップしているのを、見たでしょうね。だから、私たちが彼女へ直接連絡をしないという、約束は破ってないわ。弟から、彼女に伝わったのよ」


「……俺の写真を? ふざけんな……話をせずに勝手に掲載されたのなら、俺にも考えがある」


「ふふ。訴えて肖像権侵害の慰謝料でも、請求する? その程度、何回でもいくらでも。払ってあげるわよ」


「なんでだよ……雪華さん。もう、俺たちが別れてから三年も経っている。俺だって、あの時のような何も知らなかった高校生じゃないよ。別れる時も、ちゃんと話し合ってお互いに納得して別れたはずだ。俺は雪華さんとは、一緒に居られない。二人の根本の考えが全く違うから、もう無理だよ」


 芹沢くんは、苦しそうな表情だ。そんな辛そうな彼を見て、雪華は満足そうにして艶やかに微笑んだ。


「嫌よ。だって、私は司と付き合っている時が、一番楽しかったもの。あれから、何人かの男性と付き合ったけど、やっぱり、私には司しかいないって思ったの。だから、私と一緒に居ましょう。そうよ。そこまで大事な彼女のために、自分が犠牲になるなんて、素晴らしいことだと思わない?」


 芹沢くんは、雪華の言葉を聞いて黙ってしまった。もう彼女には何を言っても無駄だと……そう、判断したのかもしれない。


 雪華は芹沢くんを、苦しめて楽しんでいるんだ。


 もし、本当に彼のことが好きならそんなことはしないはずだ。だから、雪華は芹沢くんのことを絶対に好きじゃない。彼を思い通りの玩具にして、楽しむつもりでいるんだ。


 私は大好きな芹沢くんには、幸せで居て欲しい。もし、彼の幸せの邪魔になるというのなら、喜んで身を引くだろう。


 私のために芹沢くんが、犠牲になる? 冗談じゃない。私の世界で一番大事な人を守るためなら。


 そういう覚悟なら……この私だって、とうの昔に決めているのだ。


「ちょ、ちょっと! みーちゃん!!」


「え! 待って、待って!」


 私はすっくと立ち上がり、引き留めようとしたゆうくんと赤星くん二人の必死の手を振り払った。


 そして、立ち尽くしていた私の世界で一番大事な人。芹沢くんの前へと出た。

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