25 匂わせ

「水無瀬さん。芹沢くんと、さっさと別れなさいよ。全然似合っていないのが、自分ではわからないの?」


 ただ講義の合間に一人でテラスに座っていただけの私は、いきなり前の席に座ったミス優鷹の蓮井さんに、結構な剣幕で詰め寄られていた。


 芹沢くんが私を守るために周囲に広めた誹謗中傷すれば訴える件についてなんだけど、こういったことを私に直接言ってくる分には、そういった犯罪行為には当たらないらしい。


 だから、そういう奴が万が一居たら対処するので、俺に言って欲しいとは言われていた。


 けど、そういう……なんか良くわからない悪口を言ってくる人って、多分自分が言ってると本人には認識されたくないと思う。誰だって、自分が悪者にはなりたくないものだ。


 こうやって私本人に正々堂々言ってくる蓮井さんって、もしかしたら……正直者っていうか悪い人には、なり切れないっていうか。ある意味、憎めない人なのかも。


「私も……自分でも彼には似合ってないとは思うんですけど、芹沢くんが好きなことは誰にも負けません!」


 私がはきはきと芹沢大好き宣言してから、何かを言い返そうとした蓮井さんは、何故か私の後ろに居る誰かを見て顔色を変えた。


「蓮井。ここから、すぐに失せろ。芹沢は彼女と別れても、お前とはこの先絶対に付き合わねえよ」


 ドスの利いたとても低い声がして、私は一瞬ヤの付く職業の人が、なんでこんなところに居るのかなと、ふるっと身体を震わせた。こんな状況を助けて貰ったはずなんだけど、私も逃げたい。


 蓮井さんは可愛い顔をぎゅっと大きく歪めてから、無言で席を立ち足早に去って行った。


「っ……え? ゆうくん? さっきのゆうくんだったの?」


 なんと、私が振り返ってお礼を言おうと思ったら、そこに居たのは、人当たりの良さなら天下一品コミュ力モンスターのはずのゆうくんだった。彼はさりげなく近寄り私の席の隣に座りつつ、感じの良い笑顔で言った。


「はは。俺もこんな可愛い顔してても、一応は男だからさー。あんな感じの低い声も、出せるよ……ああいう頭が足りない奴には、先んじて強めに威嚇しとくのが一番だよ」


「ゆうくんの威嚇行為、めちゃくちゃ、強かった……なんだか蓮井さん。凄く怯えてたね」


 もしかして、あんな反応を見せるのは、顔に似合わないドスの利いた声のせいだけではないのではと、私が不思議に思って隣のゆうくんの顔を見れば、彼は楽しそうに笑った。


「あれっ。みーちゃんっていきなり襲い掛かってきた言葉を知らない獣とも、わかり合おうとしちゃうタイプ? 動物好きなのはわかるけど、躾が出来てない奴は危険だから、近寄らないようにしようねー……嫉妬の感情はさ、誰にだって持つことはあるよ。だが、それを自分の中だけでは飲み込めずに、よくわからない理屈を捏ねて機嫌を悪くするのは、知能が足りてない証拠だから。対等の存在だと思わずに、それ相応の対応をしたら良いんだよ」


「ゆうくんって、こんなに可愛い顔してるのに……結構、言うんだね」


 可愛い顔をしているからこその、ギャップのある毒舌が怖い……そういえば、芹沢くんも、佐久間は悪魔ってなんかの時に言ってたような。やけに語呂が良くて、私も言いたくなってしまう。


「あのさ。俺がみーちゃんに対して、可愛いことを言っているのは、みーちゃんがそういう可愛い子だからだよ。人間関係って、大体は鏡だから。鏡は先に、笑わないだろ? そういうこと」


「え。今……私。可愛いって、褒められた?」


「はは。そういうとこな。うん。すごーく褒めた」


 ミスター優鷹の芹沢くんと同じくらいにモテモテのゆうくんは、最近元チア部の美人の彼女と別れてしまったと、大学内ではもっぱらの噂だ。


 だから、次の彼女候補になりたいという女の子に話し掛けられるのが面倒なのか、なんなのか。このところ、何故か友人芹沢くんの彼女で完全に圏外の存在である私と、話しに来ることが多かった。


「……あの……芹沢くんって、最近会った?」


 最近、私は芹沢くんと会えてない。


 銀河から元カノ雪華の情報を貰ったあの直後から、彼はやけに多忙になってしまった。


 いつもは彼の方から空いている時間を、率先して教えてくれるのに。最近は、メッセージアプリでの、文字のやりとりだけ。


 やりとり自体は会えてないから、その分増えたけど……やっぱり、芹沢くんと直接会えないのは寂しい。


「……んー。なんか、芹沢は忙しいみたいで、俺は会えてない。あいつは、司法試験の予備試験にはもう通ってるんだ。来年本番の司法試験を受けるみたいだから、その辺の届け出とか準備とか……色々あるんじゃないの」


 彼の親しい友人のゆうくんがそう言っているんであれば、多分それで間違いないんだろう。私は芹沢くんと会えてないけど、それは皆一緒なのだ……仕方ない。


「そっか……それなら、我慢は出来るけど。会えないの、寂しいな……」


 私はゆうくんと話しつつなんとなく、自分のスマホのディスプレイを触っていた。


 その時、偶然通知が来て、芹沢くんかなと思った。けど、弟の銀河だった。つい、落胆した。ごめん。銀河。


 何かの画像を私に送って来ていて、それを何気なく開いた。


「……え」


「みーちゃん? どうかしたの?」


「うっ……ううん。何でもないよ……」


 とても気が利くコミュ力カンストゆうくんは多分、私がなんでもないと無理をして言った言葉を、嘘だと見抜いたはずだ。


 けど、何故か彼はその理由を踏み込んで私を問い詰めることはせずに、自販機で買った温かな加糖の缶コーヒーを奢ってくれた。


 次の講義の時間まで、明るいゆうくんの滑らない面白い話を聞きつつ、熱いはずのコーヒーを飲みつつも私の心は冷え続けていた。



◇◆◇



「……嘘だよね……」


 その日にやるべきことをすべてこなし、私はようやく自分の家へと辿り着いた。


 銀河が送って来た、あの画像を見てしまったショックが数時間経った今も消せない。


 呆然自失のままでスマホの画面に映る画像の上に、ポツリと水滴が一粒落ちたから、私は慌てて手で拭き取った。


 ものすごくバカだと自分でも思うんだけど、それは私が零した涙だと気が付いたのは、その後だった。


 次から次へと、頬を伝い零れ落ちる涙。どうにか、止めようと思っても止まらない。変えようと思っても変わらない、酷い現実のように。


 画像に写る端正な顔は絶妙に隠れてはいるけど、逞しい体つきと形の良い口元だけでも、どれだけその男性が持つ容姿が良いか察せてしまう。


「やだっ……やだ……せりざわくん……なんでっ……」


 弟の銀河がスクショを送ってくれた雪華のSNSに掲載されていたのは、私の彼氏のはずの芹沢くんで間違っていない……一度目はもう気にしないようにしようと、心に決めた。いつか、芹沢くんも私に訳を話してくれるはずだと。


 けど、二度目は……気にしないのは、無理。


 銀河がくれた追加情報では、また雪華が匂わせをしたと、SNSでは大騒ぎ炎上中。


 けど、彼女が元々付き合っていたある有名俳優ではないと判明したからか。匂わせ写真に映っている芹沢くんが誰なのか、相手が誰かを当てるそういうゲームみたいになっていて、大変なことになっているらしい。


「……嘘……うそうそうそ……嘘だぁ……」


 あんなに。私のことを好きって、言ってくれたのに……なんで、芹沢くんは、今も元カノと会っているの?


 それは、彼本人に直接聞けば……簡単にわかるくらいの疑問なのかもしれない。


 あの人は、真面目で誠実な性格で……だからこそ、大好きになって。ちゃんと聞けば、きっと教えてくれるはずだ。違うよ。ある事情があって、どうしても会わなきゃいけなかったからって。


 そうだよ。こんなことを。私を裏切るようなこと……あの芹沢くんが、する訳なんてないってわかっているのに。


 けど、怖かった。どうしても、怖かった。


 私の人生の中で、絶対に失いたくない人だから。どうしても。


「芹沢くん……なんで……」


 恐れている何かが起きていることを、知ってしまうのが、本当に……怖かった。

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