23 彼女(side 司)

「前から思ってたけど、水無瀬さんって食べるの早いね。見てると気持ち良い」


「だって、お腹が空いてるのに、早く食べたいという気持ちを我慢する意味がわからないもん」


 そう言って彼女は大きく口を開いて、自分で具材を決めたベーグルを美味しそうに食べてから、「サーモンチーズ、美味しい」とにこっと微笑んだ。そんな水無瀬さんに釣られるようにして、こちらも笑ってしまう。


 俺はこの可愛くて自分のことを大好きな生き物を、後でどうやって味付けして食べようかと現在思案しているところなんだが。もちろん、口には出す訳もないので彼女は知る由もない。


「……わ。さっきベーグルの写真をアップした投稿に、いいねが来た。嬉しい。あ。ゆうくんも、コメントしてくれた。可愛いね場所教えてだって。この人って、本当にマメだよね。コミュ力カンストこわい。ここのベーグル、お洒落で可愛いもん。皆の反応すごく良いよ。芹沢くんの連れて行ってくれるところって、気の利いた可愛いところばっかりだよね」


「あ。うん。結構……水無瀬さんの好きそうな場所、調べたから。喜んでくれているなら、嬉しい」


 疑う事を知らない水無瀬さんは、プライベートの友人同士で繋がっているSNSをたまに覗いたりと割と楽しそうにしているようだ。俺は一切やらないので何を書いているのかは知らないが、何故か彼女は俺の写真は撮らないので、彼氏について投稿したりはしていないように思う。


 ああいったSNSは、彼氏とのラブラブ写真を載せたがるものじゃないんだろうか。自分がどれだけ幸せなのかを競い合う、終わりなき自慢のカードゲーム。


 他者評価でしか自己承認が出来なくなった人間は、人心掌握が上手い目に見えぬ誰かの意向に沿うように、自分のしたいことなど二の次で動くことになる気もするんだが。


 そういった人間がそれこそが幸せであると認識しているのなら、この俺とは見えている世界がただ違うだけなのかもしれない。


 けど、そんなことを思いつつ誰かから来たベーグルの写真に向けられたコメントに、どう返そうかと悩んでいる水無瀬さんは可愛い。ダブルスタンダードだと何だと言われようが、彼女に関することはそれ以外とで俺の中では別なのだ。


 そこを非難されても、俺が好かれたいのは水無瀬さんだけなので、特に問題はない。彼女がそういうことを望まないのなら何も言わないが、男避けに二人の写真を一枚くらい載せないのかなとは思っている。


 思い通りにはならなくて予想もつかない彼女の思考に、俺はいつも翻弄されるだけ。


「……ねえ。水無瀬さん。俺と、写真撮らない?」


 何故かその言葉に大袈裟に驚いた水無瀬さんは、危うく肘で押してしまったカフェオレを零しそうになったので、俺が咄嗟にマグカップをキャッチすれば恥ずかしそうに照れ笑いした。


「ありがとう……ごめんなさい。けど、な、なんで!! 芹沢くんって、写真嫌いじゃないの?」


「確かに勝手に写真を撮られるのは、嫌だとどこかで言ったかもしれない。けど、水無瀬さんに撮られるのなら、俺も何も言わないよ。彼女だし。頼むから、その手の情報は、俺の口から聞いて確認して。佐久間に色々と何かを聞いてるのは、知ってるけど。情報源の中で一番良い情報くれるのは、絶対本人だよ。あと、何より確実だ」


「そっ……それも、そうだよね。けど、芹沢くんが写真嫌いって聞いたのは、私が芹沢ガールの時だから。私たちの不文律だったの。芹沢くんにカメラのレンズ向けたら、もう挨拶に行くことすら許されなくなるって」


「芹沢ガールという呼称については、俺にも色々と言いたいところはあるんだけど。今では完全に諦めの境地に至ったから、とりあえずそこはもう良いとして、そんな不文律あったんだ……さっきも言ったけど、水無瀬さんは俺の彼女だし。写真くらい撮られたからって、何も言わないよ。出来たら俺だって、水無瀬さんの写真欲しいし」


 包み隠さず俺の本音を言えば、彼女の顔は目に見えてパッと輝いた。


「うっ……嬉しい! じゃあ、芹沢くんの部屋にカメラ置いて、二十四時間動画をずっと撮っても良い? 私。どの瞬間も、見逃したくなくて」


「……うん。その辺りは色々とお互いの意見に、擦り合わせが必要みたいだ。けど、俺も水無瀬さんの可愛い写真は沢山撮りたいと思ってるから……限度を越えない程度に、お互い撮影しても良いことにする?」


「うっ……嬉しいぃぃぃぃぃ。良かった。今まで、ずっと我慢してたの。付き合った日も……なんで、私の目には、スクショ機能が付いてないのかなって……ずっと」


「俺と、付き合った日? あの日に、なんか……二人で撮影するようなところ、あった?」


 確かエアコンの壊れた彼女の部屋で付き合うことを決めてから、二人でシャワーを浴びて俺の部屋へと移動しただけのような気がする。


 彼女の家から、俺の家までは駅周辺と言っても、ただの商店街続くだけ。目新しい撮影スポットなんかも特にない。


「わかってないっ……芹沢くんは、自分の放つ眩しさについて、わかってないんだよ。えっと、出来たら今度、あの時の再現のために、半裸で朝日浴びて欲しいんだけど……ダメ?」


 あの時、汗に濡れたTシャツを着るのが嫌だったので、早朝だし人目もないから良いかと、上半身裸でのままで確かに道を歩いていた。


「……水無瀬さんって、本当に俺のこと好きだよね」


「うん。私。芹沢くんのこと、全部好きだよ」


 へらっと微笑んで水無瀬さんは、目の前のベーグルに口を開いて齧(かじ)り付いた。


「……じゃあ、俺の部屋に一緒に住む? 毎日家に帰ったら、水無瀬さんが居ると嬉しいな」


 これは佐久間に相談したら、付き合ってすぐにそんなことを言えば絶対に引かれると言われていたことだったので、俺なりにかなりタイミングを図って言ったつもりではあった。


 合鍵をすぐに渡したのに、何故か俺と明確に約束している時にしか水無瀬さんは部屋に来ない。


「だっ……ダメ!」


 二つ返事でオーケーしてくれると思っていたことだったので、俺はここで内心慌てた。彼女の思考は計算が出来ないと思っていたけど、この流れで断られる理由なんて、俺には本当に理解不能だったからだ。


「うん……あの、なんで?」


 出来るだけ水無瀬さんからは平静な様子で見えるようにして、落ち着いて聞いたつもりだ。


 ちなみに心の中では「なんでだ良くわからない」という大嵐が巻き起こっている。俺の事をあんなに好きだと言ったのに、同棲の提案を断られるなんて思っていなかった。


 もう。この子の考えすべてを理解するのは、俺には一生無理なのかもしれない。


「四六時中……芹沢くんと、一緒に居るなんて。無理だよ!」


 水無瀬さんのはっきりとした拒絶の言葉を聞いて、頭をガーンと大きなハンマーで殴られたかのようだった。


 けど、きっと彼女のことだ。


 こんな普通の思考回路の俺には思いつきもしない、突拍子もない良くわからない理由で嫌がっているに違いない。だいぶ、そんな水無瀬さんがわかって来た。


「……うん。なんで? 水無瀬さんは、俺のこと好きなのに?」


「好きだから、無理なの。絶対に変なとこを、見せたくないもん」


「水無瀬さん。何してても、可愛いのに……俺へのそういう変な幻想、どうやったら無くせるのかな……」


 そんなことなんてどうでも良いとばかりに俺の写真を撮りたいシチュエーションを語る、水無瀬さんのキラキラとした目を見れば。


 その答えは、簡単には出なさそうだった。



◇◆◇



「あんた。何の目的だ?」


「待って……なんのこと?」


 このところ、大学内で俺にやたらと纏わり付いていた女は、いきなり学内のカフェに誘われホイホイと着いて来た。


 何かしら前向きな話が出来ると踏んでいたのか、上機嫌だったはずのお綺麗な顔は瞬時にして強ばり固まった。


 まるで、芸能人のような容姿をした女の。見え見えで、わかりやすい性的アピール。それを向けられた側の俺にはどこか気持ち悪い違和感しか、なかった。


 こういった容姿に自信のある女は、自分のことを大事にしてくれない男は、自分にとってのゴミに似た存在だと決め付けている場合が多い。


 容姿が良いという時点で既に全方位の男が言い寄ってくるので、自分は何の努力もせずにその中から好みの男を選ぶだけで良い人生だったはずだ。


 そんな楽なルートをこれまでに辿って来たのなら、誰かから冷たくされてもめげないという関係性には耐えられなくなるものだ。


 これだけ何度も、彼女が居ると言っても聞かずに無視されても諦めないなんて、明らかにおかしいことだった。


「……何を、企んでる? ……お前。もしかして、別れさせ屋じゃない? 前にそういう職業の話を、聞いたことがあるんだよ。俺の彼女には手を出せないから、誰かがダメ元で送り込んだ女?」


「ち、ちがうわよ!」


 女の目が一瞬泳いだのを見て、正体を確信した。なるほど。演技は上手いが、突発的な事態には弱いタイプのようだった。


「見え見え、なんだよ。お前。俺のことなんて、絶対に好きじゃないだろ。金をいくら積まれたか知らないけど、恋人同士を別れさせて、どうするつもりだ? 依頼人は、誰? わかりやすく言い寄ってくれたから、証言者には困らない。大学の部外者なんだから、俺が今から突き出したら、すぐに個人情報の調べはつくんだけど?」


「……依頼人の名前は、絶対に言えない」


 部外者が大学にまでやって来て纏わり付かれていて迷惑をしていると、警察に届けを出せば本来この場所に居るべきではない部外者は御用となる。流石に本職の公的機関には、偽の身分証は通らないだろう。


 そうすれば、後ろ暗い事情を持つ連中に関しては、色々とやりようがある。


 女はこれは逃げられないと踏んだのか、さっきまでの媚びたような不自然な笑顔は何処かへ消えた。憎々しい表情で、俺をきつく睨み付けた。


「やっぱりか。じゃあ……俺がその依頼人の依頼料の倍額を情報料で出すって、言ったら?」


 金には金で対抗するかと俺が提案すれば、女は唇を噛みイライラした様子で首を横に振った。


「無理。一応、これは私の仕事だから、信用が一番だし」


「はは……そんな外道な職業でも、一応はそういうプライドは持っているんだ? じゃあ、これだけ答えろ。依頼人は、男? 女? 答えたら、警察に通報するのだけは見逃してやるよ」


「女よ! じゃあね! めちゃくちゃ、ムカつく男!」


「それはどうも。あんたに好かれたくないね。大人しく帰ってくれて、ありがとう」


 女はいきり立って立ち上がり、カツカツと耳障りなハイヒールの音を立てて、去って行った。


 あれだけの容姿を持つ別れさせ屋の時間を何週間も拘束し、俺をハニートラップに掛けるだけの目的で張り付かせることが出来る……財力を持つ、女か。


 今までに想定していた中でも、最悪な事態がこれから起こりそうだった。

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