2

 その日、君は少し気に掛かるぐらい咳をしていた。


「大丈夫?」

「……うん。なんか喉がね」


 でも特別心配する程じゃなかった。少し気になる程度。気が付けば良くなってるだろう。それでなくても明日にはすっかり忘れてる――そんな感じ。

 だから朝から少し咳気味だった彼にも慣れ、その日は余り気にしてはいなかった。ただ少し彼には安静にしてもらって代わりにアタシが色々としたぐらい。

 だけど翌日になってもその咳が治る事はなかった。


「ゲホッ……ゲホッ……」


 更にその次の日も。


「ゴホッゴホッ……」


 彼の咳は治るどころか日を増すごとにむしろ悪化していった。




 道なんて無い。いつの間にか足元には自然のありのままが広がっていた。

 けれども――それでもアタシは歩みを止めるわけにはいかない。一歩また一歩と足を進める。それ以外に選択肢はない。


「大丈夫。もうすぐだから」


 最早、意識すらなく辛うじて生きている背中の彼にアタシは呼吸が乱れながらもそう伝えた。

 でも返事の代わりに聞こえるのは背中に感じる微かな彼の鼓動。でも今のアタシにはそれが何よりも力を与えてくれる。背中から足へ。伝わる力を糧にアタシはどれだけ疲れててももう一歩を踏み出す。




 その日、家にはお医者さんが来ていた。呼べる中で最高の医者。って言えば聞こえはいいけど、実際には近くの町のお医者さんだ。ベッドで咳き込む彼の胸へ聴診器を当てここ最近止まらない咳の原因を調べてくれている。


「どうですか?」


 アタシは思わず先生の声より先にそう尋ねてしまった。


「んー。ただの風邪だと思いますけどね……。取り敢えず咳止め出しておきますね」


 その言葉に安堵すると同時に依然と不安な気持ちは拭い切れなかった。別にこの不安を納得させるだけの病名を言われたかったわけじゃない。むしろただの風邪だと言われてホッとしてる。

 でも膨れ上がった不安は実際に咳が止まって治るまで綺麗になくなる事は無さそうだった。

 それから彼は薬を呑みつつ安静に過ごした。一日の大半をベッドの上で過ごす日々。しかも病状は到底、良くなってるとは思えない。

 そんな彼にアタシにしてあげられる事はただ只管に看病してあげる事だけ……。


「ほら。ご飯出来たよ」

「ゲホッ! ――ごめん。今はちょっとゲホッ! 食欲ないや……」

「ダメだよ。だってそう言って今日、何も食べてないじゃん。何か食べないと……」


 そう言いつつも彼を見てると無理強いをするのは気が引ける。


「――ごめん」


 その小さな声の謝罪はアタシの心に深く突き刺さった。

 初めて咳が続いた時からどれくらい経っただろう。診てもらった先生は口を揃えて「ただの風邪」なんて言ったけど、そんなはずはない。これだけ続いて、しかも悪化の一途を辿る風邪なんてあるはずないのだから。

 きっと医学では説明できない何かが起きてるに違いない。

 そう思ったアタシは藁にも縋る思いで、微塵も信じてないシャーマンに助けを求めた。

 だが結果は何も変わらない。今日も彼はベッドの上で苦しんでいる。


「大丈夫?」


 そう言いながらすっかり痩せた頬に触れる。変わらずの温もりが答えてくれるのがせめてもの救いだ。


「心配かけてゴホッ! ゴホッ! ゴホッ! ――ごめんね」

「――謝らないでよ」


 君は何も悪くないのに。そう思うと込み上げてくるものがあって、アタシは彼に抱き着いた。弱々しく背に触れる彼の手。それがより一層、鼻根を突いた。


 その日、アタシは森で狩った動物の肉を売る為に近くの町を訪れていた。これまで通り肉を売って、パンや野菜なんかの日用品を購入。

 いつも通りそのまま帰ろうとしたが――。


「いやー、俺もあの伝説のドラゴンを見つけて良い嫁さんをもらうっつー願いを叶えてもらうかなぁ」


 ふと、そんな会話の一部がアタシの耳へ。


「あの、伝説のドラゴンって?」


 アタシは思わず、店主のおばさんにそう尋ねてしまった。


「あぁ。知らないのかい? 北の森のどこかに最後のドラゴンを封印した洞窟があるって言われててね。その封印を解いた者にはドラゴンがお礼として願いを何でも叶えてくれるって話があるんだよ。話って言ってもただのおとぎ話みたいなもんさ。昔はドラゴンがいたって言われてるけど、それすらも怪しいからねぇ」


 そう言って笑うおばさんから紙袋を受け取ったアタシはもう一度だけ話をしていた若者へ目をやってから帰路へと就いた。

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