3

 その昔、この世界に人間は存在しなかったという。空を統べるドラゴンと地を統べる魔族。その二種族は互いに干渉する事は無く、世界は平穏に時を刻んでいた。

 だがある時、ドラゴンと魔族の均衡は崩れてしまった。強大な力を持つ両者がぶつかり合い世界を揺るがす程の争いは何百年と続いた。

 その末、世界から姿を消したのはドラゴン。

 しかし魔族も無事ではいられず、その数は限りなく絶滅に近づいていた。そんな世界へ神は新たな種族を生み出した。

 それがアタシ達、人間だ。


 この世界にはそんな昔話がある。真実かどうかは分からない神話のような話。

 でもそれを裏付けるように実際、この世界には魔族たる種族が存在する。絶大な力を誇り、その数もごく少数。

 だとしたらあの話も本当なのかもしれない……。

 解放と引き換えに願いを叶えてくれるドラゴン。




 あの日から彼の体調は悪化の一途を辿り続け、今では起きてる時間よりも眠っている時間の方が長い。逞しかった体は痩せ、面窶れしてしまっている。腕に伸びた管が食べない君の体を支える。医者でさえ首を傾げるこんな状況じゃ、楽しく笑い合って幸せだったあの頃も既に記憶の向こうだ。


「もうあの日々には戻れないのかな?」


 もう眠る君の頬に触れてもこの手を包み返してはくれない。

 でもアタシにはそれがまるで答えのように思えた。戻れない、そう言われているような気がした。

 分かってる。それがアタシの悲観的なった心が思わせてるだけの幻だって事は……。しかもそんな事を考えれば考える程、あの日々の想い出を色濃く鮮明に思い出してしまう。

 気が付けば頬を生暖かい雫が流れていた。


「何でもする。君との日々を取り戻せるのなら」


 アタシは彼の手を取り、頬擦りするように触れさせた。


「――あの時のように何でも」


 その日の夜。アタシは久しぶりに君の隣で寝た。手を握り締め、出来るだけ近くで。




 家から一体どれくらい歩いたんだろう。少し上がった息と疲労を感じ始めた脚。

 でも足を止めたのは休憩をする為じゃない。

 アタシは普段、(彼がこうなってからは一人で)この森で狩りをしている。この北の森で。だから狩りがてら少し足を延ばしては期待を胸に探していた。


「――ここだ」


 来るもの拒まず。そう言うように大きく口を開けた洞窟。その奥は昼間だというのに、陽光だけを拒み果てしない暗闇が続いていた。


「きっと大丈夫だから」


 アタシは背中の彼へそう声をかけると、まだ整わない息のままその洞窟へ足を踏み入れた。

 正直に言ってそれは藁にも縋る思いだった。いや、藁どころか目に見えない何かがそこにある事に賭けるとでも言った方がいいのかもしれない。アタシ自身、その手の話は信じないから。

 だからそれを目にした時は、まず自分の目を疑った。もしかしたらこの空間には良くない何がが充満してて、幻覚でも見てるんじゃないかって。

 一寸先も見えない道を進んでいると、響く足音が空間の広がりを知らせた。そこで足を止めると――それに反応したかのように辺りに松明が灯る。


「やっぱり幻覚なんかじゃなかった……」


 まるで猫のように体を丸めるドラゴンの姿がそこにはあった。微かに上下する巨体が依然と生命を宿している事を伝える。

 そして――そのドラゴンを押さえつけるように体を駆ける鎖。それは明らかに物質によって作られた鎖と言うよりは、何かのエネルギーの塊のような物。特殊な力による物だというのは一目瞭然だった。


「っていうことはあの話も……」


 再確認するように呟きながらアタシの中で光明がその輝きを露わにしていた。

 するとその時――。生きているのかと疑うほど微動だにしなかったドラゴンが、そっと瞼を上げ始めた。その内側から現れた瞳は松明を反射しながらアタシへ射抜くように視線を向ける。

 鎖で身動きを封じられていると視覚的情報として理解してはいたものの、その巨体から発せられる威圧感と鋭い眼光はアタシの体を金縛りのように強張らせた。


「魔人……ではないな。何者だ?」


 地響きのような声は余裕を体現するようにゆっくりと言葉を並べた。


「アタシは――アルトリア・W・マリーゴールド。――あなたが最後のドラゴン?」

「最後――」


 そう言うとドラゴンは嘲笑的に鼻を鳴らし笑った。


「そのようだな」

「――その封印から解放すれば……願いを叶えてくれるっていうのは……本当なの?」


 上から押し付けられるような威圧感とその圧倒的な存在感。アタシは雑談なんてしている余裕はなかった。精神的にも時間的にも。


「願いか……」


 答えとしては成立していない言葉の後、辺りを包み込んだのは数秒の沈黙。


「貴様は何を望む?」

「この人を治して欲しい。元気だったあの頃に」


 アタシはそう言って背負っていた彼を見せた。


「その為なら何でもする」

「何でも……か」


 言葉を嚙み締めるように繰り返すドラゴンの思考は読めるはずもなかった。


「貴様に成せるとは思えんがな」

「出来る! いや、やるわ。例えどんな手を使ったとしても……。彼との日々を取り戻せるのなら。アタシはやる!」


 当然ながら虚勢でもなければ其の場凌ぎの言葉でもない。もしその可能性があるのなら、それを叶えてくれるのなら――アタシは何だってやる。この命を懸けて持てる全ての力でやり遂げる。その覚悟はもうすでにこの胸の中に。

 それらからドラゴンは少しの間、(何かを考えているのか)目を閉じた。

 そして再び開いた双眸は、相変わらずの眼光をアタシへと向けた。


「よかろう。ならばその者を儂の前へ」


 その言葉にアタシは一瞬、躊躇してしまった。ドラゴン――その姿は近づくには余りにも抵抗のあるものだったから。

 でも彼の為とアタシは足を進めるとドラゴンの前に警戒しつつも彼を寝かせた。


「もっとこっちだ」


 そう言ってドラゴンは前足の一本を上へ上げて見せた。きっとその程度しか動けないんだろう。とは言えその爪は尖鋭で触れるだけで血が溢れ出しそうな狂暴さを秘めていた。

 だけど、従わなければ何も進まない。アタシは彼を再度抱えるとドラゴンの足元へ。

 すると爪先に何やらエネルギーが集結し、それに気が取られている合間にそれは丸い塊と成った。何が起こるのか想像すらつかない。

 そんなアタシの戸惑いを他所にその球体は一滴の雫へと形を変えた。泪か雨か――その雫は爪先から滴ると真っすぐ彼の胸へ。そのままその雫は彼の体へと飲み込まれてゆく。

 その場で置いてけぼりはアタシだけだった。ドラゴンも彼も静まり返り、アタシだけが困惑の現状に不安を募らせる。

 だが、それを一変させるような出来事が目の前では起きた。ドラゴンを見るより目を疑うような光景がそこには広がっていた。

 緩慢とだが起き上がるアート。体を起こし、両手へと視線を落とした。そんな姿をアタシは目を丸くして見つめる。一秒、二秒とただアタシが固まる中――彼は顔を上げると視線をそっとアタシへ。

 目が合った瞬間、気が付けばアタシは踏み出し彼を抱き締めていた。


「良かった……」


 感極まり声は泪に揺れる。


「弱いな」


 だがそれまでの熱を帯びた感情はそのたった一言で冷め切った。

 声は確かにアートだったけど、第六感とも言うべき感覚は異常を伝えた。アタシは抱き締めていた手を放し、慌てるように数歩彼から距離を取る。


「余りにも貧弱だ」


 アートの声は改めて自分の両手を眺めながらそう呟いた。


「……誰?」


 慣れ親しみ、愛した彼に対して最初で最後の問い掛け。

 アートのアタシを溶かす双眸とは打って変わり、今は射抜くように視線を向けた。


「こんな体で本当に成せるのか?」

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