最終巡 茅ヶ谷巡の人々繋り

 要点をまとめると。最初から名前はともかく顔まで覚え、しかも講義の後などの確実に接点が生まれ確認がしやすい場所ではなく、自分でも初めて利用した食堂で話し掛けられたのはかなり違和感だったと記憶している。あと写真を見たというのも変だ、それってどこの写真なんだって話になる。

 ただこのときは違和感だけで、もう逢わないだろうなとスルーしていた。けれどよくよく考えてみれば、文化サークル棟の物置き部屋を借りる許可を得たり、馬場園さんが会場を押さえる大事な手間を一任されたり、印刷会社とのコネクションがあるなんて学生なら珍し過ぎるなど、先生らしい一面は随所にあったといえる。特に舞台上で怪我をした馬場園さんを心配していた様子なんて、まさにそうだ。


「おいおい……なにを根拠に」

「根拠ならありますよ? 事前に全教員を調べ上げて、赤阪さんの名前も発見してますから、今すぐ提示することも出来ますが?」

「マジ……そうか、それでさっき学生のことをついでに調べたって。いや、提示はいい……ここに赴任して1年も経ってないし、茅ヶ谷とは関係のない分野の講師だから、このままやり過ごせると思ったんだがな……」

「残念でしたね。あと、自分の名前を間違えて来たのはわざとですよね? 理由としては、話の種にするつもりとか?」

「……ノーコメントだ」

「なるほど、そこはそういうことにしておきましょうか。それで、自分のことを知ってたのは、学生一覧でも閲読したからですかね? 当然、写真を含めたプロフィールもありますしね。うんでも、だとしても、疑問は残ってます——」


 そう。赤阪さんが大学の教員であれば、自分の名前や学科や出身地、さらに学習成績なんかはプロフィールを閲覧すれば一発でつまびらかになる。おそらくはそうして自分の顔を覚え、学科なんかも言い当てたに違いない。しかしそこには書かれていないであろうことまで、彼は知っていた……この経緯が分からない。


「——赤阪さんはどうして、自分のことを調べようと思い立ったのか。そして……ミステリーが好きだと知っていたのか、分からないんです」


 それはどうやっても不可解な行動だ。赤阪さんは何故、ほとんど関係のない学生である自分のプロフィールを閲覧するに至ったのか。そこはどんなに思考を巡らせようとも、曖昧な推理にしかならなかった。


 すると赤阪さんは不敵に口角を上げる。

 これは他愛のない設問だと、どこか得意げに。


「じゃあ茅ヶ谷にいくつかヒントをやろうかっ」

「え? ヒント?」


 自分に解かせたいということ?

 いや、普通に答えてくれたらいいのに。

 焦らされるのって謎解きみたいでずっとモヤモヤするからな……もちろん嫌いじゃないけど。

 この人も自分と同じで秘密主義なのかな?

 そういえばいつか、トップシークレットがどうとか、嬉々として話していたっけ。


「ああ。俺がこの大学で教えている分野ってのは、主に心理学だ。そして講師として迎え入れられる前の経歴はジャーナリスト……主に未解決事件の専門で活動してた……いや、してたというか、今も一応そうだけど。余談だがそういう関連の書籍も出していて、その流れでミステリー小説を執筆したりもしたんだが、まあこの辺は別にいいか……あとそうだ。更に言うと、心理の中でも俺は……犯罪心理学を教えている」

「へぇ、犯罪心理……」


 犯罪心理とはつまり、被害者よりも加害者目線に立った心理についての勉学。

 なんと形容していいか難しいけど、それって自分の脚本にも通ずるものがある気がした……ううん、そのずっと前から加害者側の心情に訊く耳を持たない世間の杜撰さを、空想上のフィクションだったとしても、自分は憂慮していたのかもしれない。


「そうだ。んで……それらを踏まえて茅ヶ谷?」

「……はい」

「お前が直近で提出して来た課題は何か……覚えていないか? ちなみに脚本のことじゃないぞ、あれは課題じゃないからな」

「えっと、直近……あっ——」


 脚本じゃないとするなら、普通に単位取得のためのレポートくらいしかない。しかしそんなもので他分野の教員にまで伝播するとは考えられない。だとすれば、赤阪さんの分野にも合致する、直近で提出した課題となればきっと……適当に出すだけ出した、アレしかない。


「——卒業論文……ですか?」

「ああそうだ。別に心意気は構わんが、3年生の段階で提出するなんて早過ぎだろ。しかも内容が理系専攻とほとんど関係ないことばかり……とりあえず出して見た感満載のヤツな……個人的にはかなり好みだったがな」


自分はあの後、とりあえずで卒業論文を担当教員に提出していた。直接的な意見を訊いてみたかったんだと思う。

でもどうせダメだろうなって感じだったし、あんなの公に晒す理由もなかったし……どうしちゃったのかな。


「……それで犯罪心理を教えていて、ミステリー小説の執筆経験もある赤阪さんにまで、自分のことが知られたと」

「そうなるな。いやというよりは、お前の担当分野の教員から、俺と気が合いそうですねって、半ば押し付けられたのも否めないが」


 やれやれといった様子で赤阪さんはかぶりを振っている。

 どうしてか赤阪さんが困惑して姿って、戯けているようにしか映らない。


「……それでもですよ赤阪さん。卒業論文だけで演劇の脚本演出を任せるのは……似ているように見えて、結構別物じゃないですか」

「ん? いやあ、そこはアレだよ。そのとき馬場園が役者辞めるとか言い始めていたから……とその前に、馬場園は分野そのものは違うけど俺のゼミの受講生な。んで理由を聴けば演じる環境が無くなったから……って分かって、それならいっそお前が作ればいいってアドバイスしたんだ」


 いつだったか、そのことを馬場園さんから聴いたときのことを思い出す。

 今にして振り返れば、人生の岐路を説けるなんて人物は、親でも兄弟でも恋人でも友人ですらも躊躇われる。そんなことを平然と言ってのけた赤阪さんと、本当に実行し始めた馬場園さん。助言はともかく、間に受ける信用がどこから来るものなのかを知ろうとすれば、彼と彼女の関係性にもっと早く気が付けたのかもしれない。


「受講生……いや、そうじゃなくて、自分と関係ない話してません?」

「まあ待て。そんな馬場園と、ときを同じくして、いつも独りで学生生活を送っている理系専攻の女学生が居てよぉ。その担当教員からさ、俺の知り合いとかにこの子と気が合いそうな学生はいないかって、早過ぎる卒論と一緒に渡されたんだよ。ここで俺はピンと来たね! じゃあ馬場園の演劇をミステリーにしちまって、成績優秀らしい理系専攻のミステリーだいすき女学生に脚本演出を丸投げして任せれば友達も出来て一石二鳥……付随して俺のゼミへのスカウトも出来るじゃんって気付いたわけだ……お前のことだよ、茅ヶ谷」


 赤阪さんは満面の笑みとサムズアップを自分に向けて放つ。やはりこの暑苦しさは拭えないけど、自分のこと、馬場園さんのこと、そして赤阪さん自身の利点を考慮しての……先生視点でのスカウトだったんだなと何度も頷く。


「友達……」

「ああ。つーかよぉ、お前があの卒論を出したのだって、それが目的なんじゃねえの?」

「え?」


 一瞬、なんのことかと混乱する。

 ううん違う。きっと図星だった自分を隠そうとして、勝手に困惑しただけだ。


「……茅ヶ谷だって分かっていたはずだ、あの内容じゃ無謀もいいところだとな。理系専攻じゃ尚のことそうだ」

「はい……」

「でもあれってよ、自分はこういうのが好きですよって、密かに主張しているように俺は心理的に解釈したんだよ。誰が分かってくれる他人ひとは居ませんかって探しているみたいな、理想自己を叶えるようとするみたいな、切実な文章だった……だから俺は、馬場園にお前を脚本担当として推薦した。余計なお世話かも知れなかったけどな」


 赤阪さんに指摘されて、気付かされる。

 そうか。自分は趣味を押し黙っていること、独りで学生生活を過ごしていることに、漠然とした不安があったんだ。

 このまま自己主張も出来ず、人間関係も構築出来ず、気晴らしの課題も全て無くなったとき、自分はきっと虚無になる。つまり、いつか訪れるその将来が、堪らなく怖かった。だから血迷ったんだと……血迷ったフリをしたと。


「それで自分を演劇の脚本に……」

「ああ。ちなみに茅ヶ谷が書けなかった場合も、用意はしてはいたんだ。お前が卒論通りの妄想家……いやストーリーテラーだったせいで徒労に終わったがな。まあ書けようが書けまいが、茅ヶ谷の文字通りの魅力を知って欲しいなと思っていたのは本当で、俺の本心だ」


 思い返せば、不安なときに気付けばそばに居てくれてたり、絶妙の距離感で話し掛けてくれたりと、アフターケアも万全だった。

 文化サークル棟の一室にあまり顔を出さなかったのも、自分と馬場園さんの仲を深める目的なら辻褄が合う。軽薄そうに見えて、一本筋は通っていたのかもしれない。


 自分はきっと目を丸くしている。

 赤阪さんって、本当に先生なんだなって。


「そうですか……そして赤阪さんは自分をゼミの受講生にすると——」

「——いやいや、それはお前に任せる。お前の人生だし、最終的に強制する気はさらさらねぇさ。あとあれ以上の無理強いは申し訳ないしな」

「ふ……全くですよ。寧ろもっと早くに気付いて欲しかったくらいです、普通に怖かったので」


この怖かったというセリフには、少しユーモアが混ざっている。

それ以上の畏怖を帳消しにしてくれた、感謝の念が攪拌してるから。


「え、マジ?」

「ふふ……マジです——」


 らしくない言い回しのおうむ返しをする。

 ちょっとだけそういう心持ちだったからかもしれない。

 自分の疑問点は、きっと粗方解消された。

 そうして残ったものは数え切れない。

 もしかしたら、新たな疑問が知らず知らずのうちに萌芽しているのかもしれない。

 けどきっと、それも悪くない。


「——……結果論ですけど、自分の本質と向き合うみたいで、悪くない時間でした。ありがとうございます……えっと、赤阪先生?」

「ははっ、いつも通りで構わねぇよ。先生なんて呼ばれるほど、大したことしてねぇし」

「ふ……本当ですね。じゃあ、そうします」

「おお、言ってくれるじゃねぇかっ!」

「はい……赤阪さんになら、少しだけ自分を出しやすいので」


 そう自分が告げると、赤阪さんは照れ臭そうに頷く。その心情を勝手に推理するなら……いや、分かったとしても言わない方がいいやつかな。

 

 程なくしてグラウンドに何人かが足を踏み入れる。赤阪さんとの時間も頃合いかなと判断しつつ、自分は涼やかな遠景に思いを馳せる。

 

 見通せない未来は、やっぱり怖い。

 立派な将来なんて、自分にあるのか分からない。

 でも、それはそれで良いと思う。

 だってその方が、なんだかミステリアスだ。

 現実には疑いが尽きない。

 分からないことばかりで飽きない。

 しかるに、自分を戒めることなんてない。

 誰もが被害者にも、加害者にも、傍観者にもなり得る世の中。妄想重ねるちっぽけなストーリーテラーは、どんな平穏すらもミステリーと定義する。だって本当は自分も、私立探偵のような身分に憧れているんだから。

 例えばそう……アルファベット順に展開される名称の、複雑怪奇に入り組んだ理屈を紐解くような推理や考察を、この自分の間違えられやすいの名前の通り思考を巡らし、見て聴いて、解き明かしたい。それがきっと、胸の奥底に秘めた自分自身の、紛れも無い堂々たる巡り巡った本心だから。

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