捨て犬を拾ったら

細蟹姫

捨て犬を拾ったら

 カーテン越しに差し込む日差しに、ゆっくりと意識が戻って来る。


 (今ってもう、こんなに早く昇るんだっけ…?)


「寝坊したっ!」


 寝ぼけ頭に浮かぶ疑問の答えを導き出すより早く、飛び起きる。

 サイドテーブルの上に在るはずの目覚まし時計で時間を確認…しようと思ったのに時計は見当たらないし、もう最悪だ。


「ん? 実玖みくちゃんおはよー。」


 目覚まし時計を盗んだ犯人が、はがれた布団をもぞもぞと巻き付けながら顔だけを覗かせる。


 整った顔は寝起きとは思えない程艶めいていて、小さめの瞳には羨ましいくらい長いまつ毛。陽に当たって赤く透けている、少し長めのサラサラな茶髪は輝いているし…


 (なんでこいつは常にキラキラ加工されてんのかしら? 羨ましい…)


 とか言ってる場合では無くて。


大輝だいき! 目覚まし何処やったのよ!?」

「んー? あれ煩いから、昨日実玖ちゃんが寝た後に電池抜いて隣の部屋に置いといたよ。」

「はぁ!?」

「最近ずっとお仕事忙しくて疲れてたでしょ。たまには休みなよー。」

「馬鹿言わないでっ、今日は朝一に大事な会議があるのに、大輝のアホっ。」


 呑気な回答に呆れて語彙力が低下しすぎたけれど、そんなのはどうでもいい。

 とにかく会社に連絡しなくちゃ! と、ベッドから這い出て手に取ったスマホは、始業時間の2分前を指していた。


 (終わった…)


 仕事にも会議にも、確実に間に合わない。


「あぁ…どうしよう、遅刻の言い訳…言い訳…」

「えー。休まないの? 真面目だなぁ。そんなんじゃ身体壊しちゃうよ?」

「うっさい馬鹿大輝。」

「酷いなぁ。でも実玖ちゃん、その大事な会議無くなったって言ってたよ?」

「あ…」


 そういえば昨日の就寝前、急遽延期と予定調整の連絡が来たんだった。


「上がどうしてもこの日って言うから無理言って調整して貰ったのに、ドタキャンって何考えてんの? しかも今何時だと思ってる? 23時過ぎてんの。そりゃ先方も困惑してたわよ。遠回しに凄い嫌味言われた。 もうあんな会社辞めてやるっ!!!」


 って叫んでたのを大輝は覚えていたらしい。


「もうヤダ、会社なんてもう行かない…」


 なんて泣きついて、いっぱい優しくして貰ったのは覚えてる。

 で、その後大輝は目覚ましを亡きものにした。と。

 って事は、半分は私のせいでもある?

 

(いやいや、勢い任せの言葉だし、普通、真に受けないでしょうが…)


 だけど大輝は褒められるのを待って尻尾を振ってる子犬みたいに何処か誇らしげだ。



「戻っておいで。」


 ベッドの上で、半裸の大輝が頬を緩ませる。


(いやいや、会議が無いからって休むわけには……)


「実玖ちゃんっ。」


(…でも、遅刻の理由をでっち上げるより、体調不良で休んだ方が楽……)


「早く~。実玖ちゃん居ないと寒いよ~。」


(出社して、先方に改めての謝罪とフォロー………)


「みーくちゃんっ」

「あー、もう、分かったから!」


 邪念に負け、スマホを片手に隣の部屋へと移動し、なるべく低くかすれた声を出して、会社に欠席の連絡を入れた。

 9割方が嘘だけど、「申し訳ありません」その一言だけは、一応本心だから許して貰いたい。


 テーブルの上に丁寧に並べてあった、目覚まし時計と電池を組み立て、時間を直して寝室へと戻る。


「実玖ちゃん、病人の真似上手になったね。会社の人、本気で心配したんじゃない?」

「煩いっ。…そんな事よりあんたには言いたい事がっ―――んっ、ちょっと、や―――っ」


 言いたい事は山ほどあるのに、何一つ言えないままキスで口を封じられてしまった。


「怒ってる実玖ちゃんも可愛いけどさ、せっかくお休みになったんだし、もっと有意義に過ごそうよ。ね?」


 そう言う大輝に力いっぱい抱き寄せられた私の身体は大輝の腕の中にすっぽりと収まっていて、「あんたねぇ…」と言うのが精一杯。


 捉えられている私は、この世で最も無意義な行為に、身を委ねるしかないのである。



 *



 大輝がシャワーを浴びる音を聞きながら、遅めの昼食づくりに取り掛かる。


「怠惰…」


 キッチンに射しこむ西日が、余計気持ちを暗くさせた。


 どちらかと言えば優等生。

 時間や期日には特に厳しく、基本は10分前行動、夏休みの宿題は開始1週間で仕上げるタイプだった私。

 嘘ついて休むどころか、風邪一つ引かない為に休み時を失い、常に皆勤賞だったというのに、大輝と出会って以降、こんな休み方をしたのはもう何度目かわからない。


 大輝と私は夫婦ではない。

 大輝と私は恋人でもない。


 ここは私の家で、大輝はただの居候。


 ある雨の夜、近くの公園で雨も凌がずただ座り込む大輝を放っておけずに傘を差しだしたら、ついて来てしまっただけの存在だ。


 捨て犬のように震えるずぶ濡れた身体を、大判のタオルでワシャワシャと拭いた時に見えた、安堵のような笑み。

 思えばあれを見た時から、私は何処かおかしくなった気がする。

 仄暗い瞳の奥には、知らない世界が広がっているような気がして、吸い込まれてしまいたい衝動を抑えきれなかった。


 (私たちの関係は、何なのだろう?)


 それは、考えたくない。

 というより、考えたって意味は無い。


 『大輝』という名前が本名なのかも、何処に住んでいた人なのかも、仕事も、年齢も、誕生日も、連絡先も、本当は彼の事を何一つ知らない。

 なのに子犬みたいに柔らかくてふわふわな大輝にされたら断れないし、どこか憂いのある奇麗な笑顔を見てると、思考が停止してしまうから。



「わぁ、実玖ちゃん、僕の好きなオムライス作ってくれたの?」


 シャワーから出て来た大輝が、濡れ髪からしずくを滴らせて隣に立った。

 肩から掛けているタオルの端をもち、その頭をワシャワシャと拭いてあげる。


「余りもので作れそうだっただけ。オムライス好きなんて初めて聞いたわ。」


 本当は、初めて会った日の夜に「元カノが作ったオムライスが好きだった」って言っていたのを覚えている。


「そうだったっけ? まぁいいや。実玖ちゃん、大好き。」


 ぎゅっと抱き着いて来る大輝の細いが筋肉のついた男らしい腕。

 その手が離れたら二度と会う事は無いかもしれない存在が、そこに居る事に安堵してしまう戸惑いに、未だ素直になれない私は憎まれ口を一つ吐き出すのが精一杯だ。


「あっそ。私は…大好き大嫌いだよ。」

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