地球のために

須賀マサキ

第一話 もうすぐ夏休み

 ——地球のために、何ができるか。


 終業式前日のホームルームが始まったとたん、野上のがみ先生が黒板に大きな文字で書いた。

 ぼくは意味が解らず首をかしげる。みんなも不思議そうに隣同士で顔を見合わせた。今日のテーマは夏休みの過ごし方じゃなかったっけ?


「先生、それはどういう意味ですか?」

 隣の席で手が上がると同時に、凛とした声が教室に響く。ナチュラルカールをツインテールにし、制服をビシッと整えている岡村おかむら麻衣まいだ。

 野上先生はズレた眼鏡の中央を中指で直しながら、大胆不敵な笑みを浮かべる。そして軽く息を吸ったかと思うと、

「これは作文のテーマ。すなわち夏休みの宿題です」

 と、嬉しそうに答えた。


「宿題だってええっ!」


 教室中から、蝉の鳴き声をかき消すほどのブーイングが巻き起こる。

 ただでさえ各教科から大量の宿題が出ているのに、どうしてそんなややこしい作文を書かなくちゃいけないんだ。

 みんなは同じ思いをいだいているのだろう。ざわめきは一向に休む気配がない。もちろんぼくも、不満を口にしているひとりだ。


 野上先生は、ぼくたちが大騒ぎしているのをしばらく見守ったあとで、

「はい、静かにするっ」

 と手をたたいた。

 驚いたみんなが一斉に口を閉じると、再び蝉の声が教室を彩る。


「夏休みだってえのに、なにワケ解んねえ宿題出すんだよ」

 一番後ろの席からショウこと久保くぼ翔太しょうたが、あきらめ悪く文句をつけた。

 さすがは我がロックバンド、ザ・プラクティスのベーシストだ。ぼくの気持ちをきっちりと代弁してくれる。以心伝心、バンドメンバーの絆は固い。

「宿題ひとつで文句を言わないこと。優秀な作文は賞に応募するからがんばれよ。入賞したら賞品ももらえるぞ」


 ぼくたちの文句なんて聞こえなかったように翔太の不平をスルーし、野上先生はプリントを配った。

 賞品という言葉に惹かれたぼくは、受け取るなり目を通す。あ、音楽プレイヤーだ。ずっとほしいって思っていたやつだ。

 でも、地球のために何ができるかなんて考えたこともないぼくが、作文にまとめるなんてできるのか? 商品が手に入らないのは、火を見るより明らかだ。


 だってぼくは平和な日本に住んでいる中学二年生だよ。地球のために働けって言われても、何をすればいいのか急には思いつかない。

 外国の女の子のように、国連で主張するなんてことはできないし、第一やりたくもない。


「それからこれが夏休みの注意事項と、おうちの人に渡すプリントだ。通知表は明日のお楽しみにとっとくんだな」

 みんなの不満げな表情に喜々としながら、野上先生は次々とプリントを配る。その間ぼくは、地球のためになることを考えてみた。だがアイディアはちっとも浮かんでこない。

 当然といえば当然だ。頭の中は明日渡される通知表や、夏休みの宿題、そして部活動のロックバンドのことなんかで一杯で、地球のことを考えるだけの余裕はないからね。てか、常日頃そんなことを考えている中学二年生なんているのか?


 何も思いつかなかったら「一介の中学生が、地球のためにできることなんてありません。代わりにウルトラマンや仮面ライダーに質問してください。世界で一番地球のことを考えているのは、スーパー・ヒーローたちです」と書いて提出しようかな。

 こんな内容の作文を提出されたら野上先生は激怒するかな。この春教師になりたての新米先生がどんな説教をするか、興味あるかも。

 プリントの内容を説明している先生をよそに、ぼくはそんなことを考えてニヤニヤしながら、残りの時間を過ごした。



  ☆  ☆  ☆



南野みなみのハヤトくんっ」

「は! はいっ」

 放課後、カバンに荷物を入れていると、突然名前を呼ばれてぼくは首をすくめる。先生の話をろくに聞いてなかったので、ほんの一瞬、叱られると思ったんだ。

 でも変だな。野上先生は男なのに、聞こえたのは女性の声だぞ。


「宿題を配られてからホームルームのあいだずっとにやけてたけど、何考えてたの? もしかして先生をからかうネタ?」

 声をかけてきたのは、何かといえば口出ししてくるお節介な麻衣だ。しっかり者の彼女だからこそ、さっきのように先生にもズバズバと質問をする。

 ぼくらは幼稚園からのつきあいだから、もう十年近くの腐れ縁だ。小さいころはうっとうしかったが、いつのまにかそれがないと寂しくなってしまった。


「そんなこと考えてないよ。解ってるくせに、ひどいな」

 ぼくは反撃の意味でウィンクしながら答えると、麻衣は少しだけ頬を赤らめて、ぷいっとそっぽを向く。そうやって照れるところは昔から変わらない。

「よっ、おふたりさん。またいちゃついてんのか」

 後ろからぼくらに声をかけてきたのは翔太ショウだ。ベースの入ったケースを背負ってニヤついている。

「あら、翔太ショウくん。軽音も午後から部活なの?」

「まあな。吹奏楽部は、大会に向けて追い込みだっけ?」

「そうなの。今日は給食がないから、近所のコンビニでお弁当を買ってこなきゃ。じゃあまた明日ね」

 麻衣は荷物を持つと、教室を出て行った。


「ほう。岡村は弁当持ってきてねえのか。だったら明日からはハヤトが作ってやれよ」

「ぼくが?」

「今日みたいに給食のない日は、いつも自分で作ってんだろ? ついでに岡村のも作りゃいいじゃねえか。好きな彼女のためなら、なんてこたあねえぜ」

 翔太ショウはぼくの肩に腕をまわし、だれにも聞こえないように耳元に口を近づけた。

「岡村に惚れてんだったら、それくらいしてやれよ」

 ぼくは翔太ショウの腕を外し、鞄とギターケースを手にした。

「残念ながら片思いってことも知ってるよね。もし両思いでも、男子から差し入れなんて嫌だよ」

 荷物を持って教室を出ると、翔太ショウはあわててついてくる。


 たしかにぼくはお弁当男子だ。でも夢はある。好きな女子の手料理を食べることも、そのひとつだ。

 もちろん作ってあげるのはいいけれど、できれば差し入れしてもらう方を体験したい。

 そしてぼくは信じている。いつかそんな日が来ることを。

 だってぼくは幼稚園のとき、麻衣にプロポーズされたからね。


 麻衣は忘れているかもしれないけれど、ぼくはあの日のことを今でも覚えている。命がけで守ったときから、麻衣はぼくの中で大切なプリンセスになった。

 あれ? だったら姫のためにお弁当を作るのもありなのかな。

 

 そんなことを考えながら理科室に向かっていると、途中の階段で女子が騒いでいるのに出くわした。

「ハヤト、ライバルのお出ましだぜ」

「ライバル? ふん、どうってことないよ」

 翔太ショウの手前強がりを言ったが、ぼくは内心穏やかじゃない。


 女子の視線をひとり占めしているのは、三年の倉田くらた浩一こういち先輩。吹奏楽部の部長でクラリネット奏者だ。線が細くて背は高く、やや茶色がかった髪に色白ときた。

 これで残念な顔だったらなんてことないんだけど、悔しいことに少女マンガに出てきそうな、それも主人公が好きになるタイプだ。


 うちの中学で人気ナンバーワンなのはもちろん、隣の中学や近くの高校、そしてなんと小学生にまでファンがいる。

 というのも、去年吹奏楽部が全国大会で準優勝したとき、ローカルニュースで特集が組まれたからなんだ。それがきっかけで倉田先輩はご当地アイドルになった。

 いったいどんな世界なんだ?


 そして麻衣も倉田先輩に夢中だ。


 敵はあまりに大きすぎる。でもそれだけに、あのふたりが両思いになる確率は限りなくゼロに近い。

 より取り見取りの女子の中で、麻衣が選ばれることはないだろう。あの子がいくら魅力的でも、さすがに一番ではないさ。いや、ぼくには一番だよ。


 そう、ぼくは麻衣の失恋を期待している。

 これじゃ地球のためになにかできるどころか、ただの嫉妬男だ。


 倉田先輩とファンたちを横目で見ながら、ぼくは翔太と階段を四階までかけ登り、一番奥にある理科室の扉を開けた。ここがぼくら軽音楽部の部室だ。

「ふたりとも遅かったな。待ちわびたよ」

 マサルこといぬいまさるは机の上に弁当をおいて、ぼくたちの到着を待っていた。食べざかりのドラマーにはいつも「先に食べて」って言っているのに、毎回律儀に待ってくれる。

 隣に座るのは、キーボーディストのヒデこと戸田とだ英嗣ひでつぐ。腹が減ったとぼやく優を無視して、楽譜を見ながら両手を動かしている。

 エア・キーボードは今日も健在だ。暇さえあれば練習している。


 ぼくと翔太ショウは鞄からお弁当を取り出し、机の上に広げた。四人で手をあわせて「いただきます」と挨拶をする。このハモり具合がいい。ぼくらの絆はばっちりだ。

「にぎやかだな。今から昼飯か?」

 理科準備室から出てきたのは佐野さの先生だ。大学時代にバンドを経験したという縁で、軽音楽部の顧問になってくれた。


 たった四人のぼくらが「部」を名乗れるのは、軽音楽部が元々学校に登録されていたからだ。長らく部員がゼロ状態で廃部寸前だったが、ぼくたちが入部したことで存続が決まった。

 この中学で音楽をやりたい子は、吹奏楽部に入る。ぼくたち四人はそれを蹴って軽音を選んだ。でも活動しようにも部室がない。そんなぼくたちを見かねた佐野先生が顧問を引き受け、理科室を活動場所に提供してくれた。


「先生、このあとの練習では一緒にギターを弾きませんか?」

「おお、それは嬉しい誘いだな。今日は時間もあるし、久しぶりにバンドさせてもらうか」

 ぼくが誘うと佐野先生はうれしそうに頷き、準備室に戻った。

 先生が一緒のときは、ぼくはボーカルに専念する。弾き語りもいいけれど、歌に集中したいときもある。


 ほらね。こんなふうに、ぼくの頭の中は、音楽や麻衣のことでいっぱいなんだ。

 だから、地球のためにできることを考えたことはなかった。


  ☆  ☆  ☆

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