第5話 人と仲良くする方法

「こいつ! 何なの?! この変態!!!」

「ご、ごめんなさい」

「まぁまぁ偶然なんだし、仕方ないよ」

「うぅ……先輩だってこのイモ男に裸見られたら嫌でしょう!!」

「うーん……確かに、少し嫌だね」

「ほ、ほんとにごめん…なさい」

「あのね! 謝って済む問題じゃ」

「ちょっとうるさいぞ」

 台所でナイフを握っていたレクが言った。

「……これだから男は」

 リボンが口を尖らせて吐く。

「リボンちゃん、でもロストちゃんだって今日が初めての任務だったんだよ? 色々疲れてると思うから許してあげなよ」

「……」

 リボンが見定めるようにロストを見つめる。一瞬、納得したような顔をするが……。

「ふん!」

 どうやらまだお怒りのようだ。

 あれは一時間前のこと。

 ロストは急いで便所に向かった。けれどその時、リボンもまたお風呂に入っていた。お風呂とトイレは隣同士。運の悪いことに、二人は絶妙にマッチしてしまったのだ。

 それにしても目のやり場に困る。

 どこに視線を向ければ、変な人だって思われないだろうか。

 取り敢えず目を合わせるのは怖すぎるので、彼は首を頻繁に回し、なるべくリボンの方を見ないことにする。リビングの真ん中にあるソファに座り、気配を消そうと試みた。

 そんな事を考えていると、リボンがきつい口調で

「……そこ、私の場所なんだけど!」

 突然、ロストの前に仁王立ちした。その可愛らしいハート柄が目立つパジャマとは対照的に、彼女の大きな瑠璃色の瞳が彼を睨みつける。

「……ごめんなさい」

 ロストは直ちに謝って、体を横にスライドさせる。

 が、

「は? ソファに座らないでよ」

 ソファに座ることも許さないみたいだ。頭の中で、プチっと糸が切れた音がしたが、すぐに自分の行いの愚かさを自覚して、ロストはソファを降りた。

 正直、心の中では疑問を抱いている。そこまで言われる筋はないのではと。

 勿論、意図して彼女の裸を見たのなら論外だけど、今回は本当に偶然だった。決して邪な考えがあった訳ではないのだ。

 そんなロストの立場を察するサツキ。彼女は満面の笑みでリボンに抱きつく。

「リボンちゃん、仲良くしよーうよ」

「ひゃぁ! だ、だめ」

 驚いたリボンは、目をまん丸に開いた。

「か、髪が崩れちゃうでしょ?!」

 ぐちゃぐちゃになるリボンのブラウンヘア。

 可愛らしくまとまっていたお団子頭が無造作に崩れ去る。

「いーな、サラサラの髪で。私なんて油だらけだよ」

 戯れるサツキとリボン。それはまるで姉妹だった。とても距離が近い。

 サツキの人懐っこさが、胸の中を生温いお湯に浸かったような気分にさせてくれる。

 今思えばサツキは、ロストが魔術を持たない事を悪く言わなかった。普通ならば、拒絶したり否定したりするけれど、彼女は嫌な顔一つしなかった。

 しかも今はロストとリボンの仲が悪くならないように、リカバリーまでしてくれている。もし彼女がいなかったら、ロストは今頃リボンに追い出されていたかもしれない。

「サツキさん……」

 ロストも現状を打破しなければと使命感に駆られる。

「あの、リボンさん! 本当にすみませんでした!」

 ロストはリボンの目をしっかりと見た。

 ちゃんと自分の誠実さが相手に伝わるように。

 サツキのようにロストも、人と仲良くしようと思ったのだ。自分から拒絶してはいけない。

 人間関係は他人で決まるんじゃない。自分で決まるんだ。たとえ相手が無視したり悪口を言ったりしても、自分はやらない言わない。相手が裏切ったとしても、自分は人を裏切らない。

 善意のもとで接した結果、相手が拒絶したならば、それは相手の問題だ。相手の心の問題だ。

 自分が相手に傷をおわせた結果、相手が拒絶したならば、それは仕方のない事だ。謝れば必ず仲直りできるほど、人間の絆は柔らかくない。

 でも今は、やれる事を全てやるしかない。

 ちゃんと謝ろう。

 じっと彼女の瞼を、ロストは見つめる。

 キョロキョロしないで、だらしない態度をとらないで、しっかりと相手に誠意が伝わるように。

 するとサツキのフォローもあってか、リボンは渋々声を出して


——分かったわよ、今度からは気をつけて。


 小さな声だったけど、ようやくロストを許してくれたようだ。

「よく言ったね。偉い、エラい」

 頭を撫で撫でするサツキ。

「なっ! 子供扱いしないで!!」

「え〜リボンちゃん酷い〜。リボンちゃんの為にキャラメルバニラホイップ買ってきたのにな〜」

「頂くわ!」

 じゃれ合う二人。ホッとしたせいか、そんな二人を見て、ロストも思わず笑ってしまった。

 十年ぶりだろうか。監査官以外の人と交流したのは。

 マーキュリー博士の人体実験を受けることが決まったとき、自分の命は終わったものだと思っていた。死んだと思っていた。

 だけどもう一度陽の光を浴びて、独りよがりな妄想かもしれないけど自分を受け入れてくれる人達がいて、ロストは久しぶりに『幸せ』を感じた。

 まだ『幸せ』の正体なんて分かりっこないけど、親友と交わしたあの約束は、まだ守られてるのかもしれない。

「ありがとう……」

 ロストは誰にも聞こえない様に、小さくお礼を言った。

 仲直りがてら、サツキがレクに内緒で買ってきてくれたクレープを手に取る。とても甘くて美味しい。

 横を見ると、サツキとリボンが蕩ける顔で食べている。

 一件落着だ。そう思った。

 ところがその時、予期せぬ事態がロスト達を襲う。

「あのさ〜」

 不意にあの声が聞こえる。

 し、しまった。リボンに夢中で、レクを忘れていた。

 しかしロストが気づく頃には遅すぎた。

「間食は駄目って言ったろぉぉぉぉぉ!!!」

 レクの叫び声が家を盛大に揺らした。



「頂きまーす」

 今日の夕食は、レクが作ってくれたすき焼き。風呂を入り終えた四人は食事を始めた。

「おいしーい」

 サツキはビール缶を左手に持って、肉を大量に頬張る。

 レクは淡々と肉を白飯の上に乗せ、リボンは赤色の粉をご飯にかけている。

 ロストは、こんな風に食卓を囲んだのは本当に久しぶりだったので、妙な気持ちだった。多少の違和感を押し込むように、肉を口に入れてみる。うー! とっても美味しい。

 刑務所メシは泥水のように不味いお粥ばかりだった。食べ物が本来美味しいものであるということを暫し忘れていた。

 舌が感動していると、不意に誰かが立ち上がった。

「あ、冷蔵庫に魔水入れるの忘れてた」

 声を出したのはサツキだった。急いでリビングを出ると、廊下から灰色のポリタンクを持って来た。

「何してるんですか?」

「あれは魔水だ。魔法道具の燃料になる」

 ポリタンクの中には魔水ますいと呼ばれる特別な液体が入っている。これは冷蔵庫や電話送信機といった、魔法道具を稼働するために必要なもので、海から取れる魔石を溶かす事で生成される。因みに空飛ぶ自転車は魔水を燃料とするが、ロスト達が使う魔剣は使用者の皮膚から分泌される魔力によって能力を解放させている。

 サツキは黒の四角い箱の上部にくっ付いた煙突みたいな棒から、ゆっくりと魔水を注いでいく。サツキは料理が出来ない代わりに、魔水注入担当を務めているのだ。

 ロストが地下で十年間眠っていた間、世界は大きく変わったみたいだ。昔は、冷蔵庫も電話送信機も無人箒も普及していなかった。今では携帯用電話送信機も販売されているみたいだ。

 ロストは口をポカンと開けてサツキを見つめる。

 しかし見過ぎでしまったのか、ロストの斜め右に座っていたリボンが指摘した。

「変な目で見ないでよ、変態」

 冷や汗をかくロスト。無表情のレク。冷めた目をするリボン。魔水入れに夢中なサツキ。

「ち、違いますよ! びっくりしただけですよ! 魔法って凄いなって」

「んなこと、当たりよ」

 慌てて怪しい態度をとるロストだけど、これは事実だ。たったの十年で世界は大きく進歩している。

 もしかして、人の魔術が不要になる時代が来るんじゃないだろうか。

 道具で全ての問題が解決する世界。

 そうなれば、個々の魔術よりも魔具の熟練度の方が重要になりそうだ。

 そんな事をロストが考えていると、レクの隣からライチョウの顔が出てきた。

【チュルルルルルルルル】

「ほら、食べろ」

 箸で肉を掴むと、それをライチョウの口に入れた。ライチョウは嬉しそうにお肉を噛み噛みしている。

「あ! ライチョウゥゥゥゥ」

 リボンは、美味しそうに食べるライチョウの顔をギュッと抱きしめた。

「あ〜私も飼いたいな」

「駄目だぞ。魔物を飼っていいのはA級ランク以上の殲滅隊員だけだ」

「そんな事分かってるわよ」

 リボンは拗ねるように頬を膨らませた。

 A級? 飼う?

 二人の会話についていけなかったから、ロストはすぐに質問した。

 テイムとは何なのか。そしてランクとは何か。

 するとレクは怪訝な顔をして答えてくれた。

「テイムは謂わば魔法契約だ。勿論、互いの絆によって出来ることは変わってくるが、絆が強まれば俺とライチョウのように影の中に身を潜めることができる。場合によっては、互いの魔力や免疫力、あらゆる環境に適応する順応性まで身につくと言われてる。魔獣は基本的に人を嫌うが、訳ありで人間側に着くことがあるのさ」

 レクはライチョウの顎を触る。ライチョウはとても気持ちよさそうに目を瞑る。

「あ! ライチョウ」

 魔水を入れ終わったサツキが、リビングに戻ってきた。すぐさまライチョウを撫でる。

「なる……ほど」

 どうやら魔具や魔術だけでなく、テイムを利用した戦い方もあるみたいだ。魔術が使えなくても工夫を重ねていけば、強くなれるのかもしれない。

 ロストがテイムを理解したところで、レクは次に"ランク"について説明してくれた。

 レクによれば、ランクとは強さの指標だ。

 E、D、C、B、A、S、SSの7つに分かれていて、SSが一番上だ。A以上になると、レクのように魔獣のテイムが許可させる。

 また殲滅隊の地位とランクは別物なので、SSランクだからといって将軍のような役職に就けるとは限らない。だから出世欲の高い人間は、力をつけてAランク以上を目指し、別口で人脈や統率力などを磨く必要がある。

 因みにレクとサツキは二人ともAランクで、リボンはCランク。そしてロストは勿論Eランクだ。

 魔獣も同様にランク割り振られており、危険度を測る重要なメタファーとなっている。ランクの高さによっては、周辺地域に警報を出す事もあるので、相手のランクを正確に測らなければならない。

「なんか……AとかBとか見た事ない文字ばっかでビックリです」

「そうだな。俺も最初は戸惑った。今はもう慣れたが」

「あー私も早くAランクになりたいな」

 リボンはそう言って床に寝っ転がった。

 爆速でお肉を食べたせいで、少し眠いみたいだ。

「そんなんじゃ強くなれないぞ。寝るなら寝室に行け」

「…………」

「チィ、全く。風邪ひくぞ。サツキ、お前ももう寝ろ。次いでだからリボンも連れてけ」

「ひゃい。はははははは」

 サツキは相変わらず酔っていた。

「はぁ。俺も眠くなってきたな」

 レクが呟くと、隣にいたライチョウもその口を大きく開けて、涙をチョロと流した。

「あぁお前もか」

 その姿を見たレクは、もう一度ライチョウの頭を撫でる。

 すると左手に描かれた紋章が光り始めた。紋章の光を浴びたライチョウは、レクの陰に再び落ちていく。どうやら彼の影の中がライチョウのお家らしい。

 ふと見ると、リボンもサツキもお腹をダラっと晒して、いびきをかいている。

 ロストを変態呼ばわりする割には、無防備なのである。

「そういえば、紋章の説明をしてなかったな」

 そう言ってレクは、両手の甲をロストに向けた。彼が【紋章を示せ】と命じると、彼の甲から紋章が浮かび上がってきた。右手にはサイコロの紋章が、そして左手にはカラスの紋章が描かれている。

 彼の説明によれば、右手の紋章は本人の魔術を、そして左手はテイムを表してるみたいだ。

「色んな戦い方があるんですね」

「そうだな」

 ロストは彼の話を聞いて少しだけ希望が持てた。

 今日は二人の足を引っ張ってしまい、自分の非力に打ちのめされそうになったけど、強くなれる可能性は十二分にある。

 魔術がない事を言い訳にしないで、出来る限りの事を尽くさなければならない。

 ロストはこれまで犯してきた罪と、そして失ってしまった妹の分まで頑張ろうと思った。無意味な存在のまま死ぬぐらいなら、誰かに貢献して死のうと思ったのだ。

 そうすればあの世で、妹が迎えに来てくれると信じてるから。

「ロスト、二人を運ぶぞ」

 眠そうにあくびをしながらレクが言った。

 時刻は真夜中を過ぎている。

 眠そうにする三人を見て、ロストの体にも疲労の波が襲ってきた。たったの二日で死体だらけの大陸を抜け、初恋の人と再開し、初任務で三度も命を失いかけたのだから、それは激動の時間だった。

 ロストはサツキを、そしてレクはリボンを抱えて二階に上がった。思った以上にサツキの体は軽かった。

「お前は俺の部屋の隣だ」

 運び終えたレクはそう言い残し、自分の部屋に去って言った。

 各々個人部屋が用意されており、ロストの部屋はレクとリボンの真ん中だった。レクを跨いで一番西側の部屋がサツキのものだ。

 ロストも三人に続いて疲労を癒すため、自部屋に入った。

 

 誰かの寝言が、厚い壁を超えてきた頃、ロストは左手を上に挙げて寝付けずにいた。

 時々彼の左手に現れる不思議な紋章。

 もし本当にレクの言葉が正しければ、この紋章は誰かとテイムした証になる。ならばロストは一体誰と……結んだのだろうか。

 心当たりは——ない訳ではない。

 でもロストはテイムのやり方を知らない。方法を知らない人間に、物事を実行する事なんて可能なんだろうか。

 それともこの紋章は全く別の魔法が関わっているのだろうか。

 あるいは重要な記憶を自身の脳みそから捨ててしまったのだろうか。

 どれだけ考えても答えは見えてこない。

 何か……大切な何かが心のどこかで叫んでる気がするのに。

「……サーガ」

 ロストはひとり、旧友の名をポツリと吐いた。

 毛布が体に絡みつき、彼は意識をベットに沈めた。

 



 

 

 


 


 

 



 


 

 

 


 


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