第4話 四人目の変態

《殲滅隊本部 最上階 天空の部屋》


「特殊対魔三軍の報告に参りました」

 アンティークな茶色と漆黒が混ざった大型扉をノックして、その毒々しい双眸を微笑ませながらアップは天空の部屋に参上した。

 歴代王の肖像画が飾られた黄金で縁取りされた壁や天井。絢爛華麗なスタンドガラス。七色ガラスの向こうには、青空を支配する陽光に照らされた雲海が広がっている。

 ここは殲滅隊本部最上階、天空の部屋。カタスフザ帝国随一の高さを誇る場所に位置し、事実上殲滅隊を統一する最高司令官のオフィスである。

「新入りの調子はどうだ」

 部屋の最果てに設置された豪華絢爛な王の座席。何十メートルにも及ぶ広々としたそれに座る一人の坊主頭の男。彼は最高司令官の印である、王冠を被った黒龍の紋章バッチを軍服の右腕に付けている。

「はい、順調に初任務を終えました。報告によれば敵のランクは両者ともBと思われますが、死傷者を一人も出す事なく帰還しました」

「……そうか」

 男は少し不満そうにため息を吐いて、アップを見つめた。

「変化はいつぐらいで始まりそうだ?」

「そうですね……彼の体は少し特殊なので、もう少し時間が掛かりそうです。ですが変化の兆しは見えています」

「もし……奴が現れたら、お前は対処出来るんだろうな?」

「勿論でございます。私にお任せください。ただ、もし誰かが死ぬような事があれば……」

「あぁ……その時はワシがやる」

 アップが綺麗なお辞儀をすると、最高司令官は納得したように首を縦に振って、椅子から立ち上がった。

「絶対にマーキュリーの手に渡ってはいけない。たとえ全国民の命に変えてもな」

 男は後ろ手を組みながら、ゆっくりとスタンドガラスの方に足を進めた。その奥深い瞳で窓を眺めている。

「情報局によればマーキュリーはシロ帝から刺客を数人雇ったそうだ。恐らく彼が我々の手に渡った事を知ったのだろう。近いうち、奴らが襲撃に来る。対魔ニ軍と三軍を合併させ、何としてでもマーキュリー博士の尻尾を掴め。もし彼が捕まるような事があるなら、その時はやむ負えを得ない。

「……そのことなのですが」

 アップは手を前に重ねながら、首を下げた。

「対魔ニ軍が"殺戮領域"に侵入し、消息不明が途絶えております」

「何だと?! 通達が途絶えてからどのくらい経った?」

「三日でございます」

 アップがそう言うと、男は大きく『うーん』と唸り声を上げて顎髭を触り始めた。険しい表情がカラフルなガラスに反射する。

「そこで提案なのですか……」

「ん?」

「三軍を向かわせたいと思うのですが、どうでしょうか?」

 その瞬間、男が見開いてアップの方を振り向いた。

「貴様、何を言っておる?!」

 汚い声が部屋に響き渡る。

「実験でございます。Bランクの魔人ではロストの体に何の変化もありませんでしたが、流石に"自縛魔"をぶつければ話は違います」

「確かにそうだが……」

 渋る最高司令官。

 それに対してアップは

「これも国王を守るためです」

 まるで言い負けたように、男は静かなため息をついた。その音が室内に広がり、二人は沈黙を貫く。

 アップは男の返事を涼しい顔で待った。最初から彼の答えを知ってるみたいに。

 そしてそれは大いに当たっていた。

「……分かった。三軍を派遣させろ」

「ありがとうございます、最高司令官」

 アップは満足そうな顔で彼にお辞儀をした。

 


*    *    *


 任務を終えたロスト達は夕飯の買い物をするため、ブナトにある市場にやってきた。沢山のお店が軒並み並んでいて、肉屋やパン屋や野菜専門店など様々な種類がある。

 料理担当のレクはサツキのうるさい好みに反発しながらも、彼女の贅沢な要望に一々答えていった。

 正直ロストは、そこまで面倒なら無視すれば良いのにって思っていたけれど、レクは何だかんだ言って優しかった。ポケットの中から銀貨や金貨を出しては、あっちこっちに店を回る。

 そんな事してる間に時は夕刻。空がオレンジ色に染まる頃、いよいよ外は夕飯を買いに来る人でいっぱいになってきた。空飛ぶ自転車に乗る主婦。紺色のドレスを着ておめかしをした娘。軍服を着て疲れた顔をしたガタイの良い男達。

 三人は流れ込む人混みに紛れながら、せっせと買い物袋を持って街を歩いていた。

 そんな時、突然ロストの隣にいたサツキが

「うん! メンチカツの匂いだ!」

 と騒ぎ立てた。

 それに反応してロストも嗅覚を尖らせる。

 確かに匂う、誘惑の匂いが。

「駄目だぞ」

 先制攻撃! と言わんばかりのレクの指摘。

「え〜いいじゃん! 一つだけ買って?!」

「夕飯食べれなくなるぞ」

「大丈夫だって! ほら、お酒、あるし! 酒があればメンチカツなんて腹の足しにすらならんよ」

「あのな……そういう問題じゃないんだって。健康的な食生活を送るべきだって言ってるんだ。間食は駄目」

「え〜〜酷い! ケチ! レクだって人のこと言えないじゃん。体に悪い物、たくさん摂取した時期だってあったのに」

「?! お前……それは蒸し返さないって約束しただろ?!」

 レクが荒々しい声を出そうとした時、

「ちょ、ちょっとやめましょうよ!!!」

 レクの言葉を遮るロストの声。

 レクが酷いことを言いそうな予感がしたから、咄嗟に怒鳴ってしまったのだ。

 彼の声が大きかったせいか、二人は醒めたように目を大きくする。

「あ、すまん」

「い、いや私も……」

 レクは申し訳なさそうに首を手に当てた。

 サツキも気まずくなって、片手で持っていた買い物袋を両手に持ち替える。

「ごめんレク、ロストちゃん。メンチカツは今度でいいや」

 サツキは兎みたいに耳をシュンとさせた。

 重たそうな買い物袋を持って、壊れた魔法ロボットみたいに歩いていく。

 そんな彼女を見て、ロストとレクは目を合わせた。

 レクが彼女の背中を指して『お前が行けよ』と言わんばかりの合図をロストにする。

 がロストも、そもそも非がレクの方にあると思っているから、全く動じない。目をキョロキョロさせながら、時間稼ぎをする。

 その姿はとても頑固で……

「……分かったよ」

 先に折れたのはレクだった。

 彼は諦めたようにため息をして、サツキの肩をポンと叩いた。

 少し咳払いをして

「今日……だけだからな」

 瞬間、サツキの瞳が星となった。



*   *   *


「はぁ〜美味しかったな」

 お腹を摩りながら歩くサツキ。

 やれやれと言わんばかりのレクの呆れ顔。

 そんな二人の背中を、ロストはチョコチョコと追いかけていた。

 ロスト達は商店街のような街を抜けると、白と青を基調とした綺麗な住宅街に移動した。建物は木材や石や、石膏といったものの組み合わせで、建築に関わる魔術を持った人が建築家になり、これらを作ってくれている。

 ブナトはカタスフザ帝国の都市であるから、最先端の建物が沢山あるのだ。

 地上千メートルにも及ぶスカイタワーや空飛ぶ移動型病院施設。街の中心に構えるキングローズ駅やラクタート駅には、毎夜若者が遊び回っており、暗闇に包まれる瞬間は永遠に訪れない。

 レクの家はそんな年中お祭り騒ぎの街から丁度外れに位置しているので、とても静かな場所となっている。

「そういえばリボンちゃん帰ってるかな?」

 重たい買い物袋を持って、サツキがレクに尋ねた。

 レクはその黒髪を揺らしながら、彼女の方を振り向く。

「分からん。あいつは今日、別の任務があるからまだ帰ってないかもしれない」

「そっか」

 ?

 ロストの頭に疑問符が立つ。

「リボンって誰ですか?」

「俺達の部下で、お前の同期みたいな奴だ。お前と同様、最近特珠対魔三軍に入隊した女だ」

「……ぼくと同期」

「ただ少し、癖がある。何せ貴族の娘だからな」

「き、きぞく……」

 ロストは彼女と仲良く出来るか不安になった。

 もしかしたらいじめられるかもしれない。

 嫌なことを言われるかもしれない。

 パシリにされたらどうしよう。

「……」

 取り敢えず、第一印象が大事だ。

 まずは大きな挨拶をして、握手をして名前をさらっと言おう。

 それから軍から支給された生活用品を部屋に運んで……えーと。

 ロストは頭の中で、彼女と対面してから一緒に夕ご飯を嗜むその過程を、逐一想像した。

 恐らくお相手の女性は、ロストがラディオンに服役していた凶悪犯罪者として映ってるから、慎重な言動を心掛けなければならない。もし舐められるような行動や、非常識な質問をしたら間違いなく関係は悪化する。

 何としてでも乗り越えないと!

 ロストは固い決意を胸に宿す。

 そしてまるでそんな彼を迎え撃つかの如く、ブルー色の四角い建物が見えてきた。あれがレクのお家だ。

 ロストは少しだけ唾を飲んで、呑気に歩く二人の背中を追う。レクもサツキも気楽な人達なのだ。

 それから五分くらいだろうか。

 少しづつカレーやお肉の匂いが濃くなってくると、ヒビの入った青いドアが現れた。遂にレクの家の前まで来たのだ。

 レクが慣れた様子でドアノブに手を掛ける。

 家の中に入ると、少し薄暗い通路が三人の前に現れた。

 とは言ってもかなり歪な通路だった。

 流石は魔法使いのお家といったところだろうか。

 まず三人をお出迎えしたのは、無人に動く魔法の箒だった。床のゴミを払い、部屋の中を綺麗にしてくれている。とても可愛らしい動き方をしていて、ロストは思わず微笑んだ。

 次にロストの目に映ったのは、パァと光る天井のシャンデリアだった。三人の帰宅に反応して、勝手に光り始めたのだ。

 ロストのテンションは爆上げだ。

 そして自動で開く便利な通路扉を通って、いよいよ次はリビング。

 何が待っているんだろうか。

 子供みたいな目をしながらロストは、リビングの中に入った。

 入ると直ぐ、水と食器の音が聞こえた。

「……すごい」

 ロストは摩訶不思議な魔法道具に魅せられて、声を出してしまう。何せこんな便利な魔具を見るのは初めて。まさか普通に使われているなんて知りもしなかった。

 水道管と接続している石造りの台所。そこには一人でに動くたわしの姿があった。沢山の使用済み皿を洗ってくれている。これがあれば、態々わざわざ人が皿洗いをしなくても問題なしだ。

 続いて目に入ったのは、リビングの奥にある魔法の暖炉。

 これは別名手紙送信機と言って、手紙のやり取りをする為の魔法道具だ。手紙送信機が普及したお陰で、昔より情報交換が活発になり、殲滅隊でも多くの人が利用している。

 ちなみにロストが高校生だった頃、魔法暖炉の開発が著しく進んだせいで、新聞配達の給料が劇的に下がった。まだ当時は普及し始めだったから良かったけど、今では当たり前のように一家に一台あるみたいだ。


「うぅ……」


 突然、ロストは買い物袋を床に置いた。トイレに行きたくなったのだ。

 レクにトイレの場所を押してもらったロストは、赤ちゃんみたいに泣くお腹を抑えながら廊下に向かう。

 もっと早く行けば良かったのに。

 でも今日のロストは初任務ということもあって、一日中体が力んでいた。

 だからレクの家に着いて安堵するまで、自分の腹痛に気づかなかったのだ。

 ロストは左手でお腹を抑えながら、廊下の壁に張り付いたトイレのドアに手を掛けた。

 直ぐに排泄物を出せるように、ズボンを膝の高さにまで下げる。サツキはリビングにいるから大丈夫。

「あぁ……やっとだ」


 ロストはドアを開けた。


 ガチャ


 瞬間、生温い湯気がロストの視界を覆った。

 新鮮な匂いが鼻をツンと刺す。

 ロストは反射的に気づいた。

 だからこの匂いは、お風呂の…………。


「え?」


 でも遅かった。



 ロストは、と目が合った。

 一瞬だけ、止まった時間。

 向こうも目をパチパチさせてロストを見つめている。

 だけど次の瞬間、ロストの精神と時の部屋は、果てしないビックバンによって消し飛ぶことになる。

「へ、へんたぁぁぁぁぁいいい!!!」

「ご、ごめんなさぁぁぁぁぁいい!!!」

 これがロストとリボンの出会いだった。

 

 

 

 


 


 

 




 





 

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