第13話 闇への案内人
「裏技?」
裏技という響きは、実に安っぽい、陳腐な言葉だ。
だというのに、西園寺の口調と表情が、どこかその陳腐な言葉を怪しげに、危険なニュアンスに飾っているように思えた。
西園寺は答える。
「まず前提として、君が理事長に殺されかけたことは
それはそうだろう。そんなことが世間に知れれば、病院の評判はガタ落ちだ。この病院には他にない専門性や強みがあるのか雪姫は知らないが、よほどのブランド力がなければ来院者は減少し、やがて経営難に陥ることだろう。医療事故と比較して理事長が殺人というのはどれほどのダメージがあるのかはわからないが、首のすげ替えだけでイメージ刷新・元通り、となるのは楽観が過ぎるだろう。
「君には不満かもしれないが」
「わたしは構わない。別に世間に母の所業を訴えたいわけじゃなくて、自分の身の安全が第一で、その上で母に報いを与えたいだけだから」
雪姫の言葉を聞いて、西園寺は頷いた。
「結構。安心したよ」
西園寺はスマートフォンを取り出して何か操作すると、画面を見せてきた。
黒地に赤や白の文字で書かれた異様な雰囲気のウェブページだ。
「これは?」
「ダークウェブ――いわゆる闇サイトってやつだよ」
雪姫は初めて見る闇サイトに目を奪われたが、よくよく見てみるとただの情報発信サイトに見えた。闇サイトと聞くと違法な薬物のやり取りや犯罪の温床というイメージだが、今西園寺が表示させている画面は色遣いが特徴的なだけのサイトという印象だった。
「闇サイトといっても、全てが犯罪の温床というわけじゃない。特定ブラウザや認証、指定されたIPアドレスやMACアドレスでないと見ることができないサイトで、そういう意味では安全な通信とも言えるわけだが――」
西園寺はブラウザを閉じてスマートフォンをポケットに仕舞う。
「理事長が使ったのは、こんな『表に出てこない』サイトの一つだろう。殺人の依頼自体はSNSでもできるが、あの理事長のことだ。オープンにされているSNSなんて怖くて使えないだろう。まぁ、闇サイトを使えば安全かと言われれば、別にそんなことはないわけだが」
現理事長はとにかく変化を、リスクを嫌い、現状維持に拘る傾向にある。経営状況が悪くなっても施策を打ち出さないのは失敗するリスクに怯えているからだと、傍目からもわかっていた。
現在の四十代は、学生時代にパソコンが導入され、僅かながらパソコンの授業が入り始めた世代だ。やがてインターネットが普及していき、インターネットの闇と呼ばれる部分もメディアに騒がれていた。まだまだ後ろめたいことや犯罪=闇サイトの公式が成り立つ世代だ。
白野
「別に犯罪を立証したいわけじゃない。この際どう依頼したかは置いておこう」
西園寺が闇サイトの話をしたのは白野真尋がどう殺人を依頼したかを説明するためではない。
「こんな風に、少しだけ裏を覗けばいろんな闇があるわけだ。今は履歴が残らないチャットアプリもあるからね。一度接触を果たせば、何度も行われる同一サイト上やメールでのやり取りが履歴に残るリスクもなくなる。犯罪も、少しずつ進化しているわけだね。でも――」
西園寺は一度仕切るように、上体を反らして脚を組んだ。
「昔から変わらない『闇』があるのも事実なんだよ」
「どういう、ことですか…?」
雪姫には西園寺の言葉の意味がわからなかった。
闇がどうこうと、抽象的な表現が混じっていたこともそうだが、何か創作物じみたもの――同級生男子生徒がよく口にしている中二病のにおいがする。
不信の空気を滲ませる雪姫に、西園寺は朗らかに笑う。
「まぁ実感のないことだろうね。言っている僕自身も、そんなものは画面の向こう側や書籍の中の世界でしかないと思っている。そいういう世界には住んでいないから、実感がないことはしようがないことなんだよ」
まるで雪姫に対する慰めのようだが、それでも
そこで、ゴォーー、と病室のスライドドアが開く。
雪姫は体を強張らせるが、西園寺は当然のことのように振り向いて視線をドアへと向けた。
「いやぁ~、遅れちゃったねぇ」
軽薄そうな、浮ついた男の声。
「まさか今日の今日で顔を出せるとは思わなかったぞ」
その声に、西園寺は先とは違う、親し気な、砕けた声音を返す。
入室してきたのは、紺のストライプのスーツを着た、軽薄そうな男だった。すらりとした高身長の顔には無邪気な笑顔が張り付き、自然な仕草で手にしている果物の盛られた小さなカゴをベッド脇のチェストに置いた。
「こんな時じゃないと、逆に抜け出せないよ。下請け会社で犯罪行為が行われたとなれば、それどころじゃないって優先順位を入れ替えることができるからね」
男は部屋の端にあるもう一脚の椅子を引っ張り出してドカッと座った。
「目を覚ましたようでよかったよ、白野雪姫さん」
「え、あの……」
「
「サッチー、そこは思いやりってやつよ。何をあげるかじゃなくて、差し入れる行為自体に意味があるわけ」
悪友、と呼ぶのだろうか。なんとなくノリが十代のそれと似ている気がするが、西園寺よりも更に若い容貌の、一条と呼ばれた男は、少年を思わせるほど無邪気なものに見えた。あと、サッチーとは
「それよりさ、俺も彼女に自己紹介したいんだけど、いいかな」
その言葉で、西園寺はどこかバツが悪そうに一度咳払いすると、何かを言おうとした口を閉じた。
それを肯定と受け取り、笑顔の青年は改めて雪姫に顔を向ける。
「では白野雪姫さん、初めまして。俺は一条
「え、あの……」
困惑する雪姫に、すかさず西園寺のフォローが入る。
「その説明は端折りすぎだ。すまないね、彼は君が過ごしていた家にいた社員、その会社に仕事を依頼していた会社の経営者の一人だ」
「その方がややこしくない?」
「大くくりで説明するより、身近な人物との繋がりから話した方が理解しやすいだろう。高校生に発注者や元請け下請けの関係にゼネコンの説明をするよりはいいだろう。お前はもう少し人に理解してもらう努力をした方がいい」
「そうかなぁ~」
また二人で話し始めそうだったので、雪姫は西園寺の説明を反芻し、状況を理解しようと努めた。
そのとき、ふと一条の言葉を思い出す。
――「下請け先の会社で犯罪行為が行われたとなれば」
雪姫は三郎をはじめ、七人の男たちの顔を思い浮かべた。
一条の言う『犯罪行為』とは、雪姫の殺人未遂のことか?それとも共同生活をしていたことか?それとも両方を指しているのか。
「あの、三郎さんたちはどうなるんですか…?」
だから、恐る恐る、雪姫は尋ねた。
利用すると決めたはずだ。
だというのに、今になって、事が露呈したことで、彼らに対する罪悪感が湧いてきた。それは、自分は今安全であることに対して七人の男たちが一方的に罪を被る、運命共同体から一転、一方的な関係性に変じたと気付いたからだ。
「三郎……ああ、二次下請けの……」
罪を犯した社員の顔と名前が一致していなかったのか、一条は少し考えた後、雪姫が言う三郎がその社員であることを理解した。
「彼、よくやってくれたみたいだよね。彼の救命措置がされていなければ、君は蘇生できなかったかもしれない。でも、俺にも感謝はしてほしいかな」
一条は今日、急遽行われることになった工事現場の監査に対し、視察も兼ねてやってきていた。そこで、何やら騒いでいる二郎が目に入り、面白そうだと思って首を突っ込んだところ、社員寮に住まわせている少女が心肺停止ということを知って、その社員寮へと向かった。その移動中、自分の車に同乗させた二郎から話の大枠を聞き、搬送先になるであろう病院にいる知り合い――西園寺に連絡して手を回した。
『君の下剋上に使えそうな子がいるけど、どうする?』と。
対して、西園寺は救急科に割り込みをかけて「自分が処置する」と名乗り出た。ちょうど連勤が続いていた当番医師や看護師たちからすると不審よりも一息入れられることの方が大きかったようですんなり受け入れられ、信頼の置ける看護師と共に雪姫の処置に当たった。首の傷を見る限り、事件性ありの急患だ。当然警察に連絡するはずだが、そこは西園寺が「こちらで連絡する」と告げて誤魔化したのだった。
これまでの経緯をかいつまんで話す一条と、それを補足する西園寺。だが、雪姫にはわざと三郎たちの『罪』について話題を避けたようにも思えた。
「三郎さんたちは、どうなるんですか?」
だから、もう一度訊いた。
対して、一条は軽く笑う。
「君が気にすることかい?」
「それでも……」
「俺は彼らを直接どうこう言う立場にない。彼らのことは、彼らの会社が決めることだ。だが、君のことを警察に言わない以上、その犯罪行為も表沙汰にはならない。だから逮捕とか、そういうことにはならないよ」
三郎たちは逮捕されない。
それを聞き、雪姫は安堵した。
その安堵の表情を見て、西園寺は痛ましく思い顔をしかめ、一条は微笑ましいものを見たと
「じゃ、遅ればせながら、俺が来た本題ね」
雪姫は二人の態度に気づかぬまま、笑顔の一条の発言を聞く。
「退院したら、案内したい場所があるんだ」
「案内したい、場所…?」
「そう、下見くらいはしたいでしょ?」
出会ってからの変わらぬ調子で、一条は言う。
「人が消えても揉み消せて、平然と人が死ぬ場所、だよ」
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