第9話 二度目の

「シロネコでーす」


 雪姫ゆきはインターホン越しの若い女性の声を受け、玄関へと歩き出す。

 数日前に通販サイトで買った服が届いたのだとわかる。いつもの猫のマークの宅配会社だ。過去の配送では全て三十代の男性が運んでいたのだが、今日の担当者は女性のようだ。別に誰が配送担当でも構いやしない。そんなこと、特段気にすることでもない。

 買い物をするという行為がストレス解消になるということを雪姫は改めて実感した。予算が限られているものの、この閉塞的な居住空間に一日中詰めている身にとって、買い物をしてその商品を手にするということが如何に喜ばしく、精神衛生によいかを思い知ったのだ。

「今開けますよ~っと」

 少し弾んだ気持ちで玄関扉を開けると、緑の帽子と服の女性が一辺五十センチの茶色い段ボール箱を抱えていた。

「……白野、雪姫さん?」

「そうです」

 配達員の女性はじっと雪姫の顔を見つめていた。いや、覗き込む、もしくは睨むという方がしっくりくるかもしれない。

 数秒目が合うが、すぐに抱えている段ボール箱を差し出してきた。

 愛想のよくない人だなと、内心で不快感を覚えながらも、雪姫はそれを受け取る。

「あれ?」

 そういえば、こういうのって伝票か何かにサインするんじゃなかったけ?

 先月、初めて宅配の荷物の受取を経験したわけだが、まずサインをしてから荷物を受け取ったはずだ。「印鑑かサインを」と言われたことを覚えている。

 一つ疑問が浮かぶと、それが呼び水となっていろいろなことが気になり始めた。

 まず、段ボール箱をぐるりと見回してみるが、どこにも宅配伝票が付いていない。

 それに、先月同じ衣料品サイトで買い物をした際には、その会社のロゴが入った白い段ボール箱に入れられていたのに、今回は無地の茶色い段ボール箱だ。

 荷物もやけに重い。頼んだのは下着一セットとTシャツにパジャマの上下なのだが、荷物を受け取った瞬間にずっしりと重みを感じた。計ったことはないが、服自体は上下一式でも一キロ程度ではないのか?梱包の都合で緩衝材がたくさん入っているせい?でも、緩衝材ってビニール製の空気が入ったやつでしょ?重すぎない?

 次々と浮かぶ疑問に、ひとまずこの重い段ボールを置こう。そう思って、振り返って一抱えしている荷物を下ろす。三和土たたきに下ろすのは汚い気がするので、マットすら敷いていない廊下の上に。

「あの、サインとか――」

 疑問を口にしながら振り返る。

 が、その声が途中で止まる。それどころか――


「が、ぁ……っ!」


 呼吸も止まった。

 いや、


 振り返ろうとしたところ、首を基点に斜め後ろに引っ張られた。背中に固いものが押し付けられている。

(なに?首が……っ!息が……っ!)

 雪姫は状況を理解できない。

 荷物を持ってきた女の手によって、荷造り用の紐で首を一周巻かれ、背中に膝を押し付けられて体重をかけられているという状況を、雪姫は正確に把握できずにいる。

 息ができない苦しさに、両手で自分の首を探る。

 首に何か細いものが巻き付けられている。なんとかその巻きつけられたものと首の間に指を入れて振り解こうとするが、肌を引っ搔くばかりで首は閉まる一方だった。

 苦しい。

「だっ、だずげ……!」

 最初は息苦しさと肌に食い込む痛みばかりを感じていたが、やがて頭痛――耳の奥なのか目の奥なのかわからないが、とにかく頭の中の猛烈な痛みを感じ始めた。

 痛い。

 次第に視界が暗くなっていく。

 怖い。

 苦しさと痛みと恐怖が渦巻き、時間の経過もわからなくなる。

 十秒?いや、もう一分くらいはこうしているだろうか。

 思考が繋がらない。

 自分は立っている?横になっている?

 平衡感覚が失われていく。

 今、自分は何を――――


 ドダンッ――――


 雪姫の体が、段ボール箱の上に落ちた。

 箱に上半身を預け、ふちから首をガクッと下げて。

 うつ伏せのまま、その体は動かない。


 カシャリ


 緑服の女は雪姫の首から紐を回収し、スマートフォンで倒れ伏す雪姫の写真を撮った。真後ろから一枚。少し横に移動してから改めてもう一枚。見開いた目と、涎と舌を垂らした口元、白い肌に浮かぶ索条痕と吉川線――首のひっかき傷が、写真越しにもそれが絞殺体であることを物語っている。

 緑服の女は素早くその場を離れた。

 ここに住む男たちが普段使っている、車がぎりぎり通れそうなわだちのある未舗装の道からではなく、背の高い雑草の合間に分け入り、森を抜けて道路に出る。路肩には白い軽バンが停められている。

 盗難車である軽バンに駆け寄り、助手席のドアを開け、身に着けている上着と帽子を投げ入れる。すぐに運転席側に回って乗り込み、発車させる。二十分ほど走り麓まで下りてから人気のない公園脇の路上で停止。ポケットからスマートフォンを取り出して、先ほどの写真をチャットアプリに貼り付ける。

 そして一言、


『作業完了』


 短く文字を打ち込み、送信。

 助手席にスマートフォンを投げ、再び車を走らせた。

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