#2

「嘘だろ…」


 千春の目に映った物は、包丁である。


 それが、家の柱に突き刺さっていたのだ。しかもよく見ると、柱には千春にも見覚えのある淡いピンクの封筒を真ん中から包丁で突き刺していたのだ。


「っ!!!」

 急いでライトを消して、身を潜める千春。


 こんなことをする奴が普通であるはずがない。もしかすると、帰ったふりをして茂みに潜んでいる可能性すらある。


 何故、その事に思い当たらなかったのだろうか…恐らく千春は少し甘く考えていたのかもしれない。


 手紙の主がわざわざ場所を指定してきたのだ。それも、誰も来ないであろう山奥の廃村に…ただ千春たちに会いたいだけならば、事務所に千春たちが居る時を見計らって来ればいいだけのはず。


 では何故、この場所で千春たちに逢いたかったのか…ライトの光で照らされる包丁が千春の脳裏を過る。


 千春は廃屋の陰に隠れながら周りの音に耳を傾ける。風で揺れる木々の音にすら過剰に反応してしまう程、音に敏感になっていた。


 この場から、一刻も早く離れたかったが離れられない。千春の脳裏には、茂みに潜む何者かの姿を想像してしまっているからだ。


(落ち着け…パニックになるな。茂みに隠れているなら、俺が家に近づいた時に何らかのアクションを起こすはずだ。それが無いという事は、この場に居ない可能性が高い)


 自身を落ち着かせて、冷静に現状を分析する千春。このままこの場に居てもしょうがないこともあり、赤外線カメラの映像を頼りにこの廃村から脱出する事を決める。


 家の陰から辺りを見渡すが、やはり人の気配は感じられない。先程よりかは幾分か冷静になった千春は、ピンクの封筒を無造作にポケットに突っ込み、その場から離れる事にした。





 廃村からは無事に出られたのだが、車を置いてある駐車場までの道のりで、待ち伏せをしている可能性がある。その為、ライトを付けずに真っ暗な山道を下らなければならない。片側は崖になっており、足を滑らせてしまったら大けがだけでは済まないだろう。


 その為、赤外線カメラの映像を頼りに山道を下るしか方法はなく、かなりの時間がかかり、ようやく後もう少しで駐車場と言う場所まで来ることが出来た。


 極度の集中状態を続けていたせいか、千春は疲れ切っていた。そんな千春の元に奇妙な音が聞こえてくる。



 ぎゃり――ぎゃり―――――ぎゃり――


(何だこの音…)

 ナニカを擦り合わせている様な音。そんな音が川の音と共に崖の下から聞こえてくる。


 崖の下を覗いて見るが暗くてよく見えない。しかし、未だ断続的にその音と何者かが歌う様な声が聞こえ続けている。


『―か――おか―――ぁ―――』



 その音の正体を確かめようと目を凝らして見ていると、雲で隠れていた月が顔を出し、崖の下を薄っすらと照らした。そこには、川の中で腰をかがめている人物が千春の目に映る。


(何だアイツ…?アイツがもしかして、手紙の主なのか?)


 千春からは、その人物の背中しか見えない為、性別は分からない。しかし、歌声のような声と、ナニカを擦り合わせている様な音はその人物が発しているという事は分かった。



 こんな夜中に一人で川に居る人物が真面なわけがない。恐らく、廃村に来たのは今まさに、川にいる人物だろうと考えていると、先程まで聞こえていた歌声や音が聞こえなくなっている事に気付く。


「うっ!!!」



 男性だった――



 川に居た男性は立ち上がり、千春の方に視線を向けていた。月明かりがあるとはいえ千春と男性の間には距離がある。その為、はっきりとは顔は分からなかったが、恐らく中年の男性だと千春は感じた。


 相手は崖の下に居るのだから、すぐには千春の元に来ることは出来ないだろう。だが、まずい――直感的に千春はそう感じた。



 急いでライトを点け、駐車場まで走る千春。車に飛び乗るように乗り込むと、すぐさま車を発進し、自宅まで帰った。



 車を運転しながら思う――あの廃村に来たのは川に居たあの男だったのだろうか。つまり、手紙の主は男性…?だが、何処か腑に落ちない。何故ならば、手紙の内容や筆跡から予想するに女性の可能性が高いからだ。



 なら、あの川に居た中年の男性は一体…?




 崖の下の小川でナニカを擦り合わせるような音――そして、歌っているかのような声。


「はは…まさかな」



 千春は自身の頭に思い浮かべた、ある者の存在をすぐに頭から消し去る。そんなはずはあり得ない――座敷童に続き、なんて馬鹿げている、と。





 小豆洗い――地域によっては呼び名や伝承は異なるのだが、川のほとりで「小豆洗おか、人取って喰おか」と歌いながら小豆を洗う。その音に気をとられてしまうと、知らないうちに川べりに誘導され落とされてしまうという妖怪とされている。





 ◇


 次の日になり、篤からの着信で目を覚ます千春。


「いよっ!無事だったかー?」

「まあ…なんとかな。それより体調は――その感じだと大丈夫そうだな」


 昨日までの弱々しい姿は何処へ行ったのやら…篤はいつも通りに戻っていた。これから篤が千春の家に来るというので、準備をして待つ事にする。




 準備を終え、コーヒーを飲んでいる時に家のインターホンが鳴り響く――画面には篤の姿が映っていた。


「うぃーっす。昨日は悪かったな…寝て起きたらすっかり体調も良くなってたわ。それでさ、昨日はどうだった?」

「大変だったよ。……あっ」


 昨日の出来事を篤に話そうとして、千春は淡いピンク色の封筒を思い出す。


 昨夜は朝方に帰って来て疲れていた事もあって、手紙の中身を見ずにそのまま寝てしまったのだった。


 篤に廃村での出来事を説明した後に、手紙の中身を二人で確認する事にする。そこには、走り書きで、







『みーつけた』



 一言そう書いてあった。



 お互い手紙を広げたまま固まっていた。どのくらいそうしていただろうか――先に言葉を発したのは意外にも篤であった。


「これって…つまりそういうこと、だよな?」

でも、なんで気付かれた…?もしかして――」


 千春はある一つの可能性に気付いた。


 この手紙の主は最初から廃村を見渡せる場所に潜んでいた、という事を。そうでなければ説明がつかない。竹林は鬱蒼と茂っていて、その中に音もたてずに潜んでいたのだ。千春が竹林に向かうのを見ていなければ、あの手紙の内容は書けないはずである。だとすれば、帰ったふりをしてずっと手紙の主は、千春の事を茂みから監視し続けていたのかもしれない。


「いや、ただ適当に書いただけかもしれないぞ?」

 引き攣った顔で篤は言う。


 篤のいう事も一理ある。だが、篤が本心から言っていないのは表情を見れば一目瞭然だ。


 室内に沈黙と言う静寂が包む中、篤は室内の雰囲気を変えようとして明るい声で話し出す。


「まあ、仮に隠れて千春の事を見てたとしてもだ、結局相手は何もしてこなかったんだから良かったという事にしておこうぜ!一応さ、俺もあの廃村についての曰くなんかを調べてみたんだけどさ、結構興味深い話を見つけたんだよ」

「まあ…そうだな。興味深い曰く?」


 一旦、手紙の主の事を考える事を辞めた千春は、篤の調べた廃村の話に耳を傾けた。





 戦後に町村合併促進法(1953/昭和28年10月)――地方自治をより「効率的」に進めることが目的される法案が制定された。この事により、全国的に合併の機運がたかまってきたのだ。


 戦後に大量の若者を失った日本では、約1万の町村の平均人口は5千人あまり、しかも平均人口に達しない規模の町村が全体の3分の2を占めており、各種の事務を円滑に遂行していくのは困難であった為に、この法が作られたのだった。


 だが、多くの村が合併していく中、千春が訪れた廃村は合併を反対し続けていたのである。しかし、村人全員が合併に反対をしているわけではなかった。一人、また一人と村からは人が離れていき、ついには村の人数は数十人にまでなってしまう。


 そんな中、千春が訪れた廃村は今から約70年前――つまり、戦後間もない頃にある事件が起きたらしい。


 村に住む男が村人を惨殺した――と、言われている。


 この事件が発覚したのは、数日後に村役場の職員がこの村を訪れた時であった。昼間だと言うのに、村人たちの姿が見えない事を不審に思った役場の職員は、村長の家を訪れたのだ。すると、布団の中で首を鋭利な刃物で切り裂かれた村長の遺体を職員は発見する事になる。


 慌てて山を下り警察に報せたのだが、その調査の結果、村人全員が就寝中に殺害された事が分かった。そして、理由は分からないが死体には歯の一部が抜き取られた後があったという。


 警察は山狩りをしている最中に、河原で男の死体を見つける。死因は頭部を強く打って死亡とされ、近くに崖がある事から転落死として片づけられた――のだが、この男の持ち物の中に、


 警察の調査の結果、男が所有していた歯は惨殺された村人達の歯であることが分かる。


 しかし、凶器の類は一切見つかっておらず、この男が村人を惨殺した犯人かどうかは未だ謎のままだという。




「ネットでもあんまり詳しくは乗ってなくてさ――千春どうした?」

「いや…なんでもない」


 千春は篤の話を聞いて思う。



 崖の下の小川に居た男性は『小豆洗い』などではなく、昔にあの村であった事件の犯人なのかもしれない。


 崖の下の小川でナニカを擦り合わせるような音――つまり、歯を洗っていたのではないか…死して尚、男が歯を磨いている事を考えるとぞっとする千春であった。




 その後、暫く篤と話をした後にいつものファミレスで昼食を食べる事にした千春たち。


 自宅の鍵を閉め、ふと視線をポストに移すと何かが入っているのが見える。


 ポストに入っていたのは、淡いピンク色の封筒であった。




 千春がすぐに引っ越したのは言うまでもない――。



【ぎゃり――】~完~

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