第18話 彼の求める社会性と人物像は・・・

 実は、先日たまたま、尾沢君と奥さんにお会いして、その時、今述べたようなことを彼がおっしゃっていましてね。

 私が在籍していた頃に比べても、あの地の人間関係は、さらに「希薄に」なる方向に進んでいるようです。そこは、私も予想がついておりました。

 そんな中、尾沢君はよく頑張っていると思います。

 ではなぜ彼の担当になったのかとお聞きしますと、もう、保母では誰も担当不能ということが明らかになったことが一つで、もう一つは、生え抜きの児童指導員である尾沢君に、よつ葉園からの大学進学者を生み出すという「実績」を作ってほしいという思いを大槻園長が持っていて、それで彼にさせていると。


 それはいいのですけど、何でしょう、話に聞く中学受験の学習塾や大学受験の予備校みたいな「実績を作る」場なのでしょうかね、養護施設というところは。

 大槻君のその感覚には、私には到底、ついていけません。

 そんな私が定年を機にお引取り願われたのは、無理もないのでしょうね。


 「家庭」だの「家族」だのといった言葉を都合のいいときだけ用いて、どうにもならなくなったら、ここは「施設」だからと言い訳をするような若い職員らの言動にも、問題点がないとは言いません。

 しかし、親代わりと言ってもいい職員に、心のこもった指導とか、家庭的な雰囲気を作れというのはいいとしても、「進学実績」を上げろという方向の「指導」を求めるのは、何かが違うような気がします。

 そうなるともはや、寂しいとか何とかいうより、もう、何とも言いようのない思いにしかなりません。


・・・ ・・・ ・・・・・・・


 山上元保母の話には、何とも言えないつらさと寂しさが同居している。

 彼女の話を聞かされる3人とも、それぞれ、思うところがあるようだ。

 しかし、その思うところは、それぞれ、立場によって違うのもまた確かである。


 少し間をおいて答えたのは、大宮氏であった。


・・・ ・・・ ・・・・・・・


 大槻君に先日お会いして感じたことはいくつかありますが、確かに全体として、今山上先生がおっしゃったところに近いものがありましたね。

 彼は、福祉関係者や教育関係者らの一種「偽善」的な考えや言動を心底嫌っていますよね。これは、若い頃からぶれずに、それどころか年がたつにつれより強固なものへと「進化」しているようにも、私には思えます。

 彼から見るところのよつ葉園のこの現状を「打破」していくには、民間企業や利益共同体と言われる組織の発想をしっかり取込み、社会に出ても即応できるだけの意識を持った子を育てていくことが肝要だと、そう考えている節がありますね。

 昔ながらの「のびのびと元気よく」などといった言葉の偽善性も、彼はとっくに見抜いています。そんな言葉でごまかすのは、子どもだましに過ぎないと。


 ではそれに変える基準としては、何か。

 他でもありません。「性能のいい」、もしくは「感じのいい」人物。

 彼の考える「社会性」というのは、そのような人物でないと身に着けられない。


 彼と話していて、そんなことを感じましたね。

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