第4話 見せかけの戦い

 桜が咲く頃になった。夏帆がもっとも嫌いな季節だ。けだるい空気の中に、いつも空っぽな心が刺激されるのを感じた

 あやかし学では、実習が多いため、白虎寮との合同クラスが形成されていた。

「来週、動物園実習を行います」

 あやかし学の先生は幾分鼻息を荒くして言った。

「動物園実習?」と直美が言った。

「3人グループを作ってください。グループで見学したい生物を選んで」

 できればグループは先生に先に決めておいてほしかった。夏帆は誰と組めばいいか、ぱっと思いつかなかった。周りの人たちがわちゃわちゃとはしゃぎたて、と次から次へとグループを生み出していく中、夏帆はひとりぽつんとたたずんでいた。声をかけることもできず、声もかけられることもなく、どうすればいいかわからなかった。

 先生は杖を一振りすると、一人ひとりにパンフレットを配った。パンフレットには動物園の地図が書かれている。身近なあやかしとのふれあいエリア、水性生物エリア、ようかいの森エリア、飛行動物類エリア、様々な分類わけがなされている間に一つ気になるエリアがあった。

「高橋さん、一緒にどう?」

 二人組のペアがグループに誘ってくれた。夏帆は頷いた。その表情は硬いままだった。名前も知らない白虎の学生だ。

 あやかし学はあらゆる理由のため人間界で暮らすことのできない生物を取り扱う学問だった。動物園には、“あやかし”に分類される動物のみが飼育されていた。

「どこがいいかな?」とそのうちの一人が言った。

「うーん……」ともう一人が言った。そんな押し問答が続いたので、夏帆はあきれて口を開いた。

「あやかしの森エリアは?」

 二人はきょとんとした。

「麒麟、見てみたいんだけど」

「別にいいよ」

 こうして麒麟と決まった。

「麒麟って本当にいるんだ」と夏帆はつぶやいた。

「そりゃ、まあ」と二人は戸惑った顔をした。

「見えたことないけどね」と一人が言った。

「動物園行ったことあるの?」と夏帆。

「みんなあるでしょ。この年になって動物園だなんて面倒よ」

「私、はじめて」と夏帆は言った。

「え!行ったことないの?お母さんとかに連れて行ってもらわなかったの?」

「だめ!」ともう一人が言った。夏帆が孤児院育ちだということを知っていたらしい。

「あそうか、ごめん。じゃあ、楽しみ?だね」

「まあ」

「決めましたか?」と先生が口を挟んだ。「やることは簡単です。15時から15時30分の間、5分おきに行動を記録してください。そして、実習後の授業で発表です。再来週の実習までに、自分たちが見学する生物のことについてよく調べてきてください」

 きっとこのとてつもなく退屈な実習を一番楽しみにしているのは先生と佐々木さんのみなのだろう。直美と親友で、同寮同室の佐々木は無類の生物好きだった。夏帆もこの前の期末テストで負けている。その時、佐々木はあの高橋夏帆に勝ったと大騒ぎで良い迷惑を被ったのだ。

 夏帆は図書館で麒麟に関する興味深い本を見つけた。

『麒麟が見える時』

(略)

 麒麟は興奮状態になるとその姿がホモ・サピエンスにも見えると言われている。つまり、魔法使い以外の人間にも見ることが可能である。しかし、その興奮状態を引き起こす条件は非常に難しく、学者の間でも意見が分かれているが、世界に平和が訪れた際に見えるというものが定説である。

 エジンバラ魔法魔術学校校長のアーサー・ロウエル氏は、魔法使い国際共同連盟理事就任時において「私の生涯の目標は麒麟の可視化に成功することだ」と述べている。妖精研究の第一人者としても知られているロウエル氏が、この定説に触れたことは、世界中で話題となった。

一方でこのロウエル氏の意見はあくまで例え話にすぎないというものもいる。著名な生物学者で知られるアリス・パウエル氏は「ロウエル氏のこの発言は、あくまで今英国魔法使い社会を脅かしている悪党ロビン・ウッド問題への対処を決意しただけのことだ」と述べ、あくまで自身の定説、終末に訪れるという終末説の立場を崩していない。

(略)

 麒麟はそもそも人間にも見えることから、魔法生物すなわちあやかしとして分類してよいかとの議論がなされてきた。前述のパウエル氏の論文によると、麒麟は魔力による特別な磁場を持っている。これが、魔法界の均衡を保っているというのが、現生物界の立場である。麒麟が現れる時は、麒麟の消滅時であり、その時は、均衡が失われ、魔法そのものが消失するのではないかという述べられている。つまり、この磁場があることによって、魔法が生み出されているということである。

(略)

 さて、麒麟の食料は、人々の感情であることは先に述べた通りである。しかしこれが、正の感情(すなわち幸福を指す)であるのが、負の感情であるかは議論の余地がある。そのため、排泄といった機能があるのか、それとも、ただ栄養を摂取し、拡大をし続け、その時が来たら可視化されるのか定かではない。


「磁場?」

 磁場によって魔法が生み出されるとは一体どういうことなのか。夏帆にはさっぱりわからなかった。


 動物園実習の日が来た。夏帆をはじめとする生徒たちはさっと終わらせて余った時間でショッピングでもしたいとだけ考えていた。あのバッグがほしい、このカフェに行こう、という会話が聞こえたが、夏帆には無縁だ。カフェなんて高尚な場所、学生が行くところではない。やはり、ここの学生は少し感覚がずれている、と思った。

 3人であやかしの森エリアに行き、麒麟ブースへと向かった。


 中国で生息。人間の感情を食料とする。エンジェルオイルの原料。目撃したものはいない


 目の前のガラスを見ると、確かにそこには何もいなかった。しかし、確かにそこにいることは感覚でわかった。

「見えないのにどうやって捕まえたんだろう」と夏帆は思わずつぶやいた。

 

 実習が終わると、午後の授業がはじまるまでは自由時間だった。夏帆とグループを組んでくれた2人がイタリアンレストランに入っていくところを見るのは少々胸騒ぎがした。夏帆はまっすぐ、学校まで歩いて帰っていった。


 午後一の5限目は護身術だった。

「今日はもっとも邪悪な呪いを教えます」と護身術の先生は言った。

「人を死に至らしめる呪いです。当たれば確実に死ぬ。成功率の低い、かなり難しい呪いです。私もできるかと言われたら、百発百中ではできないでしょう。もし失敗した呪いが当たれば、半身不随になったり、脳死状態に陥ることもあります。また、この呪いの使い手も相当なエネルギーを消耗することになります。そのため、悪い魔法使いであっても、この呪いを使う者は少ないと言われています。現在ではロビン・ウッドくらいですね」

「ロビン・ウッドってイギリスの大悪党?」と直美が言った。

「ええそうです。相手が出した魔法が死の呪いであるかどうか、判断する方法は非常に難しいです。ただ手がかりは、全身からもやのかかったような黒い煙を出すと言うこと、そしてその煙がまっすぐに狙った人の心を突き刺そうとしてくることです」

 授業はこの死の呪いに対する護身術だった。

「この術ですが、実は日本でしか教えられていません。開発したのはギルド・ストラッドフォードといわれています。まず、死の呪いはマイナスのエネルギーが出ます。そこで、死の呪いに極限まで近い、マイナスのエネルギーを全身に貯め、術にぶつける。すると、呪い跳ね返る。非常に有益なだけに、危険も伴います。はね返した呪いに当たって死んだ人も数知れません」

 二時間連続授業の後半は実戦だった。もちろんできる人なんていなかった。

「心の底から考える。相手のその負の感情を受け止める覚悟を。そして、それを払う覚悟です。そういった覚悟がマイナスにチャージされます。できなくても無理はありません。習得には3年を要します」

 夏帆は負の感情を思いっきりためた。この世と未来への絶望を考えた。ただ目的もなく生きる毎日を考えた。

「高橋さん、その様子では相手を殺してしまいます」

 夏帆の全身からは黒いもやが出ていた。クラス中が引いた目でみていた。

「死の呪いは使いこなせるかもしれませんね」と護身術の先生は淡々と言った。「でも今求められているのは、はね返す方法。すなわち覚悟です。相手の感情を受け入れはね返し、相手を救う覚悟なのです」

 それは正しいのだろうか、と夏帆は考えた。相手の死の呪いをはねのけるには、相手の感情を受け入れていて良いのだろうか。本当に必要なのは、絶対に反射してやる、という気概では。むしろ、出し抜いてやる、という気持ちこそがはねのけるのでは。次の瞬間、夏帆の全身からは7色の光りがあふれ出た。

「そうです、高橋さん!その調子!その魔力を腕に通して、手から杖から出すのです。ほら、黒板に向かって!」

 夏帆が杖を黒板に向かって振ると、どんという音と共に、黒板が壊れた。

「マイナスエネルギーですからね」

 そういうと護身術の先生は黒板をさっと直した。

「素晴らしい!これが成功の形です。初めてでできる人なんてなかなかいませんよ。竹内直人くん以来です!」

 竹内直人以来、という言葉が夏帆にはひっかかった。

 

 授業が終わると、みんなが集まってきた。夏帆は、廊下を、おしゃべりをしながら歩いた。初めての経験。友達ができたみたいで楽しかった。

「すごいね夏帆ちゃん」

「私にもやり方のコツを教えてよ」

 夏帆は少しだけ、笑顔を見せた。

「マランドール様がいらっしゃるわ」

 誰かがそう囁いた。確かに、向こうから山瀬先輩がJ.M.C.の書記二人を連れて、廊下の真ん中を堂々と歩いてくる。制服にギラギラのベルトとチェーンひっさげた服装はいかにも玄武寮の不良のようだ。それにJ.M.C.会長、マランドールという称号があるかと思うと、威圧感は相当のものがあった。

 夏帆は山瀬先輩が来ると、一歩下がって、深く礼をした。いつもはそのまま通りすぎるはずが、今日は夏帆の目の前で止まった。

「お前、あんま調子のってんじゃねえぞ」

 山瀬は夏帆の横腹を殴った。鈍い音が廊下に響いたと思うと、夏帆はその場で崩れ落ちた。見上げると、そこには山瀬の冷たい表情が。山瀬はマントを翻してその場から立ち去った。

「うっ……」

 暫くしてから来た痛みに思わず声が漏れた。周りの人は何も見なかったふりをして、去ってゆく。山瀬先輩に喧嘩を売りたくないのだ。

「高橋さん」

 その場に残った上品にウェーブをかけた茶髪の女性が言った。書記の一人だった。

「会長からの伝言です。明後日正午、中庭にて決闘を申し込むと。受けるか受けないか、必ず明日正午までにご返答ください」

 書記は冷たい視線を夏帆に向け、山瀬の後を急いで追っていった。

 朱雀寮の人たちが夏帆を心配して近寄ってきてくれた。横腹をさすったり、痛み止めの魔法をかけてくれたり。なぜ、優しくしてくれるのか。夏帆は困惑した。

 小道ありさが廊下を曲がった向こうからやってきた。ありさは山瀬先輩を見ると一礼をし、その場を通りすぎようとした。

「ありさ。中庭の花が萎れていて見苦しい」

 そういうと山瀬は小道の足を力強く踏んづけた。

花など愛でる人だったのか?夏帆は山瀬の一言に驚いた。

「すぐに」

 痛みを抑えた声で言うと、小道は急いで中庭へと向かった。

 ふと周りを見ると、朱雀寮の面々が拳を握りしめているのが明らかにわかった。唇をぐっと噛みしめているものもいる。

「後で、寮で話そう。青木、頼んだぞ」

 6年の立川がそういって夏帆の肩をぽんと叩くと周りにいた人々はその場から去っていった。

「昨年のマランドール戦、決勝は桃美先輩と小道先輩だったらしい」

 青木君がつぶやくように言った。

「桃美先輩?」

「山瀬桃美。マランドールだ。ていうか、高橋、この話知ってる?」

 夏帆は顔を細かく横に振った。

「小道先輩は人望があって、腰ぎんちゃくみたいな取り巻きもいて、それはもう玄武生に負けず劣らず威勢を張っていたらしい。組織に入るのが嫌いな人だったからJ.M.C.には所属していなくて、それでずっと目をつけられていた」

「あの寮長が?信じらんない」と直美。

 青木は頷いた。

「あの二人、初めは親友だったんだ。でも、組織の意向もあっていつまでも仲良しってわけにもいかなかった。J.M.C.は桃美先輩に小道先輩を圧倒することを命令したんだ。ただ当時は桃美先輩がおとなしかったこともあって小道先輩の方が勝っていた。けど、向こうも着々と力をつけだした。あんな恰好で暴力的になったのも、そのせいだ。そして、小道先輩がマランドール戦に負けると、ここぞとばかりに職権を乱用し始めた」

「それで寮長をいじめだした」と直美。青木はうなずいた。

「でも、高橋も知っての通り、小道先輩は素晴らしい方だ。時に優しすぎるくらいに。幾度も決闘を申し込む桃美先輩を小道先輩は心配していたらしい。いつか負けたらどうするんだって。小道先輩も威勢を張っていたとはいえ、情の深い人だった。桃美先輩が豹変してから、小道先輩もライバル視するようになったらしいけど。だから、朱雀生は皆山瀬先輩が嫌いなんだ。美咲先輩から聞いた話だ」

「美咲先輩?」

「花森美咲先輩。竹内直人と付き合ってるって噂の」

「えっ?」

「噂だよ、ただの。正直あの二人は性格がま反対だから嘘っぱちだと思うけどね。それに、先輩はよく、林省吾先輩と稲生和真先輩と一緒にいる。とにかく、ファンクラブもあるほど先輩後輩含めて多くの人から慕われているんだ。俺にもフレンドリーにこの話をしてくれたよ。まんまと乗せられて、J.M.C.に入っちゃったけどね。話がずれた。とにかく、誰に何を言われようと、俺は朱雀生だ。美咲先輩がマランドールだろうと、桃美先輩がマランドールだろうと、小道先輩についていく。そのことはJ.M.C.に所属している朱雀生も、そうでない朱雀生も皆同じだ。君に仇を討ってほしいんだ」

 とんでもないものを背負ってしまったのだということに夏帆はようやく理解した。こんなたかだか学生の威勢の張り合いに、なぜ巻き込まれなくてはならないのだろう。

「どうする、高橋」

「小道先輩には色々よくしてもらったから……」

 夏帆は呟いた。青木は手を差し伸べた。夏帆は青木の手を取ると、硬く握手をした。

 寮に戻ると、朱雀生ほぼ全員が談話室に集まっていた。

「それで、どうするんだ」

 立川が腕組みをして立っていた。

「俺たちは、お前が覚悟を決めるなら、率先して協力させてもらう。」と青木は言った。「俺はJ.M.C.に所属しているから、マランドールに関してはおまえよりは詳しい。あいつの癖やテクニック、それくらいの情報収集はできる、たぶん。小道先輩のため、仇は皆で討つ」

 夏帆は力強くうなずいた。

「思いはみなさんと同じです」と夏帆。

「マランドール様だけはだめよ」

 どこからともなく、小道が現れると、寮全体に響く声で叫んだ。

「マランドール様はこの学校で一番のお方。立てつくようなことをしてはいけないわ。決闘だなんで論外よ。夏帆さん、断りなさい」

「断りません」

「なんて子なの」

「これは高橋さんだけの意志じゃない。僕ら全員の意志です。先輩のためです」と稲生の兄、稲生和真が言った。

「私はマランドール様を尊敬しているわ。少し挑発されたぐらいでなんて大げさにでるのかしら?私は争いを好まない子が好きよ」

 寮の子たちはちらちらと見合った。

「あの方がいるおかげで、この学校は平和でいられているの。そのことを忘れてはいけないわ」

 そういうと小道は寮長室へと入ろうとした。

「もうそういうのやめろよ」6年男子の一人が叫んだ。

 小道はドアノブに手をかけたところで止まった。

「良い子ぶるとか、お前去年までそんなキャラじゃなかっただろ。今年一年、俺たちはずっと我慢してきたんだ。苦しむ小道を見てきて、いつかは見返してやろうと……」

「私のため?それともあなた自身のため?ある人に言われたの。昨年いた私の彼氏は、用意されたトラップだったって。彼に別れを告げられてひどく落ち込んだわ。マランドール戦直前のことよ。振られたことが決勝戦に影響があったかって?さあ。あったといったら言い訳って思われるでしょ。その子の策略に私はまんまとはまってしまったの。だから、私はもう誰も信じない。この世の誰一人もね。ええ、悔しいわよ。死んでしまいたいほどに。そういうあなたたちの言動一つ一つで私のプライドはズタズタなの」

 静かで力強い小道の言葉だった。寮全体がしんと静まり返った。

「小道先輩……」

 青木はぎゅっと拳を握りしめた。

「立川先輩、どうすれば……」

青木は人格者の立川に救いを求めた。誰よりも小道の近くにいた人だ。

「悪いけど、俺は君たちに協力しないよ」

「……」

 寮の皆が一斉に立川に注目した。夏帆も驚いて、思わず、教科書を床に落とした。

「俺はJ.M.C.だから。昔も、今も、そしてこれからも、変わらず山瀬の味方だ」

 立川はニヤリと笑った。

「先輩……?」夏帆は呟いた。

「気がつかなかった?」と小道は言った。

「てっきり二人は付き合っているんだと」と直美は言った。

「立川はね、ずっと私を監視していたのよ」と小道は言った。

「謎のチーム6長は俺のことだ」

 そういうと、さっそうと寮から出ていった。皆は呆然と立ち尽くした。

「そんな……あとは立川先輩が頼りだったのに。マランドール戦で山瀬と戦ったのは小道を覗けば立川だけだ……立川から情報を得られなかったらどうすれば」

 6年男子のその言葉に皆が力を失った。

「終わりだ。マランドールの情報を盗もうとしていることも今話しちゃったじゃないか」

「小道先輩のためにやることなんでしょ。その先輩が望まないなら、断ったほうが」と佐々木が意気消沈して言った。

「断りません」夏帆は力強く言った。

「誰かの策略であることわからないのか?」と和真が叫んだ。「去年だって、戦い前日に彼氏に関して種明かしをされた。今年も今、決闘直前に種明かしをされた。手口が同じだ。こんなことでいちいち落ち込んでいたら、去年みたいにまた負ける。先輩、言っていただろ?悔しいって。誰も信じられないなら、僕たちで信じさせてあげればいい!でも、これは高橋さん次第だ。これは……」

「ええ、これは、私が受けた挑戦状です。受けるか受けないか、決めるのは私です。私は、誰かのためでもなく、自分のためでもなく、朱雀のために、J.M.C.と戦います」

 夏帆はこの時ばかりは流ちょうに嘘を並べ立てることができた。そうとでも言わないと小道は何が何でも夏帆を止めるだろう。そうとでも言わないと、情に熱い朱雀生の協力を得られないだろう。

 知っている。彼らは朱雀の誇りとやらを掲げているだけだということを。夏帆は朱雀生だから助けようとしている。そんな自分たちに酔っている。

 誰も私自身を見てくれないのだ。もっと私に話しかけてくれれば、もっと興味を持ってくれたら。みな、どこかよそよそしく、私を枠組みでしか判断しようとしない。最強利用する、彼らの頭にはそれしかない。

 小道のための弔い合戦。本音で言えば面倒で仕方なかった。ただ類は昔こう言っていた。


売られた喧嘩は買っておけ。喧嘩を売るのは理由がある。相手のために買うんだ。それが、向こうへの貸しになる。


 その日中に夏帆は決闘を受け入れるという返答の書面をJ.M.C.に向けて出した。寮内にある決闘受諾書にサインをして、宛先を書く。そうすると紙が自然と自ら宛先へと飛んでいってくれるのだ。

 すごい、と夏帆はつぶやいた。

「正直きついぞ」と青木は言った。「今日いた書記官いただろ。あの人、財閥のお嬢な上に天才なんだよ。人間界から人工知能(AI)装置を持ち込んで、1人1人の戦闘方法を統計解析している。魔法使いが人間の科学技術学びだしたら最強だろ」

 青木は頭を抱え込んだ。

「でも私のデータ集まってないんじゃない?」と夏帆は言った。

「そんなわけないだろ。おまえ今までいくつの決闘こなしてきたんだよ。それが全部データ化されているんだ」

「でも私、まだ型をあと200個は覚えてないもの」と夏帆は言った。

「残り日数で集中すれば頭にたたき込める。そうすれば、最新データの私になれる」

「ある意味、かしこいな」と靑木は言った。

 夏帆は竹内直人からもらった本をひたすら頭にたたき込んだ。しかし、その翌日。その本がびりびりになって状態で出てきた。夏帆は杖をふってその本を直すと、一部が消失していることに気がついた。

 結局、不完全な状態で夏帆は決闘当日を迎えるしかなかった。会場は、中庭だった。本来決闘でよく使用される場所だ。立会人である審判は立川大志。

「圧倒的不利じゃないか」と青木は言った。

 中庭の外側の廊下には、朱雀生とJ.M.C.の面々が一斉に介していた。そこに、山瀬が書記二人とともに現れた。

 山瀬はマランドールのマントを城ヶ崎に渡すと、杖を取り出し、中庭にいる夏帆の目の前へと現れた。

「二人とも構え」と立川が言った。

「はじめ!」

 山瀬は、先手を取り、いくつかの呪いを放った。夏帆はそれを全てよけつつ、覚えた型を駆使して呪いを放った。

 山瀬の杖裁きは、それはそれは美しかった。あまりにも洗練されており、芸術作品のように思えた。まるでバトンを回し、リボンをつないで、音を奏でているかのようだ。夏帆は薄々気がついていた。体育の授業で取り扱う競技は全て、杖の振り方や身のこなしに通じているのだと。だからこそ、6年間もその教育を受けている山瀬の最高峰の動きは素早い動きもゆっくりに見えるほど美しいのだ。

 また、山瀬が放つ呪いも美しかった。計算通りの弧を描き、まるでいつでも払いのけられそうなほどゆっくりまっすぐ夏帆へと向かってくる。まるでボールをキャッチするかのように、一瞬捉えることがたやすく思える。しかし、なぜかそれができないのだ。おそらく、見えている軌道と、実際の軌道がほんの少しだけずれているのだ。はねのけられたとしても威力が強く、長期戦になれば不利だ。何度も体を強く地面にたたきつけられながら夏帆はただ勝つ方法だけを考えた。

 夏帆はこの一年の出来事を思い浮かべ、全身に力を込めた。そこからあふれ出る闘志に観衆は目を見張った。

 しかし、次の瞬間夏帆の頭に浮かんだのは、壊された箒と、粉砕された型の本だった。その誰かの喜ぶ顔を思わず思い浮かべてしまい、激しい憎悪をかき立てられた。

「インフェルノ!」

 夏帆はそう叫ぶと、まっすぐ山瀬を狙った。山瀬はそれをはねのけたものの、圧に押されて中庭の端までとんでいき、頭を強く打ち付けた。一瞬山瀬が消えた気がした。そして次の瞬間、山瀬の手から杖がころげ落ちるのを夏帆は見逃さなかった。瞬間移動をして近づくと、杖を奪った。

―瞬間移動もう習得したんだ

 青木のそんな声が遠くで聞こえる。

「そこまで。勝者高橋!」

 立川の声を合図に、試合は終了した。一斉にあたりはしんと静まりかえった。夏帆は、頭の中ががんがんとなり、くるくると景色が回り出すのを感じた。同時に、心臓が飛び出すような、肌を突き出すような違和感があった。

 症状が治まり、ふと空を見上げると、空が金色に染まっているように見えた。同じ景色を山瀬も見ていた。2人は長い時間、それを見ているような気がした。

振り向くと、そこには小道がいた。

「ありがとう」

 小道は確かに夏帆にそう言った。いつもとは違う、重く、暗く、しかし力強い声だった。

 小道は山瀬のところまでいくと,手を差し伸べるとにこりと笑った。

「これでやっと仮を返せた。6年もかかってしまったけど」と小道は言った。

「遅いよ」と山瀬は笑った。「約束忘れないでくれてありがとな」


 夏帆は小道に寮長室へと呼ばれた。小道は紅茶を夏帆に勧めた。

「大丈夫。何も薬は入っていない」と小道は言った。

「私は山瀬と同じ塾だった。入学して立川と知り合い、私たち3人は仲が良かった。私はJ.M.C.に興味がなかったから入らなかった。でもね、J.M.C.の外側に優秀な人がいると困るみたいね。山瀬も組織からの圧力があって、私とライバル関係にならざるを得なかった。ある日山瀬と約束したの。いつか、どちらかがマランドールになったら、マランドールの役割を演じるんだと。それで一度仲が壊れるけど、最終的にマランドールは負け、その時我々は対等な立場を取り戻す。」

 妙だと夏帆は直感で思ったが、何が妙なのか見当もつかず、特に黙っていた。


 去年のマランドール戦決勝戦前夜。小道ありさは恋人に振られて憔悴しきっていた。そこへ、立川大志がやってきた。

「良かったら、僕と、付き合ってくれないかな」

「あんたもかよ」とありさはつぶやいた。

「え、いや、、、」

「あなたスパイでしょ」

「……」

「ほらね、山瀬のスパイ。本当はJ.M.C.なんでしょ」

「なんで気づいた、いつからそれを」

「一つだけ教えてよ。昔3人で楽しかった、あの時間さえも嘘だったの?」ありさはそう叫んだ。立川は何も答えなかった。

 ありさは決勝戦を辞退した。

 辞退を知った山瀬は、ありさをみるないなや突き飛ばした。

「お前なんで決勝戦こないんだよ!そんなんでマランドールになって、嬉しいわけないだろ」

 ありさは、大声をあげて笑った。

「そうかそれが答えか。でも来年は私の地位はお前より上だ。覚悟しろ」

 それから山瀬からの徹底的な嫌がらせが続いた。殴られるはもちろん、掃除といった雑用の押し付け、ありさの孤立化。山瀬が制御できなかったのは、朱雀生だけだった。山瀬、ひいてはJ.M.C.の動きに押され、小道は夢だったマスメディアへの就職さえも諦めざるを得なかった。

 


「ありがとう」

 ありさは、夏帆に笑顔を向けた。

「あなたに話しておかないといけないことがある。あなた、箒がバラバラにされたことあったでしょ?あの時にあった丸くえぐられた様な痕。見たのはあの一回だけではないわ。入学式当日、コップを直した時も、あなたが花森さんに勝った日、コップを直した時も、やはり同じような痕が残った。魔法には個人差が出る。同じ痕は同じ人にしか作れない」とありさ。

「実は私も薄々気づいていました。私が読んでいた杖道の型の本、あれもバラバラにされていて、魔法で直したら、同じような痕が。わざと話したんです。あの人がいる前で、この本があれば山瀬先輩に勝てる、そう豪語しました。彼女は……」

 小道はそれ以上言うな、と首を横に振った。

「かわいそうな人」と小道。「こういう方法でしかコミュニケーションがとれないのよ。だからわざと痕跡を残した。これ以上深入りしてはだめ」

「私の身のためですか?」

「ええそうよ。私はマランドールの座を失った程度で済んだ。あなたがそうとは限らない。気をつけなさい。あの人は、みんなが想像している以上に強力な魔法を操れる。魔力が使えるという事実を隠せるくらいには」

 夏帆はため息をついた。

「そういえば、山瀬があなたのお茶をしたいって言っていたわ」

「いいですよ」と夏帆は戸惑った顔で答えた。

 山瀬が呼び出した場所は、学校を出て徒歩15分くらいにある喫茶店『カフェコッツウォルズ』だった。

 ピンクに塗られた外装は新しいものだった。隣にはポーションプリンスという魔法薬の店がある。

 中に入ると、床も壁も全て、木でできていた。テーブルも椅子も、美しい木材の調度品だった。50人ほどが収容できるスペースの一番奥に山瀬が既に座っていた。

「いらっしゃいませ」

 ポニーテールをしてピンクのエプロンをした女性が笑顔で出迎えた。

 奥へと向かって歩くと、ふわっとコーヒーの香り漂ってきた。

「素敵なお店ですね」と夏帆は山瀬に言った。

「初めて?」

「はい」

「ここはJ.M.C.御用達なんだ」と山瀬は言った。

 夏帆はブラジルコーヒーを頼んだ。

「ケーキ食べる?」と山瀬が聞いた。

「大丈夫です」

「おいしいよ、これとか」

 山瀬が指したのは、メレンゲ、と書かれたものだった。

「ならそれを」と夏帆は言った。

 しばらくすると、女性店員が二人分のコーヒーとケーキを運んできた。

 『メレンゲ』と書かれたそのケーキは、メレンゲの上に生クリーム、そしてさらにその上にいちごが乗せられていた。

 フォークで崩すとサクッという軽い感触があった。それを口へと運ぶと思わず夏帆の顔がほころんだ。メレンゲはサクサクしながらも、一瞬で溶けた。甘いのに軽く、食後感がいい。

「その顔が見たかったんだよ」と山瀬は言った。「あまりにもおいしかったから私も調べてみたんだ。ニュージーランドではパブロバとも呼ばれている」

「初めて食べました」と夏帆は言った。

「じゃあそろそろ」

 そういうと山瀬は辺り一帯に魔法をかけた。

「これで会話の内容は誰にも聞こえない」と山瀬は言った。

「御用達というのは、秘密会議のためでしたか」と夏帆は言った。

「この間はどうもありがとう」と山瀬。

 夏帆はそれについては何も答えなかった。

「私の勝手な都合で、巻き込んで申し訳なかった。そもそも学校を守る立場のマランドールが生徒と争うなんて言語道断だし、私も、組織の意向を無視し続けることができなかった。君と戦いたくはなかったが、威信のために戦えという声が強くなってしまった。私が君と戦いたくなかったのは、君が勝つと思っていたからだ。私の時も、美咲の時も」

「花森さんの一件は、あなたの指示でしたか」と夏帆は言った。

「君に伝えておきたいことがあるんだ」と山瀬は言った。「君にしか頼めないことだ」

「私にしか?」

「君なら任務を遂行できそうだから」

「でも私は……」

「J.M.C.について調べてほしい」と山瀬。夏帆はしばらくそれについて考えた。

「というと?」

「そうとしかいえない。これはJ.M.C.の者には頼めない。そして繰り返すが危険を伴う。遂行できる者にしか頼めない。JM.C.について調べるんだ」

「あなたが一番よくご存じなのでは」

「そうだ」と山瀬。「その上で頼んでいる」

「秘密を暴けと?」

 山瀬はうなずいた。「君ならできる」

「でも何から手をつければいのか。つまり、その、内部の人間になることなく、ということですよね」

「君はJ.M.C.には入れない」と山瀬は言った。「入れたらよかったのかもしれない。でも入れない。君を入れてはいけない、と判断した理由はおそらく、君は秘密に気がつくことのできる人間だからだ」

「でもなぜ今私にそれを頼もうと」

「空が金色に光ったからだよ」と山瀬は笑った。「君はおそらく大物になるだろう」

「でも、何からはじめればいいかさっぱりわかりません」

「私は警察官になる」

「存じ上げています」

「もし私が君の立場なら、まずは尾行から始める」

 山瀬はじっと夏帆の目を見つめた。

 会計は山瀬がしてくれた。値段を見ても、高いのか安いのか夏帆にはわからなかった。

「すみません」

「いやいいよ」と山瀬は言った。

 カフェを出ると山瀬は学校へと戻っていった。夏帆は山瀬と長い時間を過ごす自信もなく、寄っていくところがあるので、とその場にとどまった。

 夏帆は山瀬を見送ると、隣にある『ポーションプリンス』へと入った。中に入ると、薬の保護のために室温を落としているのか肌寒かった。天井にまで伸びた薬棚が何列にもつらなっていた。そこにあったのは、完成された薬のほか、調合機材、材料、そして、薬鞄だった。薬鞄は革製の、トランクのようなものだった。鞄には機材と材料が詰まっている。一番大きいもので、おおよそ100万円と高価な代物だった。

「お探しの者でも?」と太った男性の店主が聞いた。

「あ、そうですね、えっと、エンジェルオイルってなんですか?」

「ああ、エンジェルオイルですか。これは麻薬みたいなものです」と店主が言った。

「全てがうまくいくそういう薬です。より詳しく話すと、その時の最善の選択をすることができるようになります」

「頭がさえるということですね?」

「そうですそうです」

「ちょっと考えます」

 そういうと夏帆は他の商品を見るふりをして、店を出た。買えるわけがない、とつぶやくと、ふふっと夏帆は笑った。

 学校に帰る頃にはもう夜遅くなっていた。中庭を通りすぎたところに、黒髪の女性が立っていた。夏海だ。

「バレてしまったみたいね。まあバレるように仕向けていたのも私ですけど」

 次の瞬間、夏帆の顔を何かがかすめた。どこからともなく葉っぱが飛んできたのだ。幸い葉っぱは壁にぐさりと刺さった。夏帆は経験したことのない恐怖に震えていた。

「私、陰陽道は特に得意なのよ。だって、祖先は陰陽師としてその名をとどろかせた安倍清明、土御門の血を引いた、竹内家の娘ですもの」前にいたはずの竹内夏海の声が背後からした。

 葉っぱに呪いをかけ、それをカエルに当てて殺した。安倍清明が操ったとされる術だ。これを行えるものはそれから現れたことがないという難術を夏海はそつなくこなした。

「悪霊退散」

 そういうと葉っぱがほろりと粒になって消えた。

 これからはこの女との戦いなのだと思った。何が起きるかはわからない。でもその全てが見せかけで、真実はこの女との戦いなのだ。面倒なことに巻き込まれた、私は静かに余生のように日々を過ごしたいだけなのに、と夏帆は思った。


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