2話『――ふざけるな』

 ――まるで、漫画のような光景だった。


「はぁッ……!」


「Gyarrrrr――ッ!」


 邪鬼の拳と彼女の野太刀が真っ向から衝突する。衝撃が辺りを揺らして、その強烈さに思わず目を細めた。


(なんだよ、これ)


「せぁッ!」


「Grrrrrッ!」


 目で捉えるのがやっとの速さで女性が動き、あらゆる方向から刀を振るう。だが邪鬼も女性ほどではないものの、素早い動きで迫る刃を両腕で防いだ。


「なんだよ、これ……!?」


 たった数秒の間に拳と刀が何度も打ち合い、そのたびに空気が震える。


(これはホントに現実なんだよな? 女性の動きなんて、もう人間が出来るレベル超えてるぞ……!?)


 現実とは思えない。


「ッ……【蒼炎之壱・狐火きつねび】!」


 僅かに体制を崩した邪鬼に向けて女性が左手を突き出せば、掌から蒼い火球が放たれ邪鬼の胴体に直撃する。


「Garrrッ!?」


 明らかな大ダメージにつんざく悲鳴をあげた邪鬼だったが――


(おいおい、嘘だろ?)


 ――開いていた大穴の傷が、まるで逆再生のように閉じていく。


(うわ、グチャグチャ言ってる。気持ち悪っ……)


 肉が蠢くグロテスクな光景に、俺は思わず吐き気を催した。


「やはり普通の技じゃ駄目ね。もっと高い火力の技じゃないと……」


 だが蒼炎の中心に立つ女性は動じていない。僅かに眉をひそめると、再び野太刀を構え直した。


「Gar――!」


 怒りの形相を浮かべた邪鬼が大きく吠える。そして体に大穴が空いていたとは思えないほどの俊敏な動きで、女性へ突進した。


「しつこい……ッ!」


 迫る巨躯に対して、女性は大きく右腕を振り払う。


「【蒼炎之弐・劫火ごうか】――ッ!」


 蒼炎が地面から吹き上がり、邪鬼の行く手を阻んだ。


「Gyrッ!?」


 思わず突進を止めてたじろぐ邪鬼に、


「いい加減、蒼炎に打ち祓われなさい!」


 女性は自ら前へ飛び込み追いかけて、がら空きの胴体に一薙ぎ。


「Garrrッ!」


 ――だが、ものの1秒足らずで回復してしまう。


「くッ……!」


 その後、美女と邪鬼の攻防が何回か続いたが、美女の顔色は悪くなっていく一方だった。


「…………」


 さすがの俺でも分かる。


(あの女の人、苦戦してる)


 かと言って俺に何か出来るわけでもない。


(でも、仕方ないだろ。俺が横槍を入れられるような状況じゃないんだから)


 人外じみた動きで戦う美女と、人外そのものな鬼との戦いに一般人の俺が立ち入るなんて、無理がすぎる。


(――なら、見捨てるのか?)


 ドクン。


 不意に、全身の熱が一気に冷めていく。


(彼女は戦っている。誰のために?)


 決まっている。俺のためだ。


(俺を助けるためだ)


「ぐぅ……ッ!?」


 目の前では、女性が邪鬼の一撃に体制を崩されていた。このままだと、いずれ彼女は押し負ける。


(俺はまた繰り返すのか。また人に助けてもらうのか。また人に庇われるのか)


 ――また俺は命を背負うのか?


「そんなの、許せるかよ」


 覚悟を決める。未だ震える体にげきを飛ばし、俺はそっと手短な小石を拾って立ち上がった。


 そして狙いを定めて――


「こっちを、向けッ!」


 ――邪鬼の頭に投げつける。


「Gyrッ!?」


「……なっ!?」


 突然の横槍に、邪鬼と女性が一気にこちらを見た。


(一瞬でも敵の注意を引ければ)


 そう考えての行動は――


「やばいッ……!?」


 ――最悪の結果を招いた。


「Garrrrッ!」


 狂った怒声を上げながら、邪鬼が目にも留まらぬ速さでこちらへ迫ったのだ。


(はや、すぎる……!)


 人知を超えた速さに俺は一歩も動けず、異形の右腕がブンと音を立てて振り上げられる。


(ぁ、死んだ)


 そして爪を立てた右手が勢いよく振り下ろされ――


ぁッ!?」


「なッ――!?」


 ――横から飛び出した彼女の胸を切り裂いた。


 左胸から右腹にかけて血飛沫が飛び出て、彼女の手から霖雨りんうがズルリと地面に突き刺さる。


(な、にが……)


 分かっている。俺は庇われたのだ、まだ会って間もない女性に。


「Garrrrrッ!」


「ぐッ……つぅ……ッ!」


 目の前には致命傷を受けて倒れ込む女性と、返り血を浴びて真っ赤に染まった邪鬼。


(なにを……。俺はいったい何をしてるんだ……!?)


 どれほど後悔しても、もう全てが遅かった。


「Grr」


 邪鬼は愉悦を込めたように小さくいななくと、右手を再び振り上げる。


「――――!」


 全てがスローモーションになっていく中で、俺は後悔の念に押しつぶされていた。


(俺のせいで、俺を助けるために、俺を庇って、彼女は死ぬ?)


 あの右手が振り下ろされれば、致命傷を受けて動けない彼女は死ぬだろう。


、俺のせいで?」


 脳にノイズが奔る。


『パパ! またあの遊園地いこうね!!』


『はは、そうだなぁ。ボーナスがよかったら考えるか』


 やめろ。


『約束だよっ!』


『うふふ。その為にも頑張らないとね、あなた』


 思い出したくもない光景に、俺は否応なく理解する。つまり、今からこれと同じ光景が起きるのだと。


「――ふざけるな」


 思わずそんな言葉を吐いていた。


(俺のせいで誰かが死ぬなんて――俺を庇って死ぬなんて、これ以上認めないッ!)


 だがどれほど叫んでも、現実が変わることはない。邪鬼の右手は彼女の体を引き裂き――


『――力ヲ望ムカ?』


(……は?)


 突如として、頭の中でナニかが俺へ囁きかけた。


『――力ヲ望ムカ?』


 悩むことなどない。答えは決まっていた。


(力が欲しい。もう2度と、あの光景を繰り返させないためにッ!)


『――ナラバ己ノ罪ヲ忘レルナ。己ノ罪カラ目ヲ背ケルナ』


 忠告を鼻で笑い飛ばす。


(言われなくても分かってるさ)


 だって俺は、もう


(俺の命は、誰かのために使うって決めてんだッ!)


 瞬間、カッと鳩尾あたりが熱くなる。


「ッ!?」


 初めての感覚に俺は思わず戸惑って――


(――いや、知ってる)


 不思議と、この感覚を知っていると本能が叫んでいた。


 これは力であり、生命であり、そして――俺の光。


 故に使い方も


「【己雷ミライ】!」


 頭に思い浮かぶまま叫べば、バチリと体に雷が奔る。


(なんッ……!?)


 瞬間、体中の力が漲って、今なら何でもできそうな気さえした。


「――ッ!」


「ぇ……?」


 だから駆ける。世界記録さえ目指せそうな速さで、倒れ込む女性の背中を抜けて、邪鬼の前へと躍り出るために。


(借ります!)


 途中で突き刺さっていた霖雨に手を伸ばし、蒼炎で象られた野太刀を抜き去った。


(なんだ、これ……!?)


 ――瞬間、蒼炎が侵食する。


 柄を掴む右腕がカッと熱くなって、だが欠片も痛みを感じない。


(いや、それどころか……力が、みなぎる?)


 バチリ。体中を纏う雷が一段と煌めいて、俺は加速する。


(これなら……!)


 文字通り、瞬きの間に邪鬼まで刀の届く間合いへと近づき――


「死なせるかァ――ッ!」


 ――蒼炎の軌跡が奔った。


「Gyarッ!?」


 振り下ろした刃は邪鬼の体を深く切り裂き、巨大な邪鬼の体に一文字いちもんじの風穴を作る。


(まだ、終わらせない……!)


 治り始めていた傷口に向けて霖雨の刀身を一気に突っこんだ。


「失せろ、この鬼野郎……ッ!」


 瞬間、霖雨から目が焼けそうなほどの眩い蒼炎が煌めいて、邪鬼を内側から焼いていく。


「Gyarrrr――!」


「ぅわッ!?」


 さすがの邪鬼もこれにはダメージがあるようで、身の毛もよだつ叫び声を上げた。痛みに全身を勢いよく振り回して、霖雨を掴んでいた俺はあまりの力に吹き飛ばされる。


「あぶないッ!」


 地面へ激突する寸前で、いつの間にか移動していた美女が俺を抱きとめた。


「ぐッ……!」


「ってぇ……!」


 地面を削りながら勢いを殺しきった俺たちは、痛みで顔を歪める。


「Grrrr……!」


 そんな俺たちを、邪鬼は怒りに満ちた瞳で睨みつけた。傷が治ろうとしているが、その度に蒼炎が燃え盛り邪魔をしている。


(まだ、来るのか……!?)


 そう思って慌てて立ち上がる俺だったが、


「Garrr……ッ」


 邪鬼は大きく後方へ跳躍すると、一気に俺たちから距離を取った。


「――ッ!」


 そして最後に俺たちをもう一睨みすると、背中を向けて闇へと溶けていく。


「やった、のか?」


 いや、逃げられた? ただ確かなのは、絶望的状況は去ったということで――カクンッと体中から緊張が抜ける。


(なんか……すごい、疲れた……)


 気づけば体中に奔っていた雷は消えて無くなっており、全身に異様な倦怠感が襲いかかっていた。


「はぁああ……」


 大きな息を吐きながら尻餅をつく。


(一体……何が、どうなって……。俺はいったい、何を……)


 急激な展開に思考が追いつかない。ただ生き残ったことは確かで、俺は安堵の表情を浮かべる。


 ――だから、忘れていたのだ。


ぅッ!」


「――ッ!」


 俺のために体を張って守ってくれた、彼女の苦痛を。

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