初恋のS

月井 忠

第1話

「はい、おつかれ~」

 大きな声でセイラが音頭をとり、三人でジョッキを合わせる。


「今回も飲み会の調整ありがとうございます」

 私はサキに向かってジョッキを掲げてからビールを口に運ぶ。


「いえいえ、食べたい物ある?」

 サキは一口飲んでからジョッキを置くと、メニューを手に取る。


「さっさと飲め、次いくぞ!」

 セイラはジョッキを傾け、ぐびっと喉を鳴らすとビールを飲み干した。


 私たちはいつもこんな感じだった。


 リーダーシップのあるサキが場をまとめ、やんちゃなセイラが騒いで、おとなしい私がついていく。


 三人とも性格は幼い頃から変わらない。

 変わらないから酒が進むと、いつもあの話になる。


「にしても、あのバレンタインの謎は、謎だよなあ」

 大して飲めないのにハイペースで飲むから、セイラはすぐに顔を赤くする。


「そうだねえ」

 私はセイラからそっとジョッキを離し、店員を呼んでお冷を頼んだ。


「謎だから、毎回こうして話題にできるんじゃない。あ、私、生もう一杯」

 セイラと違ってサキは淀みない口調で店員に頼む。


 サキはザルだ。


 謎というのは私たちが小学五年生のときに起きた、ちょっとした事件だった。

 事件は私たちにとって消えない存在となった。


 朝、教室に入ると男子が紙を持って騒いでいた。

 その紙は教卓の上に置かれていたもので「My dear S From S」と書かれており、一緒にチョコレートが置かれていた。


 その日は二月十四日。

 バレンタインデーだった。


 イニシャルSの女子がイニシャルSの男子に贈ったもの。


 Sとは誰か、一人一人名前を上げて、容疑者を絞り込むように男子たちは警察ごっこをしていた。

 クラスでSのつく女子はサキ、セイラ、そして私、スズキ カナだった。


 名字か名前かわからないということで、ひとまず私たち三人の誰かが置いたものだということになった。

 相手となる男子のSは何人かいたはずだけど、覚えていない。


 騒ぎを鎮めたのは、クラス委員でまとめ役のサキだった。

 当時、私とセイラは仲が良かったけど、サキとはたまに話す程度。


 サキをリーダーにして、私たち三人は団結し、男子と対抗した。

 先生が教室にやってくるまでのわずかな間だったけど。


 それに、セイラは男子と一緒になって犯人探しを始めようとしていたから一致団結というわけじゃない。


 バレンタイン事件はしばらく尾を引いた。


 休み時間のたびに蒸し返され、誰が犯人なのか、誰に贈ったものなのかと話題になり、サキがそういうことをするのは良くないと男子を叱りつけた。

 ムキになるならお前だろ、とサキは言われていたけど、イエスともノーとも言わなかった。


 セイラはさっさと否定して、警察ごっこに参加していたので容疑者から外れていた。

 サキが容疑者から外れれば、必然的に残った私が犯人ということになる。


 当然、私にそんな、だいそれたことはできない。


 サキは私に容疑が向かないようにしてくれたのかもしれない。


 今考えると、クラスの女子に限定するのもどうかと思う。

 他のクラスの女子が、このクラスの男子に贈ったものかもしれない。


 実際、残されたチョコレートは、俺のものかもしれないだろうと先生が没収した。

 先生の名前はサトウだった。


「やっぱり、鍵を握ってるのはあの引っ越したヤツだと思うんだよねえ」

 セイラがとろんとした目をこちらに向けてくる。


「ショウゴ君ね。いつになったら名前覚えるの?」

「もう会わないヤツの名前は忘れることにしてる」

「なに、その理屈」


「でも、逆に名前を覚えてるってのも怪しいよねえ」

 今度はサキが責めてくる。


「いつも言ってるでしょ。濡れ衣だって」


 五年生が終わる直前に一人のS、ショウゴという男子が引っ越した。

 新しい学期から新しい地で過ごすということだった。


 忘れかけられていたバレンタイン事件が再燃し、お別れ会ではその話題で持ちきりだった。

 ショウゴ君の苦笑いを今でも覚えている。


 六年生となり、クラス替えをしたら、さすがに事件は話題から消えた。

 私たち三人もバラバラになったけど、事件をきっかけに仲が深まり、こうして年に一度飲む仲間となった。


 さしずめ3Sということになるけど、残念ながら私は結婚してスズキ姓ではなくなり、今はSではない。


「そんで、いつになったら、お前は男を連れてくるんだよお」

 セイラがいよいよ酔の極みに差し掛かって、サキに詰め寄る。


 バレンタイン事件ともうひとつ、いつも話題にしていることがある。


 サキの結婚だ。


 三人の中で一番早く結婚したのがセイラで、今で言う所の授かり婚というものであり、大学に行かず働き始めてすぐのことだった。

 今は子供二人を抱えてシングルマザーをしている。


 色々大変なはずなのに、愚痴らしい愚痴を聞いたことがないところは正直、尊敬している。


 二番目が私で、ごく普通の同僚との結婚だった。

 特に語ることもない平凡な家庭で、こうして私が飲んでいる間、幼稚園の息子の世話は夫がしている。


 家事もきちんと分担して、二人共働く、ごく一般的な家庭。


 三人目のサキはいまだ独身を貫いている。

 浮いた話の一つもないというのは奇妙だった。


 三人で歩いていると度々、男がサキの目の前に立ちはだかって話しかける場面があった。

 私とセイラには目も向けずナンパをする。


 サキが歯牙にもかけず、という態度なので男も大抵すぐに引き下がる。

 女としてはなんとも悔しい出来事ではあるけど、それが気にならないぐらいの美貌をサキは持っている。


 バレンタイン事件と同じぐらいにサキの独身は奇妙なことだった。


「そのことなんだけど」

 サキは歯切れの悪い様子でつぶやき、うつむく。


「お! いよいよか! 白状しろ!」

「ちょっと、セイラ落ち着いて」


 はやしたてられてはサキも話しにくい。


「紹介したい人がいるんだけど……その」

「おっさんか? それともめちゃくちゃ年下か?」

「だから、やめなさい」


 サキは顔を上げると、一度口をきつく閉じ、目を大きく見開いた。

 私もセイラも姿勢を正す。


「女の人なの」

「へぇ?」


 セイラが間の抜けたような声を出す。


 色々と謎が解けた気がした。

 言いにくそうにしていたのも、今まで浮いた話すらなかったのも。


「早く言ってくれればよかったのに。とりあえず、相手がおじいさんとかじゃなくて良かった」

 私はぽろっと言葉をこぼして、残っていたカクテルを飲み干す。


「あんだよ、二十歳のガキを連れてくる方が面白いのに~」

 セイラは違った意味でがっかりしているようだ。


「ありがと」

 サキは頭を下げた。


「ねえ、写真見せてよ」

 しんみりしてしまいそうなので私は言った。


「あ、見たい見たい」


 それからは馴れ初めを聞いたり、相手の人を勝手に品定めしたりと、いつもの賑やかな飲み会となった。


 セイラが騒ぎ、サキが恥ずかしそうに話す。

 そんな二人を見ていると、不意に心のすみっこでパズルが組み上がっていく音が聞こえた。


「便所~」

 セイラが立ち上がる。


「はしたない」

 サキがセイラのお尻を叩く。


「いってらっしゃ~い」


 サキと二人になった私は思い切って聞いてみることにした。


「あの、間違ってたらゴメンなんだけど」

「うん」


「バレンタインの事件ってさ……」

「やっぱり、カナってすごいね」


 私が言う前にサキは認めた。


「じゃあ、やっぱり?」

「うん。アレは私が置いたの」


 冷静に考えると筋が通っていた。


 サキは真面目で、いつも一番初めに教室に来ていたはずだ。

 少なくとも私よりは早く来ていて、いつも「おはよう」と言って迎えてくれた。


 手紙とチョコレートは教卓の上にあった。

 一番初めに教室に来た者が置いたと考えるのは自然なことだった。


 男子が見つけた後の行動もサキの意図を反映している。


 私とセイラは仲が良かったけど、サキとはそうでもなかった。

 サキは私たち二人を伴って、男子に対抗した。


 つまり、私たちと仲良くなった。

 逆に言えば仲良くなりたかった。


「で、私とセイラ、どっちが好きだったの?」

 思わず聞いてしまう。


 サキは口を手で隠してふふっと笑う。


「初恋は秘めるものでしょ?」


 ドキッとした。


 サキの妖艶な笑みに魅入られそうになったのもそうだけど、その内容に心臓がひときわ大きく揺れた。


 私も初恋を秘めていた。


 五年生の終わり、ショウゴ君は引っ越した。

 出発の日、私はショウゴ君を近くの公園に呼び出して告白をした。


 初恋だった。


 ショウゴ君はセイラが好きだと言って、頭を下げた。


 セイラはやんちゃで男子とも仲が良かった。

 身近にいたセイラに恋心を抱くのは納得できた。


 だからだろうか。


 サキが私のことを好きでいてくれたら、実らなかった初恋も報われるような気がした。

 サキにどちらが好きだったのか聞いたのは、そんな気持ちだったのかもしれない。


 さすがに身勝手すぎる。


 サキの初恋は当時、口に出すことすらためらわれるものなのに。


 その割に、教卓に告白とも取れるラブレターを置くというのは、ずいぶん大胆なことをしている。

 初恋は秘めるものと言ってなかったか。


 あるいは、公にできない気持ちが膨れ上がった結果の行動だったのだろうか。


 考え込んでいると、小首をかしげるサキの顔があった。


「やっと事件は解決したね。セイラにも教えてあげないと」

「それはダメ」


「なんで?」

「うるさそうだし。それにカナみたいに自分で解けない人には教えたくない」


「そういうもの?」

「そういもの」


「どうせ、すぐ気づくよ?」

「カナはわかってないなあ。皆、カナみたいに鋭くないんだよ?」


「あはは、それはセイラが可哀想」

「かもね」


「でも、私はすぐ気づくと思う」

「じゃあ、賭ける?」


「うん、次の飲み会のときまでに、真相を見抜くはずだよ」

「それじゃあ、セイラが謎を解けなかったら、次の飲み会、私の分払ってね。解けたら、私がカナの分払ってあげる」


「乗った!」


「なんの話だよお」

 セイラが若干痩せて帰ってきた。


「頑張れ、セイラ!」

「もう、何も出ないよお」


 応援は間違って伝わったようだけど、あえてツッコまずにセイラを招き入れ、賑やかな夜は更けていった。

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