第37話 イログールイの色狂い♪

 イログールイの意識は混沌の中にあった。

 その中で、イログールイは王国に君臨する王であり、誰からも仰ぎ見られる存在であり、神に祝福された存在だった。大陸に響き渡る名声。絶世の美を誇る妃。世界中の美酒、美食、美女と財宝が集められた宮殿では、今日も王を讃える盛大な宴が開かれる。


 遠くきらめく燭台。

 足元には真紅の絨毯。

 会場に満ちるざわめき。


 その心地よい喧騒を破る何かがある。


 遠く聞こえる雑音。

 ドンチャンドンチャンと耳障りな囃子はやし

 だみ声の、調子っ外れの、下品な戯れ歌。


『イローグルイのっ、色狂い♪

 そのくせ玉無し、甲斐性なし♪

 平民女にたぶらかされてっ、貴族女に愛想つかれた♪

 ご立派なのはお顔だけ♪

 中身はすかすか、叩けばコーンと音がする♪』


 一瞬、理解が出来ない。


『イローグルイのっ、色狂い♪

 そのくせ玉無し、甲斐性なし♪

 平民女にたぶらかされてっ、貴族女に愛想つかれた♪

 ご立派なのはお顔だけ♪

 中身はすかすか、叩けばコーンと音がする♪』


 戯れ歌が、繰り返される。


『イローグルイのっ、色狂い♪

 そのくせ玉無し、甲斐性なし♪

 平民女にたぶらかされてっ、貴族女に愛想つかれた♪

 ご立派なのはお顔だけ♪

 中身はすかすか、叩けばコーンと音がする♪』


 理解する。

 血液が沸騰する。


【ぼくはぁぁぁああああ!! うぉうだぞぉぉぉおおおお!! 不敬はぁぁぁあああ許さぁぁぁぬぅぅぅううう!! あの不埒もののぉぉぉおおお!! 首をぉぉぉおおお!! 持って参れぇぇぇえええ!!】


 命を下すが、誰も動かない。

 歓談しながら美酒と美食に酔うだけだ。


 ああ、使えない。

 ぼく以外の人間はみんな愚かだ。

 愚かすぎて、誰もぼくの話を理解できない。


 王たるものの孤独。

 玉座に座る虚無が身にしみる。


「おーい、アホボン! 言葉もわからねえくらいバカになっちまったのかあ!?」

「ギャハハ! もともとわかんねえのに、周りがわかったふりしてやってたんだよ!」

「おーい、玉無し王子! てめぇでかかってくる度胸はねえのか?」

「キンタマ見せろや玉無し王子! あっ、元王子だったかあ?」

「アホボン王子から王子を取ったらアホボンじゃねえか」

「ボンでもねえから、ただのアホだぜ」

「おまけにビビりの腰抜けときた」

「おいおい、一個ぐらいは褒めてやれよ」

「そりゃあ決まってんだろ、おつむを叩くといい音がするんだ」

『ギャハハハハハ!!』


【ぎ、ぎぃぃいいいざまらはぁぁぁあああ!! ぼぐのでぇぇぇえええ! 挽ぎ肉に゛!! えでやる゛ぅぅぅうう゛う゛!!】


 イログールイは巨体を震わせ、宴の客を踏み潰しながら進みはじめた。


 * * *


 いやー、まったく、効果覿面てきめんだ。

 定職に就いて多少は品がよくなった我らがジャークダー戦闘員であるが、元を正せば裏町のチンピラーズである。下品な悪口を言わせたら右に出るものはいない。


 もし、あのイログールイに自我が残っているのなら、この安い挑発に乗るだろうという思惑だったのである。荷物になるのを承知で太鼓やらハンドベルやらを持ってきた甲斐があった。


 この変異種の群れは普通の魔物に比べれば統制が取れているが、人間の軍隊とは比較にならない。大雑把な方向に進軍し、手近な人間を攻撃するといった行動しか見られなかったのだ。


 もし、攻め手が北門に集中せず、王都をぐるりと取り囲まれていたらいまごろ陥落必至だったろう。それをしないということは、魔物たちはごく単純な命令しか理解できないと推測したのだ。


 つまり、魔物を部隊分けできない以上、挑発に引っかかれば一応は理性らしきものがあるイログールイが単騎で向かってくるというわけだ。


 イログールイは醜い巨体を揺らしながらこちらに向かってくる。

 腫瘍だらけの腕を下ろすたび、何体もの魔物が地面の染みになる。

 ゆっくりに見えるのは、巨体ゆえの錯覚だ。

 実際には、馬が全力で駆けるよりも速いのだろう。


【イぃぃぃいいいザぁぁぁあああベぇぇぇえええらぁぁぁあああ!! ぎぃぃぃざぁぁぁま゛ぁぁぁぐゎぁぁぁああああ!!】


 距離が詰まったことで、私の姿を認めたようだ。

 いまはキルレイン様モードなのに、私だとわかるのはさすがに元婚約者ってところか。ま、女の子なら誰でもジロジロ舐めるように見るやつだっしなあ。「そんな姿になっても私を見分けられるの!?」みたいな感傷は当然ながら一切ない。


 イログールイがいよいよ変異種の群れを抜けた。

 手足は変異種の体液でドロドロになっていて、下水に生ゴミを加えて三日三晩煮込んだような異臭が漂ってくる。肘から先が枝分かれしている左腕がとくに悲惨だ。細い腕の隙間に、引きちぎられた魔物の肉片が挟み込まれている。生きたまま巻き込まれたものもおり、無数の腕に絡みつかれながらもがいていた。


 異形の王冠に乗るふたつの人影も、いまや肉眼ではっきり見える。


 ひとりはネトリー。

 隣に立つ男にしなだれかかっている。おいおい、イログールイよ、お前の頭の上で情婦が寝取られそうになっているぞ。


 もうひとりは長身の男。

 なんというか……一言では言い表せない不気味な雰囲気を身にまとっている。パッと見た印象は長身で痩せ型の優男なのだが……見ていると目の焦点が合わなくなってくるというか、瞬きのたびに別人に見えるというか、万華鏡を覗き込んでいるような感覚に襲われる。


 それにしても、激しく揺れているのによろけもしない。

 特撮ロボのコックピット的な制振装置でも備えているんだろうか。そういえば、特撮を科学視点で解説する本があったなあ。アレによると、巨大ロボットに乗った場合、コックピットの人間はすさまじい高Gに襲われてあっという間にお陀仏なんだそうだ。なお私は、「ま、特撮はそういう無茶も含めて楽しもうぜ!」というスタンスである。


「おい、そろそろ仕掛けの位置だぞ? 本当にあんなもので大丈夫なのか?」


 元イログールイを観察しつつ特撮に思いを馳せていたら、レヴナント――いや、蝙蝠怪人バット・バッデスが確認してきた。


 言う通り、そろそろ仕掛けの場所だ。

 偽装にかけられる時間は不十分だった。じっくり観察すれば地面を掘り返した跡がわかるだろうが、この世界では発明されていなかったものを使うのだ。仮に地面に何かが埋められていると気付いたとしても、それを警戒する可能性は低い。あの巨体では落とし穴なんて通じないだろうし。


「もちろん大丈夫よ。それより手筈どおりお願いね。あと仕掛けに着火したらすぐに伏せて」

「ああ、わかっている。それより、お前も無理をするなよ」

「ふふふ、私を誰だと思っている。悪の女幹部、斬殺怪人キルレインだぞ!」

「……あー、心配するだけ損だったな」


 バットは呆れたふうに肩をすくめた。

 私はそれに親指を立てて応え、それから面頬を外して素顔を晒す。


「あら、誰かと思えばわたくしの婚約者で、王太子の、イログールイ殿下じゃございませんか。ご機嫌麗しゅう。しばらく見ない間に男前を上げられたようで……わたくし、ますます婚約破棄をしてくださったことに感謝しておりますわ」


 私は一歩前に出て、草摺くさずりをスカートに見立ててカーテシーをする。


【ぬゎぁぁぁあああにがもとだぁぁぁあああ!! いだいなるぅぅぅううう、おぉうぅのまえでぇぇえええ、がたかぁぁぁあああい! やづざぎ八つ裂きにしてぇぇぇえええ、っでやるう゛ぅぅぅううう゛!!】


 イログールイの巨大なまなこが、私一人に向けられる。

 私はさりげなく歩きながら、イログールイを予定の位置に誘導していく。


「うふふ、追いかけっこですの? でも、殿下は運動が苦手ではいらっしゃいませんでした? 剣術も馬比べも、お相手の手加減なしに勝てたことが一度でもあったかしら?」

おぉうぅむでぎ無敵ぃぃぃいい!! おぉうぅよりまざる優るものなどいなぁぁぁあああいいいいいいいい!!】


 イログールイは四肢を不器用に動かしながら追ってくる。

 よしよし、鬼さんこちらってなもんだ。

 目印として並べた石の上に、その巨体が重なる。


「バット、いま!」

「言われなくとも! 総員、伏せっ!!」


 バット・バッデスが無音の絶叫を放つ。

 収束された怪音波が、地面の下の樽を振るわせ、黒色火薬・・・・の着火点250℃に瞬く間に到達する。


 大地が弾けた。

 それは噴火さながらだった。

 轟音とともに大量の土煙が吹き上がった。

 それは醜い赤子の腹を直撃し、異臭のする粘液と肉片を一面に撒き散らかした。


【ンギァァァァァアアアアアアア!!!?】


 元イログールイは、断末魔を上げて崩れ落ちた。

 爆発の衝撃に続いて、ずうんと大地が揺れた。

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