第9話 右手を垂直に上げて、『イーッ!』と叫びなさい!

「右手をまっすぐ垂直に上げて、『イーッ!』と叫びなさい!」

『いーっ!』

「違う! もっとお腹から声を出して! 『イーッ!』」

『イーッ!』

「そう、その調子よ。次は人間とは違うものに改造されて、もう元には戻れない悲しみを込めて『イーッッ!』」

『い、イーッッ!?』

「あ、あのう、お嬢様、これは何をされておいでなんですか……?」


 私が戦闘員たちの訓練に勤しんでいると、変装したパルレが差し入れを持ってやってきた。

 パルレは料理が上手だ。彼女の焼いたクッキーやパイは私の大好物である。


「総員、休憩! おやつがあるからな、マスクを脱いでもかまわないぞ!」

「ひー、助かるぜ。これ息が詰まるんだよな」

「頭が蒸れて……髪が……」

「ぎゃははは! いまさら気にするほど生えてないだろうが!」


 全身黒タイツの戦闘員たちがマスクを脱ぐと、中から姿を表したのは端からチンピラ、チンピラ、チンピラ……と見事に全員チンピラ顔だ。ニシュカに頼んで斡旋してもらったほどよくチンピラな10名である。凶悪すぎるやつはさすがに御しきれないし、おクスリどっぷりなやつもノーサンキューだしね。そこそこなチンピラ具合で選定してもらった。


 戦闘員はエキストラなどではない。立派なスーツアクターだ。きちんと体が動き、的確なアクションができなければならない。健康で、訓練にもちゃんと取り組むやつが最低限の採用基準である。


「ええっと、それで、あの『イーッ!』っていうのは何なんです?」

「ふふ、よく聞いてくれたわ。あれはね、ジャークダーに改造された元犯罪者たちが、人間の声を失った悲しみと、それでもジャークダーには逆らえない無力感と、そんな自分たちを蹂躙するジャスティスイレブンへの怒りが入り混ざった心の声なのよ。まあこれは、30周年記念のジャングルプライム限定配信版だけの設定だから、正史じゃないっていう人も多かったけどね」

「は、はあ……」


 せっかく私が説明したのに、パルレはぽかんとするばかりだ。


「それに、いくらなんでもそのお召し物はいかがなものかと……」


 パルレの視線が、私の身体に注がれる。

 いまの私の姿だが、まず額には兜飾りを模したサークレットをつけており、口元を面頬で隠している。胴鎧は日本の甲冑をモチーフにしたものだ。しかし、もちろんそのままではない。胸元は大胆に開いており、草摺くさずりはスカートのようになっていて、激しく動くと隙間からふとももがチラリチラリと見える。このセクシーさこそ悪の女幹部であろう。


 素材には希少な黒牙大蜥蜴ブラックリザードの皮革を採用した。それをヴラドクロウ家お抱えの甲冑師に加工させ、この形に仕上げたのだ。黒く濡れたように光る質感がなんともいえず格好がいい。私はキルレイン様と同じく、黒目、黒髪だから、ウィッグやカラコンが不要だったのもよかった。試着時に鏡の前で小一時間ほどさまざまなポージングをしたが、我ながらかなり自然に着こなせていると思う。

 僭越ながら、これはもう原作完全再現と言っても過言ではないのではなかろうか?


 ん? 原作とは何かって? それはもちろん――


「あのー、イザ……キルレイン様? 話、聞いてますか? ……ひいっ」


 おっと、特注の甲冑コスプレに思いを馳せていたら、パルレに返事をするのを忘れてしまっていたようだ。そしてパルレが半歩下がって何か恐ろしいものを見たような表情をしている。

 これはもしや……手で触って自分の表情を確認すると、目がありえない形に弧を描いていた。いかんいかん、キルレイン様と呼ばれて特オタスマイルが出てしまったようだ。目を揉んで、正しい形に修正する。


 そう、いまの私はイザベラ・ヴラドクロウではない。

 悪の秘密結社『ジャークダー』の女幹部、斬殺怪人キルレインそのものなのだ。思えば、私が特撮にハマったのも子供の頃に再放送で見たキルレイン様のエピソードがきっかけだった。それまでもジャスティスイレブンと互角以上の死闘を繰り広げてきた彼女だが、最終話付近でついに敗北してしまう。いよいよトドメの一撃か……!? というそのとき、割って入ったひとつの黒い影。それは一戦闘員に過ぎないはずのマサヨシだった。マサヨシはじつはキルレインと同じ孤児院出身の幼なじみであり――


「あのー、キルレイン様、キルレイン様? 紅茶が冷めちゃいますよ?」

「はっ!? いけないいけない、また脳内早口モードになってしまっていたわ。今日の差し入れは何かしら?」

「はい、今日は人数も多いので、屋敷のメイドと手分けして色々なものを作ってみました。私が作ったのはこの一口三角アップルパイです!」

「まあ、それはおいしそうね。さっそくいただくわ」


 色とりどりのクッキーやパイの詰まったバスケットから、三角形の小さなパイをつまみ上げる。

 一口サイズとはいっても、さすがに一度に口に放り込むのは令嬢として下品だな……いや、待て、いまの私は斬殺怪人キルレイン! 武士道を重んじ、豪放磊落ごうほうらいらくにして大胆不敵の女怪人だ! そんな小さなことを気にしてどうする!


「あっ、お嬢様。そんな大口を開けてはしたない!」

「いまふぉわわうしはふぃるれいんですの。ふぁずかしくなんてふぁりませんわ」

「あー、もう、お口の周りがパイのくずまみれですよ」 


 私が口いっぱいにパイを頬張っていると、パルレがハンカチで口元を拭いてくれる。

 それにしてもパルレのパイはいつ食べても美味しい。生地がサクサクで香ばしくって、焼き加減が絶妙なのだ。中に入っているリンゴの砂糖煮は……おっ、今日はかなり甘めだな。訓練をすると伝えていたから、疲れに効くよう砂糖を増量してくれたのだろうか。


「尊い……」「尊い……」「尊い……」


 そんな私たちの様子を、チンピラーズがなにやらキラキラした瞳で見つめてきていた。

 なんだよ、どういう視線なんだよそれは。わけがわかんないよ。

 なんだか気恥ずかしくなった私は、パイを飲み込んで大声を張り上げる。


「貴様らっ! おやつを食べたら休まず『イーッ!』100回だからな!」

『イーッッッ!!!!』


 どういうわけか、このときから戦闘員たちの『イーッ!』は異常にキレがよくなったのだった。

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