第8話 イログールイの苛立ち

 王城の一角、イログールイの寝室で、イログールイとネトリーがなにやら言葉を交わしている。例の婚約破棄事件以来、いまや珍しくもないことだ。イログールイは、月のうち半分はネトリーを寝室に招いている。


 王位継承権を持つ王子の部屋に年頃の婦女子を連れ込むなど言語道断なのだが……イログールイはその横暴を以って苦言を呈すものたちを黙らせていた。


 普通であれば側室にもなれない平民が、王子の種を孕んでしまえばどんな政争のタネになるかもわからない。周囲の者たちは気が気でならなかったが、イログールイもネトリーも、そんなことにかまっている様子は微塵も感じられなかった。


 そんなふてぶてしいイログールイが、今夜はいつになく荒れている。


「くそっ、くそっ! どうして僕がフラれたような話になっているんだ!」

「まあまあ、落ち着いてよ、イル。しょせんは噂じゃないの」

「そんなことはわかっている! だが、イザベラに婚約破棄を突きつけてやったのは僕の方だぞ! それがどうすれば僕が見限られたなんてことになるんだよ!」


 ベッドに腰を掛け、苛立ちを隠さずに怒鳴っているのはイログールイだ。

 自慢の金髪はかきむしったせいでぐしゃぐしゃで、サファイアにもたとえられる青い瞳も血走って台無しである。


「みんな面白がっているだけよ。本心では誰もそんなことは思ってないわ。それに、イザベラだってあれ以来学校に来ないじゃないのよ。強がっているだけで、すっかりしょげかえっているに違いないわ」


 隣に座ってイログールイをなだめているのはネトリーだ。

 豊満な胸をわざとらしく押し付けながら、イログールイの乱れた髪を手ぐしで整えてやっている。


「あの場で婚約破棄を告げれば、イザベラは狂乱して恥をさらし、やがてヴラドクロウ家をまるごと取り潰せる……そういう予言じゃなかったのか?」


 ヴラドクロウ家は王国を支える大貴族のひとつであるが、それは同時に王家の権威を脅かす存在であるとも言えた。王家が新税の設立などをしようとすると、ヴラドクロウ家は決まってそれに反対してくる。

 毎回判で押したように「それは民のためにならない」と言ってくるのだ。それ以外に言うことはないのかと腹が立ってくる。


 民は王のためにあるものではないか。

 王のために、民が血と汗を流すのが当然ではないか。

 どうしてそんな簡単な理屈がわからないのか?

 王国の国庫は枯渇寸前だ。

 足りなければそれを税で補う、当たり前の道理ではないか。


 イログールイの頭の中では、こんな考えがぐるぐると渦巻いている。

 国庫が空になったのは、王家の何代にもわたる浪費のためなのだが、そんな自省は一瞬たりとも浮かばない。王族は生まれながらにして尊ばれるべきものであり、それには「王族であるから」という以外に理由など必要ない。イログールイは、本気でそう信じていた。


「前にも話したけど、予言の力は絶対ではないの。でも、細部は変わってもおおよその流れから外れることはないわ。どこかで必ず修正力・・・が働くはず」

「ネトリーの話はいまひとつわからないところもあるが……要するに、運命が覆ることはない、ということでいいのか?」

「ええ、もちろん。運命の分かれ道はいくつもあるけれど、私はその分岐をすべて知っている。王家にとって目障りなヴラドクロウ家は、学園の卒業式の日までに必ず消滅しているわ」

「そ、そうか。それならいいんだ」


 ヴラドクロウ家を取り潰せれば、その財産を没収できる。

 卑しいことに、平民のように商会まで経営しているらしいではないか。それらが抱えているであろう莫大な金銀財宝を想像すると、思わず喉がごくりと鳴る。

 そうだ、ついでに分家もまとめて取り潰してしまえばいい。

 相続だなんだの面倒な話も消え去るし、ヴラドクロウ家は分家の連中まで生意気だ。本家の罪状に連座させて、全員の首をはねてくれる。


 イログールイの青い瞳が昏い想像に染まり、口元はいやらしい笑みが浮かんだ。

 あの生意気なヴラドクロウの連中が、あの憎らしいイザベラが、処刑台に立って泣きながら許しを請う姿を想像すると、イログールイの胸はすっと晴れるのだった。


「いや、すまない。僕としたことがつまらないことで取り乱してしまった」

「気にしないで、イル。私のように運命が見える人間でもなければ、未来に不安を抱くのは当然だわ」

「はは、その運命の女神のハートを射止めた僕もそちらの一員さ。ところで、僕が不安を感じてるって? そんなことは一切ないよ。それで、ネトリー、今日は泊まっていくんだろう?」


 イログールイの瞳が、今度は好色に染まる。


「うふふ、あまり泊まってばかりいると変な噂が立つわよ」

「そんなことかまうものか。僕は王族だ。そして次期王だ。つまらない噂なんか気にする必要はない」

「それでこそイルね。調子が戻ってきたわね」

「ああ、こっちの調子も戻ってきたぞ!」

「きゃっ! もう、せっかちさんなんだから」

「ネトリー、それは君が魅力的すぎるせいだからだよ」


 イログールイは、ネトリーを寝台に押し倒すとその服を乱暴に剥ぎ取った。

 寝室の前を守る近衛兵は、部屋の中から聞こえる嬌声に「またはじまった」と呆れつつ、いつものように耳栓をつけるのだった。

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