第12話 インジェンという作品【ニコ視点】

 午前中の間に、当局がやってきた。


「……はい。確認終わりました。確かに全て、回収いたします」


 違和感はある。けど、口に出さない。後で考察する。

 『泥濘でいねいのイストリア』を雨の日に紛失したというのは、私が全ての回収に協力的だったたことから信用してくれた。


「……本当に、ご協力ありがとうございます。ベルニコお嬢様」

「…………あら、素直に渡さないと思ったかしら?」

「…………い。いえ……」


 回収人は都市の職員。公務員だ。私のことは家から何から知ってはいるだろう。勿論インジェンオタクであるということも。


「ま、まあ、お嬢様はインジェンファンだと伺っていましたし、実際、この量は凄いです」


 インジェンが世に出した作品はこれまでに5作。それらがそれぞれ3〜10巻くらいまで。合計で36冊。それを重版の度に2冊ずつ。全部で……。

 数百冊。光泥車の荷台が埋め尽くされている。ちょっと誇らしい。


「……私は、ヴェルスタン家長子として、またリームス文明の一員として『何が社会にとって正しいか』を理解しているつもり。この社会の『目的』を理解している、つもり。……こんな事態になれば、こうするのは当たり前よ。それを。『皆で目指すべき社会の目的』を、私個人の感情や信仰で曲げてはならない。私はそこまで、我儘で幼くはない。…………も、インジェンから学んだのだけれどね」

「…………心中お察しいたします。では、ご協力感謝いたします。それでは」


 全て。

 私の人生の師。

 趣味。

 青春。


 全てが、回収されていった。


「ニコ……」

「……大丈夫よ」


 ルミナが、私の腕にぺとりと張り付いた。慰めてくれているのだ。

 そんなに私は、長い間彼らを見送っていただろうか。


「……『インジェンがそんなことする筈無い』と、喚ければどれだけ心が楽だったか。私はもう、16なのよ。そこまで、子供じゃない」

「……ニコ」


 暖かい。まるで、薄いガラス越しに触って温度を確かめた、光泥リームスのようだ。獣人族アニマレイスは人間より体温が高いのだと思う。

 今日は一緒に寝たい。


「ただ今戻りました。ありましたよ。『泥濘でいねいのイストリア』。濡れないように保護していた為、完品で無事です」

「ありがとうチルダ」


 予定通り、チルダが戻ってくる。私達は自室に籠もった。


「じゃあ読むわよ」

「お待ち下さいニコお嬢様」

「え?」


 この『泥濘でいねいのイストリア』は、第一級危険図書だ。読めば洗脳される――恐れがある。それは分かっている。


「その前に。『インジェン』という作家とその作品について。概要を我々にご教示くださいませんか?」

「…………そうね」


 事前に知っておかねばならない。インジェンというものについて。3人で、共有しなければならない。私はチルダの提案に頷いた。


「インジェン作品は、ジャンルとしては『空想小説』よ。けれど……その実態は、私の目から言わせて貰うと『実用書』『説明書』『参考書』辺りかしらね」


 語ろうと思う。好きなもの好きなようにを語るのではなく。必要なことを全て、考察の為に。

 社会の為に、客観的に。


「正しい政治判断とか。そもそも正しい間違いの基準とか。判断や考え方の指針。人間というものと、その社会について。……そういう、子供なら投げ出しかねないようなテーマを、物語にして『読み物』の体裁を整えたような作品よ。ストーリーはあって無いようなもの。彼女インジェンが本当に伝えたいのはきっと、の話ね」

「……教育、ですか? 国を牽引する未来の大人……子供達への」

「私はそう感じたわ。だから、彼女インジェンが作品の普及を通してやりたいことが、あるとするなら。今思えば――」


 そうだ。

 インジェンを読んで学んだ子供達は、『自ら調べて政治判断ができるようになる』。それは、もう。


「この国の、ね」

「!!」


 今まで気付かなかったこと。あくまで事件が起きてから改めて考えると気付けたこと。


 それを、踏まえて。この『泥濘でいねいのイストリア』の内容、とは。

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