第40話 手料理と印象

「アネット様、よければ本日お昼をご一緒できないでしょうか?」

エミリアの期待に満ちた瞳に断るのは気が引けた。クロエも今日はセルジュと一緒なので、断る理由を考えるのが億劫だったこともある。


フルールやレアも一緒にどうかと視線で問いかければ、静かに首を振られた。特に気が合うということがなく、実家に影響力がなければ他の令嬢と積極的に交流を図るつもりはないらしい。

アネットが了承すると、エミリアはぱっと花が咲くような笑みを浮かべる。そうして連れて来られたのは温室に近い中庭のテラスだった。


「あの、実はサンドイッチを作ってきましたの。アネット様のお口に合えばよろしいのですが――」

俯きがちな状態でも顔が赤らんでいるのが分かり、アネットは引きつりそうになりながらも笑顔で受け取る。


(多分、きっと大丈夫よね?女子高の先輩に向ける憧れとか尊敬とかそんな感情で、それ以外の感情じゃないわよね?)

うっすらと抱いた疑いに手元にあるサンドイッチを食べてよいものかと考えてしまう。


「あら、いけない!飲み物を準備するのを忘れていましたわ。アネット様、少々お待ちいただけますか?」


そう言うなりエミリアはアネットの返事を待たずに、背を向けた。どこかから飲み物を持ってきてくれるつもりなのだろう。

申し訳なさが募るが、追いかけるには遅く擦れ違いになってもとアネットはその場に留まることにした。


(何だかえらく懐かれちゃったな……)


クロエとは喧嘩しているわけでもないのに、ぎこちない雰囲気が続いている。クロエと行動する時間も減り、手持ち無沙汰になったアネットが図書室に通い始めた結果、エミリアと会う機会が増えたのだ。


エミリアは貴族に珍しく感情を表しやすい性格のようで、上辺だけの会話を交わす他の令嬢たちと比べて慣れてくれば居心地が悪くないと感じるようになった。

何気なく温室の方を見ていると、視界の端に何かが掠めた。

気になって観察していると温室から一人の少女が走り去り、少しして出てきた人物を見てアネットは驚きの声を上げかけた。慌てて口元を押さえたのだが、琥珀色の瞳としっかりと視線が合う。


(あう、何だか気まずい……)


「……言っておくが、先程の令嬢とは何もない。従者も見えないところに控えさせていたからな」


人気のない温室に二人きりだというところを目撃されれば、親密な間柄と誤解されても仕方ないだろう。だがうんざりとしたリシャールの表情と生真面目な性格を理解していたため、それを見苦しい弁解とは思わなかった。


「ですが、誤解されますよ?あのご令嬢が勝手なことを言いふらさないとは限りませんし」

「ああ、分かっている。最近こういう呼び出しが多くて——ちゃんと証人がいるから大事にはならないと思うが、これからは気を付けよう。ところでアネット嬢はこんなところで何をしているんだ?」


「友人から昼食に誘われましたの」

用事がなければわざわざ来る場所ではない。アネットが苦笑を浮かべて答えたところでエミリアが戻ってきた。大きなトレイの上にはティーポットとジュースの入ったガラス瓶、グラスとカップが2つずつ載せられている。


「まあエミリア様、重かったでしょう!一緒に行けば良かったですね」

「いえ、とんでもございません!アネット様にそんなことさせられませんわ。――ナビエ公爵令息様、手がふさがっておりましてご挨拶が遅れて申し訳ございません」

テーブルにトレイを置くと、エミリアは慌てて深々と頭を下げる。


「いや構わない。邪魔をしたな」

「あの、よければご一緒にいかがですか?」


そのまま立ち去ろうとするリシャールをエミリアが引き留めると、リシャールは一瞬迷うような素振りを見せたが、断りの言葉を口にして立ち去った。

その様子を見ていたアネットは何だかもやもやしている自分に気づく。


(先ほどまでは久しぶりにリシャール様と気軽な会話が出来て楽しかったのに……)


「アネット様?」

「ごめんなさい、何でもないわ」


きょとんとした表情のエミリアにそう伝えて、アネットは席に着いた。卵や蒸し鶏とレタス、ポテトサラダ、苺ジャムなど小さめのサイズながらバスケットの中にたっぷりのサンドイッチが並んでいる。


「少々作り過ぎてしまいましたわ」

恥ずかしそうに告げるエミリアは同性のアネットから見ても可愛らしい。先ほどリシャールがエミリアの誘いを即座に断らなかったのは、彼女に好感を抱いているからではないだろうか。


「美味しそうですね。いただきます」

良くない思考に囚われていると感じたアネットはエミリアに笑みを向けて、卵サンドを手に取った。


一口かじると卵とマヨネーズだけのシンプルで素朴な味わいが広がる。美味しいと感想を伝えようとする前にじゃりっと嫌な音がした。


「あ、アネット様!ごめんなさい、変な音しましたよね?!こちらにどうぞ」

差し出されたハンカチは新品のように綺麗で口の中のものを吐き出すのに躊躇ってしまう。覚えのあるじゃりじゃり感は卵の殻だろうと判断したアネットは、そのままごくんと飲み込んだ。


呆気にとられた表情のエミリアを見て、仕事でミスをした新入社員を思い出した。前世の記憶は徐々におぼろげになりつつあるが、ふとした瞬間によぎることがある。


(わざとではないんだから怒れないわよね)


「優しいお味で美味しいです。他のものも頂いても?」

さらりと不手際を流したアネットに、エミリアは顔を真っ赤にして勢いよく首を縦に振る。その様子に自然と笑みが漏れた。一生懸命で不器用な年下の女の子を相手にしているような気分で、何だか微笑ましい気持ちになるのだ。


(最初の直感って当てにならないかもしれないわ)


エミリアに対する印象が変わりつつあることを自覚したアネットは、反省しながらも穏やかな昼食タイムを楽しんだのだった。

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