第28話 情報提供と協力者
楽しかった週末を終えて登校した朝のこと、アネットは一人の令嬢に呼び止められた。
「――アネット・ルヴィエ様、少しお話したいことがあるのですが……」
か細い声に振り向くとダークブラウンの髪の少女が、俯きながら立っていた。何となく見覚えがあるような気がするが、恐らく初めて言葉を交わす相手である。
「何か御用でしょうか?」
アネットが声を掛ければ所在なげに顔を伏せる。
話しかけておきながらそんな態度を見せる令嬢を不審に感じたのか、隣にいたクロエが声を掛けた。
「話したいことがあるから呼び止めたのでしょう?早くおっしゃったらいかが?」
びくりと身体を強張らせ、涙目で顔をあげた女子生徒は恐々とした表情でクロエを見る。
(これは、良くないわ)
そう判断したアネットが行動に移す前に、後方から声が掛かった。
「まあ、可哀そうに!怯えていらっしゃるじゃない」
声高に非難する声は聞き慣れたものだ。アネットが声のした方向を向くと、ロザリーとその友人たちが立っていた。
「どんな事情があったか存じませんが、立場の弱い者相手にあまり酷いことをおっしゃってはいけませんわ」
庇うようにロザリーは怯える令嬢の傍に立って擁護する。だが眉をひそめているものの、その瞳には嗜虐の色があり、クロエを貶めようとする意図が明白だ。
「声を掛けられたのでご用件を伺っただけですわ。そちらの方はロザリー様のお知り合いでしょうか?」
事実だけを淡々と返すクロエに、ロザリーは意地悪そうな笑みを浮かべる。
「まあ、それだけでこんなに怯えてしまうものでしょうか?見知らぬ令嬢であってもつい口を挟まずにはいられないほどですわ」
学舎内入口のため人通りが多く、先ほどから何事だろうかと興味深そうに眺めている学生も多い。たとえ本当のことを告げていても、この状況を第三者から見ればクロエが令嬢に何かしたようにしか見えないだろう。
「ご用件を伺いますわ。ロザリー様、失礼いたします」
アネットは泣き出しそうな令嬢の腕を取り、いささか強引にその場から抜け出した。
この令嬢がいる限り、クロエにとって不利な状況となる。クロエを置き去りにすることに抵抗はあったが、人目があるところではロザリーたちも下手なことは出来ないはずだ。
人が少なく遠目にクロエが見える位置まで移動したアネットは、令嬢の手を離し改めて向きなおった。
「お話したいこととは何でしょう?」
急に手を引かれて驚いたのか呆然としていたが、声を掛けられて我に返ったようだ。先ほどよりは落ち着いたようで、恐る恐る口を開いた。
「あの、昨日リシャール・ナビエ公爵令息と街にいらっしゃいましたか?」
内気なようで随分と無遠慮な物言いをする令嬢にアネットは怒りを通り越して呆れた。
「面識のない方にお話しすることではございませんわ」
高慢な令嬢のような言葉だが、名乗りもしない相手に礼を持って接する必要もない。
「……っ、失礼いたしました!1年生のエミリア・トルイユと申します」
(トルイユ家はたしか子爵位だったはず。それなのにわざわざリシャール様のことを聞くために話しかけてくるなんて…)
学園は身分関係なく学ぶ場であるが、建前通りに受け取ることは出来ない。将来的にどこでどういう縁が繋がるか分からないので、表面上は平等だが多少なりとも配慮するのが普通だ。それにも関わらず曲がりなりにも侯爵令嬢であるアネットへの不躾な言動はリシャールへの関心の高さを窺わせる。
警戒したアネットは黙ってエミリアを観察していると、耐え切れなくなったのか焦ったように言葉を継いだ。
「不躾な質問で申し訳ございません。ですが、私の友人がとても気にしていて、もし勘違いであれば憂いを晴らしてあげたいのです……」
そう告げて顔を伏せるエミリアは嘘を吐いているようには見えないが、アネットは警戒を緩めない。友人の話が当人であることはよくあることだし、女性は男性よりも狡猾で強かなものだ。
「それならばご友人に直接お話しましょうか。お名前を教えていただけますか?」
エミリアの話が真実なら、リシャールに好意を持つ令嬢の名を知っておきたかったし、嘘ならばどう切り抜けるか反応を見たかった。
エミリアは躊躇う素振りを見せていたが、無言の圧力に屈したのか呟くような声で友人の名を漏らした。
「……クラリス・カディオ様です」
それを聞いてアネットは何故エミリアに見覚えがあるのか思い出す。クラリスがアネットを訪ねた時に、今と同じように不安そうな表情で見守っていたのはエミリアだったのだ。
「クラリス様は知り合いもおらず一人でいた私に気遣って声を掛けてくれた優しい方なのです。……でも、最近少し様子がおかしくて……」
人見知りなエミリアが勇気を出してアネットに声を掛けたのもその所為だという。
人形のようなクラリスの無機質な瞳を思い出して、アネットはふるりと肩を震わせた。
アネットがエミリアから聞いた内容を伝え終わると、空気が少し重くなったように感じた。
「エミリア様のおっしゃることを鵜呑みにするわけにはいかないのですが……」
語尾が曖昧になってしまったのは、以前階段でぶつかった時の違和感とその後会いに来た時に見た一瞬の眼差しが心に残っているからだ。
「カディオ伯爵令嬢か。あまり身体が丈夫でない令嬢だったと記憶している。会う機会など早々なかったように思うが、心当たりはあるか?」
セルジュの問いかけにリシャールは渋面で答える。
「ないな。顔と名前が一致したのはあの時保健室に連れて行った時だ。その後礼をしたいと何度か呼び止められたが、これ以上は迷惑だと断ってからは特に接点はない」
「彼女が犯人であれば階段での一件も故意ということになりますわね」
クロエが淡々と指摘するが、僅かに眉をひそめているため不快なのだと分かる。
自分も怪我をする可能性があってもなおアネットを傷付けようとしたと考えると、並々ならぬ執念を感じて恐ろしい。思い詰めた人間は何をするのか分からないから怖いのだ。
「……このような事になるのなら、はっきり断るのではなかった」
普段からの女性との関わり方を見ていると、明らかに拒絶と分かる断り方をしたのだろうなと想像できる。それでも傷つける意図はなかったのだろうし、落ち込んでしまったリシャールにアネットは声を掛けた。
「はっきりと告げるほうが未練を断ち切りやすいこともありますし、やんわり断る方が傷つかずに済んだと思う方もいるかもしれません。どちらが正しいかは相手次第ですわね。もしリシャール様がそのことで悔やむのであれば、次回改善すればいいだけの話ですわ」
「次回……」
呆然とするリシャールに対してセルジュは苦笑しながら言った。
「婚約者不在となれば、想いを伝えられる場面は一度や二度ではないだろうね。アネット嬢の助言を参考にするといい」
少し場が緩んだものの、すぐにこれからの対応についての話に戻る。
「クラリス嬢の動向に気を付けるのはもちろんだが、現時点では証拠がないな。相手の出方を待つしかないのは少々歯がゆいところだね」
「セルジュ様、アネットを囮にするような策は認めませんわ。アネットもいいわね?」
牽制するようにクロエに言われれば、セルジュもアネットも無言で頷く。しっかり釘を差すあたり、気質が似ている二人のことをクロエはよく理解している
「危険な目に遭わせずに証拠をつかめれば最善だ。俺がその令嬢の相手をすれば少なくともアネット嬢への嫌がらせは止む―」
「却下です、リシャール様」
遮るように強い口調で言ったアネットに全員が驚いたような表情を浮かべた。
「アネット嬢はリシャールがクラリス嬢に近づくのが嫌なのかな?」
セルジュの言葉にアネットは力強く頷いた。
「あの方は精神的に少々危うい感じがするので、リシャール様の身が危険ですわ。慕っている相手の好意に対しては敏感なものです。その気がないのに近づいたと知ったら逆効果ではないでしょうか」
「リシャール様の身を案じてのことなのね。…それが他のご令嬢だったらアネット自身は不快ではないの?」
首を僅かに傾げたクロエは普段よりも少し幼く見えて大変可愛らしい。そちらに気を取られたアネットはクロエの問いかけの意味を深く考えることはなかった。
「私が、ですか?それはリシャール様の自由ですので特には何も思いませんよ?」
その言葉にリシャールは肩を落とし、セルジュはクロエに、ダメージを与えるような質問をしてはいけないと窘めている。
質問の意味を考えようとしたアネットの前にセルジュの従者の一人が現れ、フェルナン・シアマ生徒会長の訪れを告げたのだった。
「ご歓談中申し訳ございません、殿下」
慇懃な態度で現れたフェルナンは、にこやかな笑みを浮かべて挨拶をした。
「シアマ会長、堅苦しい挨拶は不要だ。わざわざここに来るということは、緊急または大切な用件なのだろう?」
王族専用スペースは気軽に足を踏み入れる場所ではない。それ以外の用件ならば教室に出向くなり、従者経由で場を設けるなりするのが一般的だ。
「その前に質問をお許しください。アネット嬢、君はクラリス・カディオ伯爵令嬢を知っているかい?」
予期せぬ問いかけにアネットは思わず息を呑んだ。
「貴方は何を知っているのですか?」
すっと冷やかな目に変わったリシャールが低い声で問いかける。そんな態度に怯むこともなくフェルナンは慇懃な口調で続けた。
「アネット嬢の憂いに関する情報とその解決方法でしょうか。殿下方のお手伝いをさせていただければ幸甚です」
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