第6話 特別授業と栞
(妖精がお茶を飲んでいる……尊い!!)
穴が開くほどひたすらに見つめているアネットを見かねたのか、ジョアンヌの咳ばらいでアネットはようやく我に返った。興奮のあまり気づけば身を乗り出していて、これでは礼儀作法が身についていないと思われても仕方がない。
(せっかくお姉様にお会いできたのに、呆れられてしまうわ)
ぴしりと姿勢を正すとジョアンヌは満足したように頷き、クロエに声を掛ける。
「クロエ様は相変わらず所作が美しくいらっしゃいますね。常日頃から精進なさっているのが分かりますわ」
厳しい表情が常のジョアンヌの瞳が僅かに柔らかく細められている。
「ありがとうございます。ジョアンヌ先生のご指導の賜物ですわ」
さらりと流れるように自然な受け答えにアネットは内心嘆息する。
(お姉様はまだ7歳になったばかりだというのに、なんて堂々とした見事な答えなのでしょう!)
褒められればつい謙遜してしまいがちだが、指導したジョアンヌの前で未熟であると伝えれば指導が足りなかったと他者から誤解されてしまう恐れがある。称賛を受け入れつつ、相手を上げる回答は、良識ある社会人だと自負していた前世のあるアネットでも簡単にできる事ではない。
「お姉様のように素敵な淑女になれるよう、私も頑張りますわ」
静かなクロエの表情が微かに揺れたような気がした。見つめすぎないよう注意しながらクロエの動向を見守るが、何事もなかったかのように優雅な仕草で紅茶を口に運んでいる。
(勘違いかしら?)
気を取り直してアネットはクロエに話しかけることにした。
「庭でお茶を頂くと、色とりどりのお花が見えてとても綺麗ですね。お姉様は何のお花がお好きですか?」
いつもよりほんの少し目を大きく開いたクロエは、少し考えるように庭園に視線を向けた。
「……薔薇かしら」
視線の先には確かに薔薇園があり、紅や白の花弁が咲き誇っていたが、好ましい花を見ているにしては冷めた瞳だ。
だけどクロエがそう言うのなら疑っても仕方がない。
「良かったです。薔薇は少し難しくて、でも綺麗にできたと思うんです。良かったらこちらお姉様にプレゼントさせてください」
ポシェットから取り出したのは薔薇を押し花にした栞だった。
メイド経由では受け取ってもらえなかったが、直接なら受け取ってもらえるかもしれない。そんな淡い期待とともに持ってきたのだ。戸惑うような表情で栞を見つめるクロエに、ジョアンヌが会話に加わった。
「まあ、見事なものですね。先日いただいた栞は私も読書の際に使っておりますよ」
嬉しくなったアネットは、せっかくだからと他の栞も見てもらうことにした。ミモザ、スミレ、かすみ草、ポピーと色違いの花々でテーブルの上が一気に華やぐ。
クロエの視線がその中の一つに釘付けになっていることに気づいたアネットが、それを手に取りクロエに差し出した。
「お姉様、よければこちらもどうぞ」
ミモザの栞を手渡そうとすると、クロエの表情が変わった。
「結構よ」
明確な拒絶とともにクロエの声と表情が冷ややかなものに変わった。
「お姉様?」
「私に必要な物は全てお母様が準備してくださっているの。貴女から施しを受ける謂れはないわ」
それから口調を若干改めてジョアンヌにお茶会への誘いについて丁重な礼の言葉を述べると、次の授業のためがあることを理由にクロエは去っていった。もちろんアネットが渡した栞はテーブルの上に残されたままだ。
「アネット様―」
気遣うようにジョアンヌが声を掛けようとすると、アネットはにこやかな笑みを浮かべていた。
「お姉様があんなに私に対して言葉を掛けてくれたのは初めてです。ジョアンヌ先生、お茶会を開いてくださってありがとうございます」
必要な物が準備されているのなら、それ以外の物を贈ればいい。何を贈ろうかとわくわくしながら考えていると、呆れたような口調でジョアンヌが言った。
「アネット様はクロエ様のことをどうしてそんなに慕っているのですか?クロエ様はあまり貴女に良い印象を抱いていないようですが…」
プレゼントを拒否されて辛辣な言葉を掛けられれば、そう解釈されるのも仕方がないだろう。だけどアネットはそう受け取らなかった。
「不要なものを押し付けられれば迷惑ですわ。お姉様はきちんと伝えてくださっただけですもの」
好みが分からずに準備したものだから、受け取ってもらえれば確かに嬉しいが、受け取ってもらえなくても別段心は痛まない。理由が分かったのだから次は気に入ってもらえるものを準備するだけだ。
(それにお姉様は意地悪ではないわ)
本当に意地悪な人間なら粗雑に扱うか、一旦受け取って故意にゴミ箱に捨てて相手に見せつけたりするものだ。過去の体験が頭によぎるが、振り払うように顔を上げる。
「お姉様の所作は本当に綺麗でした。私もお姉様のような振る舞いを身に付けたいので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします」
ジョアンヌから残念な人間を見るかのような温い眼差しを向けられたものの、立派な淑女に育てると宣言されたアネットは、有意義なお茶会だったと満足して笑みを返した。
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