第34話「堕ちた伯爵と心無き魔女」

 魔女ユノは逃亡した。

 協力関係はあちらの方から一方的に破棄された、ということだろう。

 そのすべての元凶は、眼の前のこの例外の魔女だ。

 ユノが恥も外聞もなく伯爵を囮に使い、尻尾をまいて逃げ出したということは、この例外の魔女はあのユノを超える実力を持っているということだ。例外の魔女自身の言葉からも、ユノを下に見ていることは明らかである。

 であれば、ここで伯爵が例外の魔女と対立しても、おそらく未来はない。

 息子ジェラルドや領の兵たちの命を一瞬で全員分奪ったあの手際を見ても、情けや手心をかけてくれるような人格ではない。人の心を持たない悪魔のような女だ。


(ここは一旦和解をちらつかせて退いておいて、とにかく城からこやつらを追い出さねば……。ユノは逃げたが、実験の手順は何度も見ている。最後に貴族──ルシオラ嬢で試すことが出来なかったのは口惜しいが、仕方がない。ぶっつけ本番で儀式を成功させるしかあるまい。ロゼッタにはもう時間がないのだ……)


 肝心なときに居なくなるとは。

 やはり魔女など信用すべきではなかった。

 この辺りではそういう話は聞いていないが、他の領地ではミドラーシュ教団と魔女が政治的に衝突しているところもあると聞く。教団は人類の長い歴史の中で生まれ、育ってきた組織だ。魔女よりも多くの人間の心の拠り所である教団のほうが信用できる。魔女はむしろ遠ざけるべき存在だった。

 しかし今更後悔しても遅い。

 ユノがやっていた手順をなぞり、自分ひとりで儀式を完遂するしかない。

 そのためには邪魔者たちにとっとといなくなって貰わなければ。

 ルシオラは無理でも、出来れば準貴族並みの法力を持ち、しかも法術適性が全く無いあの女法騎士くらいは実験台にしたかったところだ。しかし今更彼女にだけ残ってくれと言っても聞いてはもらえまい。


 その女騎士も剣をガチャガチャ言わせながらやってきていた。


(……そういえば今気がついたのだが、この剣は一体なんだ。城に来たときには持っていなかったはずだが……もしかして領兵たちの剣か? 食堂の遺体から剣だけ剥ぎ取ってきたのか!? 剣など一本あれば十分だろうに、これだけ持ってきたということは、どこぞに転売でもするつもりか! この女、それでも騎士か!)


 怒りでどうにかなりそうだ。

 しかし堪える。ここで暴れても何にもならない。それこそ死んでいったジェラルドや領兵に申し訳が立たない。もっとも、息子はともかく領兵たちには、計画について何も知らせていなかったため、申し訳が立たないのは変わらないのだが。


「──ああ、そうそうそれで思い出した。よかったシィラがまだ『今だー』してなくて。

 ええと、ディプラノス伯爵に伝言があります」


 例外の魔女がそんなことを言う。

 伝言、と聞いて思い浮かぶのはユノからのものだ。ユノが逃げる直前まで会っていたのは他ならぬこの例外の魔女である。二人の間でどういうやり取りがあったのかはわからないが、伝言を受け取っていてもおかしくはない。逃げる際のユノの言葉を思えば彼女らの仲が良いようには思えないが、この例外の魔女が殺さず逃がすくらいだし、何らかの交渉のようなものがあったのかもしれない。

 もしかしたらその伝言に伯爵が欲しい情報が含まれている可能性もある。つまり例の儀式に関することだ。


「伝言? まさか、あの逃げた魔女からか!?」


 しかし伯爵の予想──希望は外れた。

 それどころか、魔女の言葉は思いもよらない方向から伯爵の精神を揺さぶってきた。


「違うよ。ええっと……そういえば名前聞くの忘れてたな。まあいっか。もう会うこと無いし。貴方の娘さんと思われる人からだよ。じゃ再生するね。

『貴族として相応しい身体に生まれる事ができず申し訳ありません。どうか私のことは忘れて、領地と民のためにそのお力をお使いください。愛しています、お父様。さようなら……けほ……ごほっゴホゴホ──』……以上です」


 それは聞き慣れた声だった。

 伯爵にとって何よりも大切な、失ってしまった妻の忘れ形見。

 その愛しい声。


「……な、なんだ、今の声は……。娘の……? どうやって……。ま、魔術なのか……?」


「魔術だよ。貴方の娘さんの最期の声を保存して再生したんだよ。それが彼女のたったひとつの願いだったからね。私は出来る魔女だから、その願いを叶えてあげたんだよ」


「最……期……? 最期とは……まさか! いや有り得ん! ユノの話では、まだしばらくの時間が残っていたはずだ!」


 そうでなければ、こんなに悠長に実験などしていない。


「あの出来ん方の魔女からどう聞いてたかは知らないけどね。私が彼女の部屋に行ったときにはもう大分末期だったよ。何か心に大きな負担がかかるようなことでもなければもう数日は──あっ。いや、まあ、限界だったと思うね。うん。出来ん子の診療ミスだよ。娘さんは今日が天命だったんだ。

 私はそれを憐れに思って、こうして最期の願いを聞き入れてあげたってわけ。お礼とかは別にいいよ。さすがにね。さすがに私でもそれは貰ったらアカンやろって思うし……」


 伯爵の耳には魔女の言葉の後半はもう聞こえていなかった。

 ロゼッタの容態は、どうやらユノの見立て違いだったらしい。

 いや、そのようなことは認められない。認めるわけにはいかない。


「──ロゼッタ!」


 伯爵は矢も盾もたまらず、人質を捕らえていた部屋から飛び出した。

 儀式場の中央を迂回するのももどかしい。地上への階段を目指し祭壇を乗り越えようとする。


「あ、今行っても誰も入れないよ。城の三階には結界を張ったからね。最期のお願いを聞いてあげるついでに、ちょっと多めに魔力を込めて『時間凍結クロノステイシス』もかけといた。君の娘さんは息を引き取った瞬間の姿のまま、永遠にあの部屋で眠り続けるんだ。要石になったお兄さんを守り番にしてね」


 伯爵は魔女の言葉に動きを止めた。

 何を言っているのかわからない。

 娘の最期の姿をそのまま永遠に留めるということなのか。いや、娘は死んでいない。そんなはずはない。まだ時間はあったはずだ。ユノはそう言っていた。お兄さんとはロゼッタにとっての兄という意味か。だとしたらジェラルドだ。ジェラルドを要石にしたというのも意味がわからない。人は人だ。石にはならない。守り番も意味不明だ。守るもなにも、ジェラルドはこの魔女が殺したのだ。もはや妹を守ることなどできはしない。

 この魔女は嘘を言っている。そうに違いない。

 ならば娘が死んだというのも嘘だ。部屋に結界を張ったというのも──いや、それは本当かもしれない。先ほどの声は間違いなく娘のものだった。この魔女が娘と接触したのは間違いない。

 となると、この魔女をどうにかしないかぎり、娘と会うことは出来ない。娘に儀式を施すことも出来ないだろう。


 伯爵は足をかけていた祭壇の上で立ち上がった。


「……例外の魔女。貴様はやはり、倒すしかないようだな」


「何だよ急に。やはりって、今そんな話してたっけ? 急に話題を変える時は『やはり』は使わないでしょ普通。使わないよね?」


「うーん。『ところで』とかっすかね……?」


「会話を本筋に戻す時には『閑話休題』とか差し挟んだりすることもありますわ。これまでの会話のどれが閑話なのかわかりませんけれど」


「それ文語表現でしょ。話し言葉で使うかな……?」


 小娘たちのどうでもいい会話に苛立ちが募っていく。

 もはや実験はできまいが、最後にもう一度、この祭壇のテストくらいはしてもいいかもしれない。とはいえ実験体もいないので、「生きた人間から法力を集める」儀式のテストくらいしか出来ないだろうが。




 ★ ★ ★


主人公さすがに心無さすぎだろ、と思わないでもありませんが、まあええか……

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