第32話「黒髪の魔女と黄金さえ灰にする愚者」

 ユノは失った片腕の断面を強く握り、止血のため治癒魔術をかける。

 魔素の少ないこんな場所で補助の魔術具もなく治癒魔術を発動するなど自殺行為に等しいが命には代えられない。

 断たれた腕があればつなぎ合わせる事もできるが、ポータルの先がどこに繋がっているかもわからない現状、それは諦めるしかない。

 また、魔術具のナイフを失ったのも痛い。あれはまだ試作品で、ユノが持っていたのも実地での試用のためだ。壊れる程度ならいいが、魔術具本体を失ってしまってはデータも取れない。素材にも貴重なものを使っているし、再び製作するにはコストがかかってしまう。


 ユノをそんな目に遭わせた「灰金」は、呑気に人質から話を聞いている。

 人質もユノが襲いかかった際には混乱してか硬直していたものの、その後の急展開で驚きが完全に飽和してしまったのか、普通に灰金と会話をしている。

 今この場で焦りと動揺に襲われているのはユノだけだ。


「──なるほど、なるほど。つまりこの黒髪の魔女は、首謀者である伯爵に内緒で人質として大事なはずのふたりに急に襲いかかってきたってわけか。とんでもない話だな」


(勝手なことを!)


 そう叫んでやりたかったが、腕を失ったショックで声が出ない。

 腕を落とされた直後は灰金を罵倒できたのだが、中途半端に治癒したせいで脳内も鎮静化されてしまったようだ。

 では治癒もなく、また腕を失ってからそれなりの時間が経っていたにも関わらず、ユノと普通に会話していた伯爵の覚悟と胆力はいかばかりだったのか。

 ユノはたかが人間に対し敗北感を覚えた。


「うんうん。やっぱり君が悪いんじゃないか。魔女のくせに人間の伯爵の使いっ走りをしてるみたいだし、その割にご主人様の大事な人質を勝手に傷つけようとするし、自分から事故に巻き込まれて私に迷惑をかけるし……。いったい何だったらちゃんと出来るんだよ君は。もっとしっかりしなよ。君がポンコツなせいで私まで出来ん子に見られたらどうするんだ。まったく同じ魔女として恥ずかしいったらないよ」


 灰金のこの言葉は、たった今ユノの胸に湧き上がった、人間に対する些細な劣等感を刺激した。

 あまりの怒りに一瞬腕の痛みも忘れ、声が出た。


「きさっ……! 貴様のような異分子に、そんなことを言われる筋合いはないっ! それと誰があの劣等種の配下だっ! あと何で貴様がここにいる!」


 荒ぶる感情に任せ、思っていたことをそのまま吐き出してしまった。


「うわ、なんだよ急に大声出して……。びっくりするからやめてくれよ。あ、あれかな。普段誰とも話したりしてないから、ちょうどいい声の出し方がわからないとかかな。うんうん。あるよねそういうこと。わかるわかる」


 ユノは怒りでどうにかなりそうだった。


「あ、でも私がここにいるのは君のせいだよ。君がここにいたのを見つけたから私も来たんだ」


 しかしそのひと言で一気に熱が引いた。


 ユノがいたから、灰金はここに来た。

 つまり、灰金はユノを追っていたことになる。

 それは何を意味しているのか。


「なん……だと……? まさか、『泉の魔女』たちにすでに我々の計画が……? 貴様、泉の魔女の命でここに!?」


 この大陸にはいくつもの『領域外』の泉があり、それと同じ数の魔女がいるが、その二つ名に泉を冠することを許されるほど力を持つ魔女と言うとひとりしかいない。

 それが、泉の魔女──コルネリア・マギサ・メルギトゥル。

 ユノたちの派閥の思想に疑義を唱えている魔女の筆頭だ。

 そして泉の魔女と今は亡き森の魔女──ドゥルケ・マギサ・インサニアの仲を知らない魔女はいない。

 ドゥルケの後継者であるマリスがユノを追っていたとなると、泉の魔女の命令だとしか考えられない。


 ユノの派閥の魔女たち。その中で、今回の計画の実行役であるユノにどうやって目をつけたのか。

 そもそも、なぜ計画の情報が掴まれているのか。

 いずれにしても、泉の魔女にかなりの情報を知られているのは間違いない。


「……最初から、手のひらの上だった、ってわけ……! 忌々しい!」


 いや、これはユノたちの失態だ。

 本来、魔女は『領域外』の外ではまともに活動できない。魔女が活動するために必要な魔素が足りていないからだ。

 その唯一の例外が魔女の異分子たる灰金である。

 ゆえに泉の魔女の派閥に隠れて人類領域で活動をするのであれば、まず真っ先に警戒すべきだったのはこの灰金なのだ。

 それを怠ったのは失態だった。

 森の魔女ドゥルケの没後、マリスと泉の魔女コルネリアの接触が減っていたため油断していた。


「ごめん、ちょっと何言ってるかわかんない。泉の魔女? それってコルネリアおばさんのこと? なんでおばさんが出てくるの? も、もしかして……言い付ける気? む、無駄だよ! だってさっきのは事故だったし、悪いのアンタじゃん!」


「言い付ける? やはり、泉の魔女と繋がりが! く、無駄だなどと、小賢しい!」


「あ、それともあっちか! 法騎士団──ミドラーシュ教団がディプラノス伯爵を断罪する方の話か!」


「なんだと!? 人間たちの教団がディプラノスを!? 泉の魔女はもうそんなところまで手を回していたのか!」


 泉の魔女の一派が人間たちとの共存を是としているのは知っている。

 しかしそれはあくまで互いに不干渉でいるべきだという方針だったはずだ。ミドラーシュ教団という、巨大ではあるものの魔女に対していい感情を持っていない組織と手を組んでいるとは考えもしていなかった。

 いや、これは慎重で保守的な泉の魔女がそこまでしなければならないほど、ユノたちの計画を危険視していたということなのかもしれない。

 そこまで評価されていたことには敵ながら思うところもあるが、計画遂行を考えると厄介極まりない。

 一旦、この計画は凍結し、慎重に時期を待ったほうがいいのかもしれない。


 とにかく一度退却し、このことをなんとしてでも仲間に伝えなければならない。

 せっかくここまでうまく行っていたというのに無念極まりないが、この地での計画はもう破棄だ。

 彼を囮に使い、この場から脱する。それしかない。


「──伯爵っ! ディプラノス伯爵! ここに、ここに人質を狙った別働隊がいるぞ!」


「あ、こらっ!」


 扉の向こうに気を取られたマリスの隙を突き、なけなしの魔力を振り絞り目眩ましの魔術を発動した。


「きゃあ! マリス様!?」


「ぬあああ!? 何も見えませんぞ!?」


「わあっ! ちょ、しがみつかないで!」


 ユノはその混乱に乗じて隠し通路を使い、ディプラノス城から逃げ出した。




 ★ ★ ★


お祖母ちゃんは『森の魔女』と呼ばれていましたが、マリスはそうではありません。

マリスはまだ『インサニア(固有名)の魔女』止まりです。

灰金は悪口。

サブタイトルの通り、黄金さえ(その価値も分からずに)灰にしちゃう愚か者、ってニュアンスです。ひどいこと言いますね(

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