頭の中は


まさかいきなり弾を撃ちこまれるとは思わなかった。幸い流血はしなかったがまだ痛い。俺は紫色のあざができた箇所をさすった。すると目の前で膝をつけていたエルフの女が心配そうな表情を浮かべながら話しかけてくる。


「ごめんなさい…すぐに薬を持ってくる…少し此処で待って」

「分かってる、ありがとう」


だいぶ酷い片言のゴブリン語だがなんとか聞き取れる。俺は女が聞き取れるように短い単語でゆっくりと返事をした。すると女は急いで小さな本を開き、ページをめくっていく。恐らく俺が口にした単語を調べているんだろう。そしてその意味を理解したのか、女は小さく微笑んで頷くと、俺の方に手を伸ばしてきた。


「ありがとう」


エルフの女と俺は軽く握手を交わす。そして女は急いで部屋を後にした。俺は部屋の様子を伺う。随分と立派な造りだ。白色を基調とした石造りの壁。金や銀で装飾されたテーブル。肌触りの良く、色つやも綺麗な革張りのソファー。


上流階級の人々が会談をするような典型的な部屋だな。地下牢にぶち込まれることも覚悟していたが…ゴブリンである俺をここまで好待遇で出迎える理由はなんだ?確かに魔石と奴隷の交易を提案したが、俺はエルフの都市に入ってすぐにここまで運ばれてきた。


普通はだ、村を襲って女や家畜を奪うような野蛮なゴブリンが、友好と交易を望んでいると知っても信じないだろ?仮に信じたとしても…こんな手際よく”事”が運ぶか?部屋中を覆う様に配置されている兵士たちも、俺の方を見ながら無表情だ。最初に俺の存在を見た時も全く動揺もなかった。まるで最初からこうなることを想定していたみたいに……。


なにか奇妙だ…うまく出来過ぎてる……。


……さっきの女――俺が最初に出会った部隊の長らしき女は、俺を見るなり、たどたどしいゴブリン語で話してきた。それも紙に書かれた文字や本を使ってまで。つまりは元々ゴブリン語を話せるわけでもないのに、いつでもゴブリン語を話せるように、わざわざ準備をしていたわけだ。


だがなんのためにゴブリンと話す必要がある?…素直に現在の状況から考えたら、理由は俺しかいない…か?恐らく、エルフは俺の存在をあらかじめ知っていた…それも"200人の冒険者を殺害した凶悪なゴブリン"としてじゃない…人間的な壁を築き、水路を引いて農業を始めた、極めて知的で文明的なゴブリンとしてだ……。


そうでなくてはゴブリンとコンタクトを取ろうとは思わないだろ。だが問題はそれをどうやって知ったのかだ。人間たちを撃退してから、俺とナラントンは毎日周辺の森の見回りをしてきた。だが人間たちの痕跡は一度たりとて発見できていない。


もし一切の痕跡も残さずに俺達の詳細を知ることが出来るなら……まぁ魔法しかないだろな。ナラントン曰くエルフは魔法に長けている人種のようだし…遠隔で遠くの景色を見れる魔法なり、空を飛んで上空から監視していたのかもしれない。


というかそれぐらいしか方法はないはすだ。


それとこの部屋に不自然なところがある。俺はこの部屋というか、このエルフの都市に入った時には、大きな壺の中に閉じ込められて来た。最初に壺の中に入る時にその理由をあの女に聞いたが、どうやらエルフは物質が放つ微弱な魔力を感知する事が出来るらしい。ところどころゴブリンの言語では翻訳できない単語もあって、正確に理解はできていないがな。


そして俺から放たれる魔力が膨大なため、街の人々を混乱させないために壺の中に入るように言われたわけだが…。


じゃあなんで窓ガラスのあるこの部屋に運ばれてきた?


仮に魔力が物質を透過できないとしてもだ、透明のガラスでは外からこの建物を見た時に、この部屋にとんでもない魔力を放つ存在がいることがばれてしまうだろ。


じゃあなんで壺の中に俺を隠した?俺の存在をあらかじめ知っており、俺と接触するつもりで準備をしていたのなら…俺と接触していることを世に知られたくないとしても、別に俺は馬車の中に隠れて、門番に賄賂を渡せばいいだけのはず。


……でもエルフが物質の魔力を見れるという話が嘘だとは思えない。その嘘をついてまで俺に壺に入って欲しい理由がないし、あの壺になにか細工もされていなかった。それに俺が出会ったエルフたちは、後ろを向いていたあの女を除いて、木陰に隠れていた俺の存在に気が付いている素振りも見せていた。


だから、恐らく…エルフが物質の魔力を感知できる話はウソじゃない。壺の中に入れられたのもそれが理由だろう。


なのに…地下ではなくて大きな窓ガラスが張られた部屋に俺はいる。

なぜだ?


俺の存在を周りに知られたくなくて、魔力が漏れないように壺の中に隠して運んできた。なのにこの部屋は外から見えるほどの大きくて立派な窓ガラスがある。


……唯一あるとするならば…これも…魔法か?


俺はまだ魔法の構造や概念を完璧には理解できていない。マリクリから土魔法を継承したときに、ある程度の概念自体は脳の中に流れて来たが…それも土魔法に関する知本的な知識や使い方に過ぎなかった。


きっと、この世には俺が思っている以上に多様な魔法があると見ていい。というかそうであることを前提に考えて行動するべきだ。じゃないといつか痛い目を見る。


エルフに魔力を感知できる能力があるのなら、同時に魔力を遮断できる魔法もあるのんじゃないか?そうだったら、こんな大きな窓ガラスが張られた部屋に案内されたのも納得がいく。


だがなぁ…そうなると、この部屋に仕掛けられた魔法がこれ一つだけだとは思えなくなってくる。例えば元いた世界だって、外国の大使や政治家をその国が招くとき、彼らが泊まる部屋なんかには大抵、監視カメラや盗聴器が仕掛けられているなんて話はよく聞く。


恐らくだがこの部屋はこの町の行政施設にある来賓室だろう。エルフは人間と対立していると聞いたが、近くに人間の都市もある以上、人間の大使や官僚を招く機会もあるはず。


だったら日常的にこの部屋にはさまざまな魔法が仕掛けられているはずだ。魔力を遮断するだけじゃない。盗聴ももちろんしているだろう。それに音や光を遮断して外の様子を外から分からない様にもしているはず。それに…もしかしたら頭の中の思考すらも見る事が出来るかもしれない。


普通ならただの糖質案件に過ぎない…でもだ…一つだけ分かっていることは…俺はこ

世界のことを、そして魔法のことをまだなにも分かってないということだ。


だからそう…可能性や選択肢を排除することは危険、なわけだが……まぁぶっちゃけこれ以上考えても無駄だな。考えても分からない事は分からない。


分かるまで流れに身を任せるまでだ。

どの道、銃を使っている時点でこいつらに俺を殺すフィジカルはないのだから。







「さて、じゃあ始めようか」


アルフォンスはテーブルを挟んで座っている五人の隊員を見下ろして言った。アルフォンスの獲物を刺し殺すかのような眼光に、隊員たちは少し顔を強張らせながら小さく頷く。


すると隊員たちが緊張したのをアルフォンスも察したようだ。彼は内心、自分の顏を見て怯える彼らに溜息を吐きながらも、いつもの事だと割り切って顔には出さない様にしていた。


「そう緊張する必要はない。必要な記憶以外は覗くことはないからね。君たちの人にには言えないような恥ずかしい記憶や趣味が、私にばれることはないよ」


アルフォンスが相変わらず義務的で低い声ながらも、彼らの緊張を解くために軽い冗談を言った。隊員たちもそれが自分たちの緊張を和ますための冗談であると察したのか、微かな苦笑いを浮かべる。


「さて、君たちの前に置かれているのは魔法で加工された紙だ。これには魔力の放つ微弱な電磁波を記憶するように加工されている。そして今から私のスキルで君たちの記憶を取り出して、この紙に記憶させるのさ」


「と、取り出す…?」


アルフォンスがそう言うと、ずっと黙っていた隊員の中で、この部隊の長である女がアルフォンスの言葉に反応した。


「ああ、失敬。正確には複製して取り出すだ。君たちが記憶喪失になることはない」

「あ、あぁ…」


アルフォンスの言葉に、さきほど彼に質問した部隊の長である女は安堵の表情を浮かべた。事前に確認していた報告書によると彼女の名前はセリシアと言ったはず。身長は170ディナで体重は61マグラ。バストは87.5ディナ、ヒップは95ディナで体型は素晴らしい安産型だ。まだ若くも才能があり、エルフとしての誇りも高く、気が強いのも良いことだ。彼女を嫁に迎え、自分好みの女に調教したいと願う男たちは多いことだろう。


唯一の欠点は…彼女の出自ぐらいしかない。


彼女の経歴を見てみたが…彼女はどこにでもいるような、都市部に住む中産階級の家の三女だった。縁故と年功序列が蔓延るエルフ社会のなかで、彼女のような身分、それも女という性である者が、人の上に立ち、部隊を率いる長になるようなことはなかっただろう。


彼女と同じような境遇の者たちの多くが、兄や弟の下で実家の家業を手伝いながら、その一生を家の屋根裏部屋で終えることになる。もちろん別の家に嫁げれば話は別だが――建前では大陸随一の啓蒙国家として男女平等を唄うスルージャ王国も、実態は古くからの家長制・長男相続の風習が今でも色濃く残っている。


女は家から独立するのではなく、家の中で父や夫、兄弟を支えるべきだ――そのような考えはスルージャ王国だけでなく、近隣のエルフ各国も同様の考えでいる。


そんなエルフの女性にとって閉鎖的な社会の中で、彼女たちが経済的な自由を手に入れたいのなら、まさに結婚をすることだ。


なぜなら先程も述べた通り、この国では建前上は男女の権利は平等であるからである。そのため元の家から出て、他の家に嫁いだ場合に、夫ももといた実家から独立するのであれば、新たに一家の事業を立ち上げるという名目で、女性も自由に仕事を選べるからである。


そしてもう一つあるとすれば、それは軍隊に入ること。


人間国家とは違い、人口の少ないエルフ各国では、昔から女性も軍隊に従事していた。もっとも最初は後方支援などを名目に、戦の時にだけ臨時に徴集されていただけだったが、啓蒙主義が都市部を中心に広まり始めたころ、自分たちの社会的立場に不満を抱いていたエルフの女性たちの多くが、男たちと同様の権利を得るため、自ら兵役に就き、前線で戦うをことを国に志願しはじめたのだ。


当然、そんな前例のないことを認めることに政府は最初難色を示したが、男性と同等にエルフの女性たちも魔法に長けているという事実は、まだ戦場で魔法が猛威を振るっていた中世の時代において、兵役逃れや人間国家たちの急速な領土拡張、軍拡に危機感を抱いていた当時の軍部や政府関係者、民間の国粋主義者たちの間で、彼女たちの運動を支持することを後押しした。


そのため、今日においては、スルージャ王国の兵士の男女比は7:3ほどであり、大陸随一で兵士における女性の割合が高い国家となっている。


ただ当然、歴史的に後方支援の多くを女性に任せていた軍隊では、女は男を支えるべきという習慣はいまでも根強いため、女性の役職比率は非常に低い。一般的に女性が一つ上の階級に昇格するには、同年代の男性と比べて、その三倍以上の実績と能力がなければならないとされているからだ。


だが彼女は国境警備隊の訓練所を首席で合格し、それからたった半年も経たずに、本来なら騎士階級以上かつ、任命されるのには最低でも30年以上かかる”班長”の役職へ、己の腕一本だけで上り詰めた本物の実力者だ。


彼女は訓練所を合格してから、班長に任命されるまでの6か月間の間に、人身売買を目的とした100人以上の不法入国者――ほとんどがプロシア公国の人間――の殺害に、200名以上の同国の不法入国者の逮捕を行っており、この功績と異例のスピード出世という功名から、彼女はこの町で名誉市民の称号を与えられている。


だがどんな者にだって、他人に見られたくないプライベートはあるものだ。


だからアルフォンスもそれを一々気にすることはない。ということもなくはない。いやむしろスゴイ気になるのが普通だろう。もちろん本人の手前、彼は今ものすごく真面目な表情で部隊の者たちを見つめているが、本心ではこの誇り高く、凛とした女戦士が、他人に見られることを躊躇した記憶が一体どんなものなのかを、知りたくてしょうがない。


というか寧ろ、この陰湿で血生臭い職場において唯一かつ、一番の楽しみなのだから。


彼はスルージャ王国にて、唯一、対象者の脳のなかを自由に覗くことが出来る記憶魔法の取得者である。その能力を買われた彼は、普段はエルフ本国にて、内閣の直属にあたるとされている名前も存在しない諜報部隊――通称"トツ"の所長を任せられている。ちなみにトツとはエルフ各国で国樹に認定されている固有種の木の名前である。もっとも現在は成長が早く、加工もしやすいショールの木を人間が多く住む南方大陸から輸入し、植林したことで、王国の原生林の大半は消失してしまっているが、それでも森林面積の2割は原生林として残っており、悠久の時を綴ってきた森人の歴史の象徴として、今もエルフたちに大切に思われている。


手前に座って並ぶ隊員たちをしり目に、アルフォンスは後々の楽しみを妄想して、一瞬だけ口元が緩んでしまった。


「あ、あの…大丈夫…ですか…?」


彼がテーブルに置かれた紙を見つめながら立って固まっていると、隊員の内のもう一人の女が話しかけて来た。彼はもう一度、先程見た報告書の記憶を呼び戻した。彼女の名前はたしか…ニーナと言ったはず。特徴的なスキルを手にしているが、それだけだ。特段それと言っていいほどの才能もなく、なによりも”全て”が小さい。あまり私の趣味ではないな。


「ああ、大丈夫だ。問題ない…それでは記憶の複製と…その模写を行う。いいね?」


ニーナに話しかけられたアルフォンスは怪しまれないように、すぐさま返事を返した。隊員たちがそれに小さく頷くと、彼は手元で魔力を集中させながら、隊員たちの頭にその自らの魔力を流し始める。


とっさに彼女たちは驚いたように小さく声を上げ、肩を上げながら目を閉じた。自らのた魔力が彼女たちの脳に入り込み、自らの魔力に伝わる脳波と、その自らの魔力とを繋げると、その脳波の動きに従って魔力の粒子の位置が変わっていく。


そして粒子の羅列を整えながら、今度はその魔力を模写するための紙に流し込んでいく。その工程をすべてやり終えると、彼は隊員たちの頭に流し込んでいた魔力を一気に引き抜いた。


「わあ⁉」

「あ…」

「あぅ…?」

「なんだったんだ…今のは…」


眼を開けた彼女たちは、額から小さく汗をかいていた。そしてそのまま顔を強張らせお互いの顔を見た後、ゆっくりとアルフォンスの方に視線を向けた。


同時に自分の方へ刺さる懐疑的な視線に、彼は小さく苦笑いを浮かべながら、彼女たちの興奮を冷まそうとゆっくりとした口調で声をかけた。


「どうだい?驚いただろう?これまでの被験者は全員、同じ顔を浮かべるよ」

「なんか…急に視界がまぶしくなって…頭がすごく…熱くなりました」


アルフォンスの問に、今だ口を開けながら呆然とこちらを見つめていた一人の青年が、小さな声でボソボソとだが答えてくれた。


「驚かせてしまってすまないね。だが安心してほしい。取り出した記憶は君たちが巡回をしていた、今から4時間前までの間だけだ。その記憶を目の前の紙に模写したから、私がそれを見る前に、その紙を触って、その記憶の精度を自分で確認してほしい」


アルフォンスが小さく微笑みながら隊員たちに紙を触るように促すと、彼女たちは恐る恐るといった様子で指で紙を触れた。


すると音もなく、静かに彼女たちの手前に置かれた紙に移された絵が動き始めた。紙の中で動き出した映像のは、まるで途切れることなく移り変わる高速の紙芝居を見ているようであった。


「すべて見終わったかい?それでは後で私が確認させてもらうよ」


彼がそう言うと、隊員たちは静かにうなずいた。彼は彼女たちの表情を今一度確認した後、ゆっくりとテーブルに置かれた五枚の紙を回収していく。


「はい、これで君たちの仕事はこれで終わりだ。緊張して疲れただろう?でもあとで三階の303室に君たちの上司が待っているから、寮に帰る前にそこを必ず寄るように。君たちも流石に事の重大さを理解していると思うけど、一様言うが…もし忘れて帰ったら君たちの首が飛ぶからね」


”首”が飛ぶ。平然とした様子で口にしたアルフォンスの言葉に、その”意味”を察したセリシアたちは、先程まで静かにしていたとは思えないほど勢いよく首を縦に振った。


「絶対に忘れて帰らない様に、みんなで手繋いでいきましょう」


誰かが言ったその言葉に、セリシアたちはまた一度、勢いよく首を縦に振った。







「とりあえず…先に書かせた報告書の内容とは一致しているな……」


対象者が帰った後のこの部屋では、アルフォンスが一人、テーブルの前に座りながら紙を見つめていた。彼のスキルで模写できた記憶は、このように彼のスキルで加工した紙に移して、記憶させることが出来る。だがそれはあくまでも色覚的な情報だけであり、音や匂い、感触の記憶を記録することはできない。


だから対象者に今回の巡回中に起きた会話や様子を詳細に書かせ、その報告書を読みながら対象者の記憶を確認していった。



一体なんだコイツは…信じられん……。至近距離で鉛玉をぶつけられても、死なないばかりか傷一つつかないだと?それに鑑定持ちの対象者が見たステータス…あれはなんだというんだ………あの数値が正しければ飛龍の幼体と同じレベルではないかっ!あれはもう…ゴブリンという枠で見ていい、そんな存在じゃない……。


はぁ…だがまぁいい。

取りあえずは私の仕事は終わったし…。

あとはアイツの解析を待つだけだ。

それが終わったら報告書にまとめて、市長と司令部たちの面々と会議をして、船の予約をして、陛下にこの件の詳細を報告して………あぁ…そうだ、ケスリアの名物のニシンの干物を買ってこいって言ってたっけ…いや、でもアイツの事だ、俺がケスリアに出張したことはご近所さんにも話してるだろうし、家族の分だけじゃなくてご近所さんの分も買ってこないと…それで…家に帰ったら………また………。


「…はぁ………」


アルフォンスは自分に舌打ちしてくる妻の表情を思い出し、小さくため息をついた。誇り高く、気の強い女ほど調教のしがいがある。ベットの上でケツを引っ叩きながら、己のそそり立った肉棒で、どっちが各上の存在なのかをその身に焼き付けさせてやる。そんな最高の夫婦生活を夢見て、当時、その強さから軍の社交場で有名だった騎士階級の女軍曹にアタックし続けた結果がこのざまだ。


最初は悔しがる周りの男どもを鼻で笑いながらいい気分だったが、今では家に帰るたびに冷たい視線と、遠くから微かに聞こえる舌打ちに耳を震わせる毎日。仕事で疲れて家に帰って来て、家事を手伝う気力もなく、休もうとソファーで座る私を蹴とばし、邪魔者扱いだ。そんな妻の英才教育の結果、娘も立派に私を貶している。


「お父さんってなにもしないでぐーたらしてて、木みたいだね」


まだ40歳の娘にそう言われたときには、恥ずかしくもなにも言い返すことが出来なかった。さらに今では妻の英才教育だけでなく、反抗期を迎えたせいで、その人の心を傷つける鋭い語彙力には、さらなる磨きがかかっている。


唯一の希望である一人息子はそんな母と姉を恐れて、私が妻や娘と喧嘩――もとい二人からのイジメに必死で反抗していると、すぐに自室の屋根裏部屋に逃げていくだけだ。


「はぁ……いや、もういい」


一旦やめよう。

これ以上は嫌な気分になるだけだ。


そんなことより、早く盗み出した彼女の記憶を覗かなくては。


私は彼女たちが目を瞑っている間、懐に隠していたもう五枚の紙に彼女の50年分の記憶を模写していた。あとはこれを…ふふ…私たちが作った記憶整理装置で彼女が寮に居る時だけの記憶に編集しよう。


誇り高く、凛とした若き女性の、誰にも知られたくない恥かしい記憶、その全てをしゃぶりつくしてやる!そうしてもなお、あの女はそんなことは露も知らずに日常を暮らしていくのだ!お前が不法入国者やモンスターを殺し、市民に喝さいを浴びている中、私はお前の人には見られたくない記憶を思い出しながら、お前の顔を見つめることができるのだよっ………!!


アルフォンスが歪んだ性癖を頭の中で爆発させていると、記憶整理装置に入れていた紙媒体が、装置の出口からジリジリと音を立てながらゆっくりと吐き出された。


そして彼がその彼女の記憶が刻まれた紙に手を触れようとした時――。



「あの…所長…いらっしゃるでしょうか……」


静かな部屋に数回響いたドアのノック音と共に、部下の声が聞こえた。彼は一度目を瞑り、ゆっくりと深呼吸をすると、彼女の記憶を模写した紙を懐にしまい、立ち上がってドアの方を見つめた。


「………ああ居るぞ、入れ」


彼がそう返事をすると、部下であるマルシェが静かにドアを開けて、部屋の中に入ってきた。彼女はアルフォンスの顔を見つめると、なにか異様な空気間に一瞬だけ足を止めたが、すぐに自分が急いでいた事を思い出したのか、早歩きで彼の元まで近づいて行く。


「終わったか」


アルフォンスが短く問うと、彼女は気まずそうに小さく頷いた。


「…はい…ですが受信した言語が登録されているどの言語にも該当していなかったせいで、解析が非常に遅れてしまいました…」

「解析できたのならそれでいい……いや…待て、ゴブリンの脳波と言語は記録させていただろ」


一瞬だけマルシュが言っている言葉を理解できず、彼女の言葉を聞き流そうとした彼であったが、すぐにその異常性に気が付くと、彼はマルシュの方へ一歩前に出て彼女に詰め寄った。


「はい、でもどの言語にも該当していなくて…」

「ならなぜ解析が出来たんだ!」


答えを急かすようなアルフォンスの声に押されたのか、マルシュはずっと懐に隠していた一枚の紙を彼の前に突き出した。


「こっこれ!対象者の解析書ですっ…」


彼女がそう言いながら前に突き出してきた一枚の紙を、彼は無言で受け取ると、その紙にエルフ語で”翻訳”された内容を確認していく。


「まず脳波自体は以前に入手したゴブリンの脳波と同じものだったんです…ただ言語なんですが…どこにも登録されていない言語で…でも唯一、それに類似していた言語があったんです……対象者の言語の基礎語彙にあたるであろう単語が非常に高頻度で類似していて…恐らく両言語の特徴から、登録されていた言語は対象者が脳内で使っていた言語の”古語”に当たるものだと思うのですが…まず対象者の言語をその類似言語に翻訳したうえで、それをエルフ語に再翻訳したのがソレです……ただその…類似していた言語を調べましたら…っ………あの?……所長?」


アルフォンスは部下の話しを他所に、ただ黙ってその紙に書かれた文章に目を奪われていた。一つ他の言語を挟んでの再翻訳であったため、ところごころ単語や文法に違和感はあるが、問題なくその意味は理解することが出来た。



――もといた世界…

……だと?


「あっあの⁉やっぱりあっそっその…!!」


アルフォンスの表情を見て、マルシュは急に顔を青ざめながら慌て始めた。静かだった部屋が彼女の靴が床に擦れる音と、うめき声が響く中、彼の口から小さく何かがこぼれ落ちた。



「……転生者…か」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最弱のゴブリンに生まれ変わったけど、融合スキルで食物連鎖の頂点へ 僕は人間の屑です @katouzyunsan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画