エルフの植民都市


「随分と遅かったですねセリシア」


兵舎の食堂へと繋がる階段を降りると、廊下にパーチスが壁によりかかりながら立っていた。他の仲間たちは一足先に食堂へと向かったか。


「はぁわ…まぁ…昨日ちょっと飲みすぎちゃった」


私は欠伸をしながら適当に返事をし、彼の前を横切って食堂へと繋がる廊下を歩いていく。


「…そうですか」


後ろの方でパーチスの小さな声が聞こえた。


「どうしたの?元気ないじゃん」

「え?…そうですかね?」


振り返ってパーチスの顔を見つめると、彼は苦笑いを浮かべながらすぐに視線を私の方から横にズラす。


「きのせい?」


私はまた前を振り返って歩き出した。


「みんな、おはよう」


食堂のテーブルに座っていた班の仲間たちに挨拶すると、みんなこちらの方を見つめながら手で挨拶をしてくれる。


「おはようございます」

「隊長、また寝坊ですか?」

「最近多いな」


リーナの隣に座った私に、副班長のケラルトが目を細めながら声をかけてきた。


「しょうがないじゃん。ほんと、上の連中の相手するだけでイライラするもん」

「ははは、班長も大変ですよね」

「ほんとだよ」


私がケラルトの言葉に不機嫌に愚痴をこぼすと、隣に座っていたニーナが気を使ってくれたのか、愛想笑いを浮かべながら言葉を返してくれた。


「なんだパーチス、お前も早く飯を持ってこい」

「後30分もねぇぞ」


私がニーナから受け取った日替わりメニューを眺めていると、他の仲間たちがボーっと突っ立っていたパーチスに声をかける。彼も仲間たちに声を掛けられ、ハッとしたように意識を取り戻して席に座った。


「うーん…今日のは微妙かなぁ。バイキングでいいや」


メニューが書かれた雑紙をニーナに渡し、私はパーチスの方を見つめる。


「パーチスは決まった?」

「いえ…俺もバイキングにしようかなって…」

「じゃあそうしよう」


私がそう言うと、パーチスは私の方を見つめながら小さく頷いた。そんなパーチスを見て、仲間たちが彼をいじるように小さな笑い声が漏れた。少し不機嫌そうな表情を浮かべる彼を置いて、私は席を立って食堂の左側にあるバイキングエリアの方まで歩いて行く。


今日のバイキングエリアは案の定、定食エリアと比べて人の並びが多かった。私が国境警備隊として働いているケスリアは、南方大陸北岸に位置している。だからたまに兵舎の食堂で魚介類が出されることもあるが、エルフは元々、森人と言われていたほど山の中で生活を営んできた。だから肉や果実などはよく食べるが、海の幸はあまり好まない。私も苦手だ。


特に甲殻類は大の苦手。あの臭いと腐ったような甘みを舌に感じただだけですぐに吐いてしまうよ。


「今日は人が多いですね…」


私が列の一番後ろに並ぶと、後ろからパーチスの声が聞こえた。


「…うん」


十分ぐらいたって、やっとトレーが置かれた場所までたどり着けた。朝の点呼が始まるまであと20分もない。


「百年は短く感じるのにさ、なんでこういう時の十分って長く感じるんだろうね」


私がそう呟くも、後ろにいるパーチスから返事が返ってこない。私がパーチスの方を振り向くと、呆気にとられたような顔で私の方を見つめていた。


「ぇ?…あっあぁ、確かに……暇だからですかね?」

「…うん、確かにね」


パーチスと他愛もない会話をしていたら、ついに私の番までおかずコーナーがやってきた。外から見える調理場には、出稼ぎ労働者であるオークの料理人たちが忙しなくフライパンを握っていた。


取りあえずは肉と、肉と…肉にしよう!焼けたお肉の良い匂いを嗅いだだけで、朝から笑顔になれるなんてね。牛と豚と鳥はエルフに幸せを与えてくれる三種の秘宝なんだから。


「パーチスはもう決まった?」

「ええ」


私が笑みを浮かべながらパーチスの方を覗くと、パーチスは少し鼻を赤くしながら嬉しそうに返事をした。


「なんだ、今日も肉ですか」

「二日酔いにしてはよく食うな」

「レディにそんなこと言っちゃだめですよ」


私が席に戻ると、早速、男二名からヤジが飛んできた。嫌らしく笑いうケラルトに、ニーナがすぐに私を擁護してくれた。


「ほんとだよ、今も酔っぱらってる奴に言われたくないし」


私がケラルトの方を睨みつけると、彼はワインが注がれたジョッキを握りしめながら小さく笑った。


「点呼前に解毒のポーションを飲めばいいだけの話しだ」

「破産して口が臭くなっても知らないよ」


解毒のポーションは一番効果が薄い物でも金貨一枚以上はくだらない。酔うたびに飲んでいたら、銅貨一枚の歯磨き粉代すら払えなくなる。エルフにとって口臭が臭いというのは常時、人前でおならをしているのと同義だ。なにより貧乏人の証でもある。誇りを最も大切にするエルフにとって、もし他人から口臭を注意されたら一生の恥になる。


村一番の美しい娘と称された子が、王侯貴族や豪商の側室として嫁ぐことになった際、身辺調査で毎日歯磨きをしていないことがバレたら、それだけで破談になることはよくある話だ。貧しい農村の家庭が、生涯の繁栄と栄誉を得られるチャンスを失うことは悲劇だが、側室の一番の役目は舞踏会に参加する夫の側に立って、男たちが話すつまらない話をニコニコと笑いながら楽しませることだ。その時に口が臭かったら夫は一生出世の見込みはなくなる。


そう言われるぐらい口内のエチケットはエルフにとって大切なのさ。


私がケラルトにそのことを注意すると、彼はいつもの通り、両手を広げながらケラケラと笑い出した。


「俺は金持ちだからな」

「金持ちなのは実家でしょ」

「いいですよね、実家がお金持ちなの」


ケラルトの言葉に私がすぐに言い返すと、パーチスが羨ましそうな顔を浮かべた。


「お前も牛乳屋のせがれだろ」

「牛乳屋じゃ儲かりませんよ」


ワインを飲み干したケラルトが笑いながらパーチスの実家の話しを振ると、彼は口を尖らせながら、少しだけふて腐れた顔を浮かべた。


「この仕事も儲からねぇだろ」

「じゃあ、なんでやってるんですか」

「それはこっちのセリフだ」


二人はお互いにそう言ったきり、黙ってお互いの顔を見つめ始めた。数秒経って耐えられなくなったのか、二人とも小さく鼻で笑い始めた。


「人間の冒険者のマネごとなんて言われてますけどね…私は好きですけどね、国境警備隊――対魔物特殊調査旅団…」


湯気が立った紅茶のカップで両手を温めながら、ニーナが微笑んだ。


「村の中に居ればいいのにってな、そんな言葉聞く耳も持たないで、危険な海の向こうへ渡った馬鹿しかいねぇよ」

「しかも魔物だけじゃなくて密入国する冒険者も押し付けられてますしね」


パーチスがげんなりしな顔を浮かべると、みんなが笑顔になった。


「まさかモンスターが目当てだと思ったらエルフの誘拐目的なんてな」

「女は高く売れるらしいよ」


最初に私に挨拶してから一向に喋ってなかったクリナムが、ご飯を食べ終わったのか、開いた両手をニーナの方に向けながら、指をムカデの脚のように動かし始めた。


ニーナはそのクリナムの顔を見て、露骨に嫌そうな顔を浮かべる。さらにそれが余りにも嫌そうだったので、クリナムはすぐに両手をテーブルの下に引っ込めて、また喋らなくなってしまった。まだ若いのに両耳が下に垂れ下がってる。好意を抱いてる女に汚物を見るような視線を向けられ、落ち込んでしまったようだ。


「素敵な冒険が私を待ってる!って期待して入ったのに…実態は害獣共の駆除作業だけでしたね」


ニーナ紅茶を飲みながらげんなりした様子で息を吐いた。


「でもそれが私たちの仕事だ…任せられた期待に応えるのか私たちの誇りだよ。そうだろ?みんな」


私が笑みを浮かべながらみんなに話しかけると、みんな少しだけ照れくさそうに頬を赤くした。


「そうだが…飯を食い損ねて点呼に遅れたら、隊長の叱責と共に誇りと出世コースもどっかへ飛んでくな」


ケラルトがそう言うと、みんなが私の皿の上に山積みになった肉を見つめた。するとみんな一斉に席を立ち始めた。


「さて、じゃあ俺たちは廊下に行きますか」

「飯も食い終えたしな」

「最後に残った人、食器の片づけお願いします」


「えぇっ⁉待ってよ仲間を置いてくのがエルフの誇り?」


私が必死にみんなに語り掛けると、ケラルトが嬉しそうな笑みを浮かべながら、私の方を振り向いた。


「税金で賄っている食べ物を、最後まで残さず食べるのが俺たちの誇りさ」


ケラルトはそう言い残して、先に廊下の方へと脚を進める仲間たちの方へ歩き出した。私が冷えて固まった肉の塊を黙って見つめていると、私と一緒に残っていたパーチスが私の皿に指をさした。


「その…半分食べますか?」

「うん、お願い」


パーチスの助けでなんとか点呼を無事に終えた私たちは、いつも通り階段の踊り場に集まった。


「なんだ、隊長に叱られれば良かったのに」

「ケラルト、班長に対する態度じゃないよ」


私は副班長のケラルトを注意しながら、集まったみんなたちに今日の任務内容を伝えていく。


「さて、今日の任務だが…いつも通りだ。国境沿いの巡回しながら密入国者の逮捕、また殺害や、危険指定のモンスターの駆除を行う」


「ほいほい、じゃあ行きますか」

「ニーナ、また奴隷狩りだったら玉撃ち抜こうぜ」

「えー…あんたがやってよ」

「ニーナはビリヤード上手だから向いてるよ」

「お前さ…マジでキモイよ」


私が隊長から渡された指令書を昨日と同じように読み上げると、みんな楽しそうに会話しながら階段を降り始めた。


「またやってますね」


私が階段を下りていく仲間たちの背中を見つめていると、横に立っていたパーチスが嬉しそうに笑顔を浮かべながら呟いた。


「うん…これが私たちの日常だよ…あと500年くらいはこうしてたい」

「でも流石に500年は飽きませんか?」

「確かに…でも…飽きるまではこれでいいさ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る